【奈良】大和の地こそ邪馬台国に相応しい 箸墓古墳と纒向遺跡、大神神社★2

1名前:樽悶 ★2019/07/03(水)22:38:30.83ID:tKhLN+6P9

(前略)奈良県大和盆地南部の巻向地区にある箸墓古墳を中心に近くにある纏向(まきむく)遺跡と大神(おおみわ)神社の探訪記です。季節は5月末のことです。

この古墳は全長280mと大きく堂々とした風格ある森の姿で国道169号線のすぐ脇にありました。日本最古の前方後円墳のひとつで3世紀中頃から後半の築造と推定されています。正式名称は「倭迹迹日百襲媛命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)」という名前で、この倭迹迹日百襲媛命は、すぐ近く数km南にある日本最古の神社である大神(おおみわ)神社に神として祀られている大物主命(おおものぬしのみこと 大国主神のこと)の妻となっています。神々の時代の話なのですが、古墳そのものは実在し築造年代もほぼ科学的に推定されていますので、この古墳は一体誰の陵墓なのか、最古の古墳の被葬者は誰なのかが昔から論じられて来ました。そこで3世紀半ばに没したと魏志倭人伝に記述のある邪馬台国の卑弥呼の墓であると古くから見られて来ました。卑弥呼の墓であるなら、邪馬台国は箸墓古墳のある巻向の地に王都があることになり、邪馬台国九州説は完全に否定されてしまいます。従って、現在でも大和説と九州説との論争は果てしなく続いていますので、この箸墓古墳の被葬者もまた学術的には確定していません。

ただ私は、この箸墓古墳からすぐ近くJR桜井線の巻向駅周辺に広がっている纏向遺跡こそ邪馬台国の王都だったと思っていますので、やはり陵墓は卑弥呼のものであるはずです。

巻向駅のそば、辻地区で掘立柱建物の柱列跡が発掘されて、ここに纏向遺跡の居館群があったと分っています。建物群は3世紀前半に建てられたとみられています。中心的な大型の掘立柱建物は約19m×約12mの規模があり、当時としては国内最大の規模と推定されていますので、これら建物群の復元が出来るだけ早く進むことを願っています。話は変わりますが、一時期、邪馬台国九州説が相当な勢いを持ったのは、佐賀県の吉野ヶ里遺跡の発掘と復元が急速に進んで、弥生時代の大規模な環濠集落や墳丘墓が目に見えるようになったことからだと思っています。吉野ヶ里遺跡にも行ったことがありますが、復元された集落の大きさや楼閣の高さなどを実際に見ると圧倒されて、ここが邪馬台国の王都と思い込んでしまいそうになるほどでした。でも、やはり、大和の地こそ、邪馬台国に相応しいし、すぐ後の時代に実在した大王(おおきみ、天皇)である崇神天皇の陵墓とされる行燈山古墳もほんの2km北にあり、初期の大和王権の所在地磯城(しき)とも近いので、纏向遺跡が邪馬台国の王都で、初期大和王権は何らかの形でそれを実質的に引き継いだ(乗っ取った)のではないかと私は考えています。事実、纏向遺跡も箸墓古墳の完成の後、建物群が廃絶されていますので、何らかの権力の移行があったのではないかと想像しています。

この箸墓古墳もまた天皇家に連なる人物の陵墓ということで宮内庁の管理下にあり、一切の調査はなく立入りは厳禁されていますので、本当に卑弥呼の墓なのかどうかは判定できないままです。卑弥呼が魏の皇帝から与えられた「親魏倭王」の印綬が副葬品として出てきたら、これは決定となるのでしょうが、当分は古墳の調査がなされない以上、結着はつきそうにありません。残念です。私には、ここ纏向遺跡をAR・VRで復元して邪馬台国の王都の姿を見て感動したいという夢があります。一日も早く実現してほしいのですが、遺跡の発掘が1971年以降継続して実施されているものの、現在までのところ南北約1.5km、東西約2kmにおよぶ対象地域のうちの5%程度しか調査できておらず、今後数十年はかかるとの予想ですので、AR・VRで邪馬台国の復元王都を見るという私の夢は果されることはなく終わりそうです。宮内庁には一日も早く古墳の調査を専門家に認めてもらいたいものです。宮内庁管理の陵墓こそ、日本の歴史上の貴重な文化財であり、第一級の世界文化遺産に相当すると思っています。日本人の誇りなので、もっと多くのことを知って理解したいのです。

最後に箸墓古墳の近くにある日本最古の神社、大神神社について触れておきます。この大神神社は山(三輪山)そのものを御神体とし、本殿を持たず拝殿だけという古い形を残している神社で、祭神は大物主命、即ち、国造りの神です。つまり、大和盆地南部は国造りの地であり、邪馬台国や卑弥呼との関係、初期の大和王権との関係、祭司を勤めた豪族大三輪氏との関係など国造り、国譲りの出雲神話とも重なり興味が尽きません。(続きはソース)

2019年7月1日掲載
http://www.icr.co.jp/newsletter/kaza20190701-hirata.html
★1:2019/07/01(月) 22:52:11.21
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1561989131/

14名前:名無しさん@1周年ID:
>>1

川崎、神戸(尼崎)、北九州は在日朝鮮人の巣窟
凶悪犯罪を繰り返す在日朝鮮人・帰化人がわきまくってるし

パンスト朝鮮顔を整形しまくったネトエラ(ネット工作の在日朝鮮人)がものすごい勢いで暴れまくってるからな。

日本に密入国してきて図々しく居つき
生活保護を受給しながら性犯罪を繰り返し
日本人になりすましネット工作を続ける在日朝鮮人。

在日朝鮮人はスパイそのもの。
帰化人を含めて 朝鮮人全員をいったん強制送還するしかない。

●●● ネトウヨ連呼厨( ネトエラ)の正体 ●●●
http://karutosouka2.tripod.com/uyokusyoutai.htm

.

17名前:名無しさん@1周年ID:
>>1

まあ、これまでは、

古代日本は、朝鮮半島経由で中国大陸との交流・交易をやっていたと
思い込んでいたから、

中国大陸に近い北九州に、古代日本の首府が存在したと思いがちだが、

しかし、ネットが登場して歴史通が新たな可能性をブチ上げてしまった。
それは、中国大陸との交流は、北陸から直接日本海を横切って船で行われた可能性が非常に高いということだ。

それにより、日本の中央部は中国との交易で空前の繁栄をしたと思われる。
南九州の地から、神武天皇が北九州地方など見向きもせず、一路、全力を挙げて近畿を目指した(「東征」)のも、

当時の近畿の繁栄は、日本全国に鳴り響いていたからだろう。

22名前:名無しさん@1周年2019/07/03(水)23:19:23.40ID:RLqGMh2o0
>>17
>>20
お昔の能登半島では渤海と貿易してたらしい
19名前:名無しさん@1周年2019/07/03(水)23:16:43.29ID:RLqGMh2o0
>>1
邪馬台国は四国だって言ってるだろ
21名前:名無しさん@1周年ID:
>>19

無理っぽいだろう。

113名前:名無しさん@1周年ID:
>>19
違うって言ってるだろ。
59名前:名無しさん@1周年ID:
>>1
奈良は色々とあるんだから佐賀に譲ってやれよ
418名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)19:02:07.55ID:ueqF9t0r0
>>1
>でも、やはり、大和の地こそ、邪馬台国に相応しいし

なんだそれは精神論かよ
客観的な証拠に基づいて思考しろよ
相応しいとかそういう問題じゃないから

437名前:名無しさん@1周年ID:
>>418
そうであってほしい
そうでなければならない
万世一系の建前の維持のための畿内説だからw
439名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)19:38:27.29ID:yHYVSHXS0
>>437
ヤマト王権は確実にあったわけだからその連続性を探るのは当然のことだと思う。
むしろ九州なら邪馬台国はどうなったのかさっぱりわからない。
446名前:名無しさん@1周年ID:
>>439
連続性を探れば邪馬台国がヤマト王権に関係してない事は火を見るより明らかだろ?
448名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)19:49:25.76ID:yHYVSHXS0
>>446
それはなぜ?
458名前:名無しさん@1周年ID:
>>448
邪馬台国は文字による伝達を行っていた事が魏志倭人伝に記されている。
邪馬台国がその後存続し、あまつさえヤマト王権に連なっていたとしたら具体的にその伝承が残る。
460名前:名無しさん@1周年ID:
>>458
まあ少なくとも金印は伝わるわな
そこ完全に断絶してるもんね
463名前:名無しさん@1周年ID:
>>458
残っていたとしても時の権力者にとって不都合だから焚書したってこともある
491名前:名無しさん@1周年ID:
>>463
それは陰謀史観と言って、歴史を辿る上で1番やっではいけない事。
陰謀史観を用いれば何でも創り出せるし破壊できる。

時の権力者による改変、捏造、焚書
使ったが最後それまでの積み上げが全て無に帰す。

507名前:名無しさん@1周年ID:
>>491
実際、歴史とは勝者によって書かれるもの
これを無視して正しい歴史は語れない
510名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)20:32:50.54ID:gthz66Ph0
>>507
でもどっこにも残ってない「正しい歴史」を、おまえさんだけがなぜ知っているのだね?という
515名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)20:35:52.42ID:xyuVNUCf0
>>510
想像で創造するのが歴史です(`・ω・´)キリッ
(畿内説談)
566名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)21:36:43.23ID:8Q3q0MBb0
>>515
小説で邪馬台国を決めるのが九州説です
586名前:名無しさん@1周年ID:
>>566
そしてただのカタワが近畿パーです。
513名前:名無しさん@1周年ID:
>>507
当然その通りだが、自説の証明が出来ずに使うのが最悪の下策。
様々な角度から無理のない解釈を導き出した上にこそ歴史はある。

返答に困って使うようなやつは語る資格なしとさえ。

514名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)20:35:35.20ID:KU4oewp30
>>503
>>507
バカなやつ
論文すら読んだことないの丸わかり
456名前:名無しさん@1周年ID:
>>446
奈良と九州北部の地名は似たものが多い
明らかに関係はあったよ
473名前:名無しさん@1周年ID:
>>456
奈良が真似たんだよバーカ
493名前:名無しさん@1周年ID:
>>473
九州人が大量に奈良に入植して自分らの故郷の地名をつけたんだばーか
北海道の地名と同じ
500名前:名無しさん@1周年ID:
>>493
地名に関してはせいぜい奈良時代じゃない?
502名前:名無しさん@1周年ID:
>>493
糞食って死ねウソつき野郎

 

505名前:名無しさん@1周年ID:
>>502
嘘じゃねーわドアホウ
藤原京を建設したのは九州北部からの入植者
無知な馬鹿ほどよく吠える
516名前:名無しさん@1周年ID:
>>505
それがなぜ九州から多量に入植者がいたことになるんだよこのウソつき野郎

 

517名前:名無しさん@1周年ID:
>>505
お前は本当にウソつき野郎のクソ食いだな。

 

553名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)21:17:33.56ID:8Q3q0MBb0
>>505
クソ食い朝鮮人の子孫はよくウソ搗く奴だ
504名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)20:25:25.01ID:KU4oewp30
>>493
そうならば九州は元々大和朝廷のテリトリーだ
447名前:名無しさん@1周年ID:
>>439
>むしろ九州なら邪馬台国はどうなったのかさっぱりわからない。
大和王権の正史では東征説、日本記は東遷説。
450名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)19:56:45.14ID:yHYVSHXS0
>>447
神武東征があったとしてそれが魏志倭人伝の時代より前かもしれないしな。

もし卑弥呼の時代より後なら応神天皇がモデルということかな。
その場合、邪馬台国は宇佐てことになるだろうな。

454名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)19:59:00.88ID:KU4oewp30
>>450
倭人伝の頃には九州が支配下ってことだ
455名前:名無しさん@1周年ID:
>>450
宇佐は吉備と同族
そして纏向には吉備の影響の痕跡がある
480名前:名無しさん@1周年ID:
>>455
日向、宇佐、吉備、大和
まさに神武東征の進行ルート。
484名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)20:17:19.18ID:KU4oewp30
>>480
九州は大和朝廷の支配下
451名前:名無しさん@1周年ID:
>>439
空白の4世紀を解明することは至難の業
なぜならヤマト王権の権威に傷がつくから

皆さんのご想像通り、邪馬台国は九州北部にあった倭国の最大の国だった
倭国大乱で逃げてきた一族が高千穂から東征し畿内でヤマト王権を築いた
これ以後、九州北部と畿内に巨大な勢力がしのぎを削ることになった

磐井の乱(実際はヤマト王権のクーデター)によって倭国王磐井は死に
九州北部の倭国の力は急速に衰えた

それでもタリシヒコと聖徳太子による九州畿内共同統治や
九州血統の天武などによって倭国再興を願ったが叶わず

670年、唐の協力のもとヤマト王権は邪馬台国から続く九州王朝を完璧に滅ぼし
日本という統一国家が誕生したということなのだよ

477名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)20:14:12.86ID:yHYVSHXS0
>>451
みなさんご想像の通りと言われてもw
528名前:名無しさん@1周年ID:
>>1
でわ、神奈川県大和市と言う事で
15名前:名無しさん@1周年ID:
神武の感想で九州から大和までは逆らう奴は潰してきてるからな
ただ九州は神武の国の日向以外筑紫一か国潰して終了
瀬戸内は二か国だが、畿内が難波、熊野、大和と三か国
しかも畿内はいずれも大苦戦している

九州にあった大勢力って神武?

60名前:名無しさん@1周年ID:
>>15
天「孫」
つまり敗戦国呉からの流れ者
62名前:名無しさん@1周年ID:
>>60
だから孫は文武天皇や聖武天皇のことですよ
63名前:名無しさん@1周年ID:
>>62
もうちょっとマシな返しをして下さい
112名前:名無しさん@1周年ID:
>>15
神武は存在したが、神武東征は作り話し。
はい終了。
141名前:名無しさん@1周年ID:
>>112

まあ、作り話とは言えないが、

たとえそうだとしても、その作り話を「作る理由」があったということだ。

18名前:名無しさん@1周年2019/07/03(水)23:06:37.57ID:1TVkmOuc0
長里説だと、韓国から対海国まで500キロ、また一大国まで500キロ、更に末盧国まで500キロくらい離れてるんだろ

九州説も畿内説も成り立たないよね

20名前:名無しさん@1周年ID:
>>18

まあ、船で日本海を横断すれば半日の距離だな。

当時、すでにオール付きの大型船が中国で使われていた。
中国側から提供されたその船を日本も使っただろう。

アトは、その船に関する遺物が日本で発見されれば完了なのだが。

22名前:名無しさん@1周年2019/07/03(水)23:19:23.40ID:RLqGMh2o0
>>17
>>20
お昔の能登半島では渤海と貿易してたらしい
57名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)04:24:59.78ID:8Q3q0MBb0
>>18
238年2月に魏の明帝は、司馬懿に公孫淵征伐の【詔(みことのり)】を下す。
魏の京師( jīng shīケイシ=みやこ=京都)の洛陽から、公孫氏の居城である襄平までは四千餘里=100日の行程であった。
現代の地図上で直線距離1500km余り。
この尺度を(帯方)郡から邪馬台国までの距離万二千余里に適用すると4万5千km以上。
インドネシアのJavaジャワ島で名前もよく似てるから
「邪馬台国はインドネシアにあった」でいいじゃん。
58名前:名無しさん@1周年ID:
>>57
間違った
4万5千km以上なら地球一周する距離
4千五00km以上だ
48名前:名無しさん@1周年ID:
永遠に馬鹿なジャップは例によって、

「卑弥呼」を勝手に「ひみこ」と読んで知らん顔。

しかし言うまでもなく「卑弥呼」は中国の史書に出てきた単語。
当然当時の中国語を基準とした読み方をすべき。

幾つかの可能性があるんだが、その中の一つは、

「ぴみは」 ないし 「ぴみか」

になる。

いずれにせよ「ひみこ」なんて読み方はありえない。
勝手に「ひみこ」を正当な読み方みたいにしてんじゃねーぞ、糞ジャップ

52名前:名無しさん@1周年ID:
>>48
ピメコが正しい
127名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)08:49:01.17ID:8Q3q0MBb0
>>52
広東語で読めばpei mei fu
厦門方言なら pi mi khɔ
[kh]は江戸弁のように威勢よく息をドバーッと吐きながら発音するカ行子音k。
[ɔ]は日本語のオより大きく口を開いて発音するオ。
広東語は威勢がよすぎてkhがfに聞こえてしまった。
厦門方言を話す中国人、台湾人は音に対する感性が日本人に一番近い。
133名前:名無しさん@1周年ID:
>>48
ちなみに今の日本語の「ひ」を古代では「ぴ」と発音してたって説が
あったような気がする。
64名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)05:43:50.90ID:THd5IT6Q0
馬具が4世紀以降の土器の下に埋もれて発見された箸墓は5世紀だと全ての矛盾が解決する。
3世紀だと世界史から書き換える必要がある。
65名前:名無しさん@1周年ID:
>>64
その馬具(鐙)は四世紀以前に存在したオーパーツなんですか?
102名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)08:08:52.65ID:8Q3q0MBb0
>>65
4世紀以降の土器を6世紀まで使ってから
濠に捨てたなら矛盾は無い
70名前:名無しさん@1周年ID:
勝手に変なババアの墓扱いされて、倭迹迹日百襲媛命も草葉の陰で嘆いてる事だろう。

当時他の遺跡と一線を画す日本最大の都市であった巻向の王である孝霊天皇の娘であり、霊能的な能力を持ち予言を行った人物。
纏向遺跡から出土している桃や蛙は、倭迹迹日百襲媛命が儀式で使ったものだ。
畿内だけでなく、北は東山道から西は山陽道まで広く交易が行われ出雲の一族とも外戚関係を持ち
阿曇氏や和邇氏、尾張氏といった海洋系一族も広く交易に参加し、大和にも居を構えていた。

それを事もあろうに九州片田舎の占いババアだとか、失礼にも程がある。

72名前:名無しさん@1周年ID:
>>70
まあそれこそが出雲族でしょうね
朝鮮半島(特に新羅)や大陸とも
非常に関係が深かった
76名前:名無しさん@1周年ID:
>>72
倭迹迹日百襲媛命は出雲族の大物主と結婚する事で、外戚関係を結んだと思う。
80名前:名無しさん@1周年ID:
>>76
その時期の大和地方の原住民=出雲族
という話@記紀捏造マジック
83名前:名無しさん@1周年ID:
>>80
そりゃヤマト王権の前は出雲族が日本を〆てたんだし当たり前。
ヤマト王権の前進は南方海洋系一族だろう。
南九州から東に進出していったわけだ。
それが大和で大物主との結婚に暗喩されるように、融和したんだと思うよ。
85名前:名無しさん@1周年ID:
>>83
つまり邪馬台国は南九州にあったんですね
分かります
86名前:名無しさん@1周年ID:
>>85
いや邪馬台国は南九州ではなく北九州北岸に住み着いた朝鮮人

神武東征が豊予海峡を船で北上し宇佐で上陸している。
明らかに南九州の海洋系ルート

88名前:名無しさん@1周年ID:
>>86
邪馬台国は記述から明らかに海洋系ですよ
いわゆる「朝鮮人」ではないでしょう
90名前:名無しさん@1周年ID:
>>88
邪馬台国が海洋系ならもっと移動範囲は広い。
魏志倭人伝に船で一年とか、大法螺吹いてるのは朝鮮人気質の現れ。

>>87
魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守鄧夏、遣吏將送詣京都也。」

明らかに他所の話として載せてるだけ。

91名前:名無しさん@1周年ID:
>>90
私は邪馬台国=伊勢説なので
まったく矛盾は感じないです
95名前:名無しさん@1周年ID:
>>91
いやそういう話でなくて、魏志倭人伝では東の倭種をよくわからないと言ってる。
海洋系なら交流してなきゃおかしいでしょ。
98名前:名無しさん@1周年ID:
>>95
それは海洋系の定義による
私は刺青や体に朱を塗るという点で
南方海洋系の民俗風習と考えています
143名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)09:01:16.23ID:YfCX0CGt0
>>95
わからないのは魏にとってであって、当の倭人にとっては、わかりたい範囲でわかってたんでは
100名前:名無しさん@1周年ID:
>>90
数字を誇大表現するのは朝鮮人ではなく中国人だよ
もっと勉強しなさい
135名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)08:56:57.72ID:8Q3q0MBb0
>>90
北九州僻地のアクセントは朝鮮語っぽい
はい論破w
89名前:名無しさん@1周年ID:
>>83
大和国の勢力は纏向作った東海勢力→出雲や吉備→九州からきた天皇家?
もしかしてナガスネヒコが東海、ニギハヤヒが出雲や吉備系?
93名前:名無しさん@1周年ID:
>>89
大和の勢力をいつ作ったと考えるかにもよるんじゃないか?

国津神大国主命が出雲を起点に本州の広範囲での交流交易関係を築いた時点で
海洋系の少彦名命や大物主も協力している。
少彦名命は途中で仲違いして離脱したようだが。

広域ネットワークが完成した時点で、大物主の一族は大和の三輪山に居を構えているので
日本書紀に出てくるタイミングとしては、これが大和の起点かな。

387名前:名無しさん@1周年ID:
>>89
違う

大和国の最初の王であるニギハヤヒは三河県豊橋市出身の可能性が高い

ニギハヤヒの天孫降臨ルート
三河→伊勢→熊野→河内(天孫降臨)→大和(纒向)

石巻山は三輪山の奥の院であると大神神社の社伝に書いてある

神社の拝殿は三輪山の正面に向いていない、三輪山の南側にズレている

実は三輪山の奥の院、豊橋の石巻山(神山)に向いているわけだな

400名前:名無しさん@1周年ID:
>>387
ニギハヤヒは外来系の出雲族みたいだから
その話はニギハヤヒ以前の内陸系縄文人の
古い磐座信仰の方じゃないかな

そういうポイントに「上書き」した神社は
わりとある 例)厳島神社、松尾大社、上賀茂神社
三輪大社もこの代表的な神社だし

883名前:名無しさん@1周年ID:
>>387
石巻特産の次郎柿、美味しいよね。
123名前:名無しさん@1周年ID:
>>70
お前は臭いから死ぬように。
74名前:名無しさん@1周年ID:
>>Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
>>Answer 大多数の考古学者は大和説です
Q.神様っているの?
Ansewr 存在します
で信じる人きたな・・・
94名前:名無しさん@1周年ID:
>>74
残念ながら、科学の世界は多数決ちゃうんやなwwww
97名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)07:36:43.22ID:jNOQFSt20
>>94
多数決で史実が決まるって、文系脳ヤバイよなw
77名前:名無しさん@1周年ID:
邪馬台国に幻想持ちすぎなんやろ
福岡市程度しか支配してなかった奴国にも金印くれたくらいだし
邪馬台国も戸数やらの数字盛り盛りの可能性だってある
78名前:名無しさん@1周年ID:
>>77
そりゃ元が朝鮮人だから嘘しか言わない
北九州説も魏志倭人伝を捻じ曲げまくってるのは、朝鮮人気質の現れ。
124名前:名無しさん@1周年ID:
>>77
無い。
81名前:名無しさん@1周年ID:
邪馬台国は中国の朝廷とやり取りしてる
それが日本側の記録に残ってないんだから
大和朝廷とは無関係なのは明らか
87名前:名無しさん@1周年ID:
>>81
大和朝廷は記紀書いた時に中国文献読んでて魏志倭人伝も読んでるけど、
邪馬台国や卑弥呼のことを中国文献に名が出ている、程度の認識なのか?
それとも自分たちの伝承でハッキリ分かった上で意図的に記紀に載せてないのか?
90名前:名無しさん@1周年ID:
>>88
邪馬台国が海洋系ならもっと移動範囲は広い。
魏志倭人伝に船で一年とか、大法螺吹いてるのは朝鮮人気質の現れ。

>>87
魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守鄧夏、遣吏將送詣京都也。」

明らかに他所の話として載せてるだけ。

91名前:名無しさん@1周年ID:
>>90
私は邪馬台国=伊勢説なので
まったく矛盾は感じないです
95名前:名無しさん@1周年ID:
>>91
いやそういう話でなくて、魏志倭人伝では東の倭種をよくわからないと言ってる。
海洋系なら交流してなきゃおかしいでしょ。
98名前:名無しさん@1周年ID:
>>95
それは海洋系の定義による
私は刺青や体に朱を塗るという点で
南方海洋系の民俗風習と考えています
143名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)09:01:16.23ID:YfCX0CGt0
>>95
わからないのは魏にとってであって、当の倭人にとっては、わかりたい範囲でわかってたんでは
100名前:名無しさん@1周年ID:
>>90
数字を誇大表現するのは朝鮮人ではなく中国人だよ
もっと勉強しなさい
135名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)08:56:57.72ID:8Q3q0MBb0
>>90
北九州僻地のアクセントは朝鮮語っぽい
はい論破w
103名前:名無しさん@1周年ID:
ヒント大物主
天照大御神と大物主を一緒に祀ったら災いが起こった
んで天照大神は奈良県内をぐるぐる回った挙句伊勢に行くわけですな
ここに卑弥呼邪馬台国と大和朝廷との関係を見る
165名前:名無しさん@1周年ID:
>>103
東征がどこまで本当かは別にしても大和朝廷は「天皇家は九州出身」と明言していて、
卑弥呼トヨのイメージのアマテラスを皇祖神として位置付けている。

バイアスが入ってても王権の正当性を示す重要なことに根も葉もないこと書けないよね。

だから女王神話は九州から持ち込まれたのは正解、だが直接邪馬台国が東征したとはかぎらないとの結論。

日向国出身の神武が北九州勢力を味方をつける説得工作でこういうのがあったのかも。
俺は伝説の女王卑弥呼の遠い親戚で正当な後継者だとかプロパガンダ活動やった気がする。

199名前:名無しさん@1周年ID:
>>165
東征は作り話し。
記紀は神武東征の捏造をやるために書かれた。
227名前:名無しさん@1周年ID:
>>199
天皇家が九州出身はデタラメといいたいの?
230名前:名無しさん@1周年ID:
>>227
神武は実在。
東征が捏造なだけ。

神武は東征したのではなく、近畿日本に招かれて頭に座った雇われ店長。

記紀の東征は単なる旅行譚を東征に捏造して載せたもの。

 

254名前:名無しさん@1周年ID:
>>230
じゃあ、なんで神武天皇の兄貴が死ぬこともフィクションにしなきゃいけないの?
当初、神武天皇は難波を目指してたけど、合戦で負けちゃったから奈良で落ち着いた。
ちゃんとして、事実を記述にしてると思うけどね。
217名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)10:13:26.66ID:utQsSiaQ0
>>165
自分もそんな所だろうとは思うんだけどだとしたら後に日本書紀で神功皇后の敵として卑弥呼を匂わせる山門国の田油津媛を出したのは何でなんだろうな?
107名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)08:31:06.90ID:THd5IT6Q0
日本最大の古墳群がある日向の西都原古墳群。
日本最古クラスの前方後円墳がある宇佐。
しかし箸墓は5世紀。
つまりそういうことだ。
109名前:名無しさん@1周年ID:
>>107
日本最大規模の古墳群は百舌鳥古市古墳群だよ。
114名前:名無しさん@1周年ID:
>>109
西都原は411基
百舌鳥古市古墳群は何基?
139名前:名無しさん@1周年ID:
>>114
百舌鳥古墳群だけで377あったが、延喜式にない墓は壊されて今現存するのは100チョイ
古市古墳群が120とかだったはず。

まぁ仁徳陵古墳もあるし、百舌鳥古市古墳群にはかなわんよ。

156名前:名無しさん@1周年ID:
>>139
https://www.sakai-tcb.or.jp/feature/detail/1
百舌鳥はかつて100基以上、現存44基
古市(約120基)と併せて200基以上

って書き方だから、百舌鳥単体なら100基強で、古市を併せても300までは無かったんじゃないの
ただどこまでを古墳と数えるか、という問題はあったかもだけど

297名前:名無しさん@1周年ID:
>>139
百舌鳥はせいぜい100基ちょいだろ
どこ情報で377なんだろ?
118名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)08:44:13.84ID:THd5IT6Q0
>>109
西都原はまだ全然発掘が進んでいない段階であるにもかかわらず、
既に数で、他を圧倒している。
171名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)09:36:25.79ID:xoC+3hBO0
>>107
最古が宇佐で、箸墓が5世紀とか書いてるが、その珍説に根拠はあるのか?
そういうこととはどういうこと?
174名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)09:38:54.90ID:THd5IT6Q0
>>171
なら5世紀の馬具が埋まっていた箸墓は何世紀なのか教えてくれ
179名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)09:43:19.34ID:xoC+3hBO0
>>174
馬具が出たのは周濠からだ
捏造は不可
185名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)09:47:25.85ID:THd5IT6Q0
>>179
木製の鐙は水に浮くことが証明されている。
濠に埋まっていたということは、建造に馬を使っていて完成前に埋まっていた。
つまり馬が入ってきた5世紀以降に建造されたのが箸墓。
190名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)09:53:12.16ID:xoC+3hBO0
>>185
そんな空想、妄想による創作は無意味
読め

>輪鐙が出土したのは幅約10mの箸墓古墳周濠の上層に堆積した、厚さ約20~25㎝の植物層の中層から
http://www.makimukugaku.jp/info/iseki.html

193名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)09:56:34.68ID:THd5IT6Q0
>>190
発見当初は4世紀以降の土器の下に埋もれていたと書いてある。
それこそ捏造。
197名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)09:58:45.08ID:xoC+3hBO0
>>193
布留1が4世紀初頭なんだから整合性がとれている
202名前:名無しさん@1周年ID:
>>197
整合がとれても280年はすでに卑弥呼の時代では無いよ。
198名前:名無しさん@1周年ID:
>>190
その20cmほどの層に4世紀の土器の破片も見つかっている。
箸墓はどれだけ遡っても4世紀だ。
中を確認できない以上、3世紀で断言するのは捏造に値するぞ。
189名前:名無しさん@1周年ID:
>>179
掘削調査もされていない箸墓の年代はどうやって決めたのか知らないのか?
周濠から掘り出された土器の付着物で編年しただろ?w
同じく周濠から出土した馬具は無視する事こそ捏造事件だなw
勝山も同様。
軒並み4世紀半ば以降の遺物だぞ。
108名前:名無しさん@1周年ID:
七万戸ガーと喚く人は
七万戸という数字は信用するのに、東や南しか進まない事には疑問を持ってないのがおかしいんだよ
128名前:名無しさん@1周年ID:
>>108
そうだけど七万戸は正しいよ。
女王の領域は筑紫平野+山陰だから。
山陰を入れて無いから七万戸が荒唐無稽に聞こえるだけ。
132名前:名無しさん@1周年ID:
>>128
福岡市付近に在った奴国だけで2万戸だから
北部九州の国々の連合体の邪馬台国が7万戸で矛盾なし。
149名前:名無しさん@1周年ID:
>>132

そういう数字を余り信用しない方がいいだろう。

当時「戸籍台帳」が日本にあったワケじゃなし、数える方法がない。

110名前:名無しさん@1周年ID:
古墳のサイズなら百舌鳥だが
古墳数なら西都原やろな
120名前:名無しさん@1周年ID:
411基じゃなくて311基だった

>>110
最大規模という字面で古墳の大きさと勘違いしたのかな?

126名前:名無しさん@1周年ID:
>>120
多分そうだと思う
百舌鳥は現存44基で、消滅した古墳を併せても100基行かなかったはず
数だけで言うなら、宇佐にある川部・高森古墳群(約120基)にも及ばないかと

まあ百舌鳥のは規模がでかいからなあ、、

129名前:名無しさん@1周年ID:
>>126
規模が大きいという事はそれだけ歴史的に新しいという事なんだけど、
彼らはそういう事知らないんだろうな
134名前:名無しさん@1周年ID:
>>129
百舌鳥のは最盛期の頃のだしね
初期は大概小さい
136名前:名無しさん@1周年ID:
七万戸の問題は、
女王の領域は筑紫平野+山陰だってことと
奈良時代の日本の人口と三世紀の日本の人口はそれほど違わないってこと。ザックリ2/3程度。
奈良時代の九州+山陰が100万人+α
だから三世紀の九州+山陰は70万人くらい。
九州や山陰は三世紀は先進地域だったことを考えたらもっと多くてもおかしくない。
一戸=四人として18万戸ぐらいになる。
女王の領域七万戸
奴国二万戸
投馬国五万戸
狗奴国三万~五万戸
その他諸々一万戸
別に入る。

陳寿は天才。お前らカスが勝手に間違えてるだけ。

 

145名前:名無しさん@1周年ID:
>>136
>奈良時代の日本の人口と三世紀の日本の人口はそれほど違わないってこと。

魏志倭人伝の記述によると少なくとも北部九州の国々の人口は奈良時代と変わらいみたいだな。

150名前:名無しさん@1周年ID:
>>145
そう。五百年も経ってるから変に感じるんだが、それは気のせい。
別に変じゃ無い。
314名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)12:40:15.40ID:8Q3q0MBb0
>>136
邪馬台国までの距離と
公孫淵征伐の距離と
二枚舌を使う丸で朝鮮人のような嘘書きの天才w
142名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)09:01:15.51ID:SWirR8ov0
大和が邪馬台で九州にも治めてる地があったんだろ
154名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)09:07:47.04ID:M5MCgbV00
>>142
そう言う人は決まって魏志倭人伝を読んでないだろ。
畿内説は邪馬台国への道のりが南と書かれた理由をしっかり説明できなきゃね。
今は想像説にしかなってないから。
175名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)09:41:34.58ID:xoC+3hBO0
>>154
小学校で習ったはずだが
倭人伝の行程をそのまま進むと太平洋にドボン
方角か日数のどちらかに間違いがあることになる
方角が間違いだと仮定すれば畿内、日数が間違いだと仮定すれば九州
行程記事からは場所を特定できないと
181名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)09:43:45.98ID:THd5IT6Q0
>>175
魏志倭人伝の行程通りに行くと宇佐。
キチガイ畿内説だと畿内か太平洋。
それだけの話。
183名前:名無しさん@1周年ID:
>>181
宇佐という土地はともかく
八幡信仰は新羅征伐ありきだからな
歴史が浅いよね
192名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)09:53:48.95ID:THd5IT6Q0
>>183
八幡信仰は宇佐を乗っ取った秦氏が8世紀に始めた神仏習合の戦略。
宇佐神宮の本殿がある亀山は径百歩。
本殿の地下には石棺が埋まっている。
195名前:名無しさん@1周年ID:
>>192
なおさら出雲系な感じはするね
184名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)09:46:24.50ID:xoC+3hBO0
>>181
倭人伝の歪曲は不可
黒を白だと言い張っても、黒は黒
行程記事からは宇佐には到着しない
186名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)09:48:51.40ID:THd5IT6Q0
>>184
到達しない理由を完璧に説明してくれ。
畿内説は理由を説明しないで逃げてばかり。
194名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)09:57:02.79ID:xoC+3hBO0
>>186
北部九州から合計2ヶ月の行程
会稽東冶の東
一大率を刺史に例える

陳寿は倭国が南北に長い島だと想定していたことを意味する

200名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)09:59:44.69ID:THd5IT6Q0
>>194
北部九州から二カ月と勝手に捏造するのが畿内説。
帯方郡の役人が書いたから、それぞれの行程は帯方郡が起点。
205名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)10:03:01.95ID:xoC+3hBO0
>>200
帯方郡を起点にすることが曲解だ
10日で北部九州上陸は不可能
国の二重表記も矛盾
208名前:名無しさん@1周年ID:
>>205
何言ってるのかまるでイミフなんだよキチガイ
219名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)10:13:59.12ID:THd5IT6Q0
>>205
帯方郡から時速10kmで1日6時間の航行で九州北端に着くのに意味不明に否定するのが捏造大好き畿内説。
223名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)10:16:21.45ID:xoC+3hBO0
>>219
時速10kmを証明してくれ
帯方郡から600kmで九州到着は明らかに捏造
捏造はやめろ
232名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)10:21:51.00ID:THd5IT6Q0
>>223
なら何キロ?
238名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)10:27:20.39ID:xoC+3hBO0
>>232
野生号より若干早い程度でいいだろう
257名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)10:51:14.78ID:THd5IT6Q0
>>238
野生号はデザイン優先で実用を無視したインチキ模型。半島南部から鉄のインゴットを海賊から逃げ回りながら海峡を渡って運んでいた海人族がそんな使い物にならないノロマな船を使う理由が無い。
261名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)10:55:53.45ID:xoC+3hBO0
>>257
時速10kmを証明すればいいだけだ
250名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)10:43:38.47ID:xoC+3hBO0
>>232
宇佐説は捏造のオンパレード
行程を捏造
7万戸の国があったと捏造
30ヶ国の連合があったと捏造
中国との外交があったと捏造

実際には候補となりえる遺跡すらない
もう妄想全開の与太話はやめろ

259名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)10:52:51.58ID:THd5IT6Q0
>>250
宇佐神宮の本殿がある亀山は径百歩。
本殿の地下に石棺が埋まっている。
263名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)10:58:13.31ID:xoC+3hBO0
>>259
自然の山を人工の墓だと言い張ってるだけ
201名前:名無しさん@1周年ID:
>>194
間違い。
203名前:名無しさん@1周年ID:
>>194
お前まるでイミフだよな
207名前:名無しさん@1周年ID:
>>194
畿内説は否定証明完了済み。

 

209名前:名無しさん@1周年ID:
>>194
当時の大陸から見て倭国は九州とプラスアルファだから南北に長いで間違ってないだろ。

九州の東に四国や本州があってそこにも倭人がいることは分かっていても
その先がどこまで続いているか分からないと。

212名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)10:09:12.53ID:xoC+3hBO0
>>209
九州を巨大な島だと勘違いしたという地理観でも構わんが
邪馬台国は北部九州から遥か南方にあるという地理観だ
180名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)09:43:36.12ID:yHYVSHXS0
>>142
それが伊都国だな
152名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)09:05:45.12ID:THd5IT6Q0
畿内説は巨大であれば卑弥呼の墓に決め付ける。
しかし邪馬台国は狗奴国からいじめられていた弱小ヘタレ国。
さらに卑弥呼の死後に戦乱が起きていて巨大な古墳の建造なんて絶対に不可能。
畿内説は歴史を無視しないと成り立たない。
159名前:名無しさん@1周年ID:
>>152

すでに、卑弥呼時代より千年も昔の日本は、

北陸地方から直接、日本海を横切って中国大陸と船で交流・交易してる事実があるからなあ。
それにより、北陸を利用できた近畿に、当時の日本の膨大な富が蓄積したと考えるのが自然。

だからこそ、神武が南九州の田舎から、繁栄地の近畿をガムシャラに目指した理由があるワケだ。

162名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)09:22:37.92ID:THd5IT6Q0
>>159
日向から逃げ出した理由は噴火と地震と津波。
奈良が災害リスクが少ないことは幸魂奇魂が伝えている。
164名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)09:25:48.94ID:yHYVSHXS0
>>162
ヤマトが都であり繁栄してたからわざわざ遠回りしてでもヤマトに入ったんだろう
163名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)09:24:42.04ID:PUwKjs6H0
邪馬台国は正直どこでも構わんけど
観光地としては北九州より奈良のほうがいいね
168名前:名無しさん@1周年ID:
>>163
それは無いなw
行くとしたら鹿公園ぐらいなもんかな。
寺とか好きな人なら京都の方をおすすめするけどなあ。
173名前:名無しさん@1周年ID:
>>168
寺を見るなら京都
仏像を見るなら奈良

ってのが定番

196名前:名無しさん@1周年ID:
>>163
どこでもいいのはお前ww
177名前:名無しさん@1周年ID:
弥生時代の権力の指標は鉄だった。

■魏志韓伝より
國出鐵韓濊倭皆従取之,諸市買皆用鐵如中国用銭,又以供給二郡
(国には鉄が出て、韓、濊、倭がみな、従ってこれを取っている。
諸の市買ではみな、中国が銭を用いるように、鉄を用いる。
また、楽浪、帯方の二郡にも供給している。)
 
■重要事項
・3世紀の鉄はお金として使えるほど貴重だった。
・九州では武器や農具に鉄を使えるほど潤っていた。
・しかしこの時代の畿内からは鉄が出土していない。
↓鉄の出土状況

■推測されること
・畿内政権は鉄を取りに行っていない
・畿内政権は九州に鉄を分けてもらえなかった
・一大率は畿内への鉄の供給を行わなかった
 
■結論
・3世紀の北部九州と畿内の関係は希薄だった(倭国大乱で分裂?)
・一大率は畿内政権とは無関係だった
・畿内は倭国ではなかった(畿内が狗奴国か?)
 
■裏付け
 纏向遺跡では九州産や半島産の土器は出土していない。
 もと歴博の館長もやった佐原真いわく、
「近畿圏では鉄は溶けやすいので、残っていないのだ」
(開き直り)

294名前:名無しさん@1周年ID:
>>177関連情報

なんで畿内説は邪馬台国としての条件を満たしていない纏向遺跡を関連付けたがるのか?

■纏向遺跡で出土した土器の産地
伊勢・東海系:49%
北陸・山陰系:17%
河内系:10%
吉備系:7%
近江系:5%
関東系:5%
播磨系:3%
西部瀬戸内海系:3%
紀伊系:1%

「これら外来系の土器・遺物は九州から関東にかけて、および日本海側を含むものの、
九州由来もしくは朝鮮由来の土器は非常に少なく、この遺跡が大陸との交易は乏しかったと推定される。」

296名前:名無しさん@1周年ID:
>>294
日本の広域に影響力があったってことじゃない?
九州や朝鮮由来とかより、支配の大きさが重要じゃないか?
298名前:名無しさん@1周年ID:
>>296
そう、支配を象徴するもの、権力を象徴するものが古墳。
古墳は大きければ大きいほど、人を動員するから権力が高くないとできない。
古墳が大きい地帯には、かつて大きな勢力、王権があったことを意味する。
そして、巨大な古墳群が畿内や日向にあるという事実。
302名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)12:19:41.98ID:LzneAw7T0
>>294
どう考えても、奈良は狗奴国だな。
宮崎から東征して大和王権の元となった。
倭国大乱で北部九州の女王国と、宮崎、四国、近畿、東海連合に分裂してたんだよ。
204名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)10:02:57.13ID:THd5IT6Q0
さらに会稽東冶の東もコピペミスの文献を根拠に沖縄あたりと言い出すのが捏造大好き畿内説。
211名前:名無しさん@1周年ID:
>>204
会稽東冶の東であってるよ。
魏志倭人伝は反時計回りに三十度くらい方角がズレている。
恐らく夏の太陽が昇る位置を東としているのだろう。
大体筑紫平野になる。
ドンピシャね。
277名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)11:19:12.07ID:YfCX0CGt0
>>211
植生から判断していると思われ
281名前:名無しさん@1周年ID:
>>277
植生といえば史書ではクスノキ科がいくつも記載され、強調されている。
樹齢1700年を超えるクスノキは九州にはあるが、奈良には無い。
210名前:名無しさん@1周年ID:
北九州が邪馬台国。
日向に狗奴国。
邪馬台国は狗奴国に圧迫をうけて滅ぼされちゃう。
日向の狗奴国が東遷してヤマト王朝になる。
資料から照らし合わせても、整合性とれていると思うけど。
216名前:名無しさん@1周年ID:
>>210
それなら邪馬台国を滅ぼしたという歴史を
きちんと正史に書くだろうにね
228名前:名無しさん@1周年ID:
>>216
中国が認めた倭国を滅ぼしたと書けるかな?
それを読んだ中国に朝貢できるかな?
234名前:名無しさん@1周年ID:
>>228
それで歴史を捏造したんですね、分かります

結果的に信用はしてもらえず朝貢も断られ
挙句に新羅を逆恨みするという気の毒な結果に…

239名前:名無しさん@1周年ID:
>>234
日本側の記録だけ、ヤマトの初回朝貢の記録がカットされているのが、それを物語っている。
229名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)10:19:50.48ID:THd5IT6Q0
>>216
東征では宇佐だけでなく安芸や備前でも長い年月を要して淡路島まで辿り着いたがその間に滅ぼした国のことは書いていない。
一方的に滅ぼすのではなく時間をかけて統合して行ったのだろう。
233名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)10:22:46.65ID:ThA1Al+k0
>>216
神功皇后が征服した、山門のタブラツ姫とかは?
卑弥呼の数代後の女王だったりしないかな?
240名前:名無しさん@1周年ID:
>>233
神功皇后≒卑弥呼 くらいの勢いらしいよ
251名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)10:43:50.83ID:ThA1Al+k0
>>240
なんか、神功皇后と卑弥呼、台与とは時代が合わんとか言う反論を見た事がある

…なら、タブラツ姫が卑弥呼の末裔なら問題ないじゃんって思ったモンで

265名前:名無しさん@1周年ID:
>>251
魏志倭人伝にもたくさん国の名前が出てくるし
そのうちの一つの可能性はあると思うけど

邪馬台国=伊勢 と考えると
自分はなんかおぞましい歴史が見えてくるので
とりあえずこっちで行こうかな。と思う^^

271名前:名無しさん@1周年ID:
>>251
神功皇后の事跡には百済の肖古王が出てくるけど
(七枝刀を日本に送ったとされる人)
大体これが四世紀半ばの人(13代百済王)
その孫として枕流王が出てくるのも日本書紀と三国史記で一致してるので、事実の可能性は高い
神功皇后が居たとしたら、四世紀半ばから後半になり
大体卑弥呼から一世紀半近くずれる事になる
282名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)11:22:17.71ID:kmoaIiae0
>>271
>日本書紀と三国史記で一致してる

三国史記は、日本書紀よりずっと遅れて書かれたものなので、
日本書紀を参照して書いてるんだよ

ある意味一致してないほうがおかしくて、一致していない点の理由を考えると
三国史記成立当時の朝鮮の事情が分かる、という代物

285名前:名無しさん@1周年ID:
>>282
三国史記には173年に卑弥呼の使者が来たと書いてある。
当然ながら中国の文献も参照していると思われ。
287名前:名無しさん@1周年ID:
>>282
何の事情が解るのか判らんのだが
半島にしてみれば、日本にへいこらしてた王の事跡なんて消し去りたいだろうに
286名前:名無しさん@1周年ID:
>>233
神夏磯媛の方が名前からしてそれっぽい

田油津媛では、ちっともえらそうじゃない

245名前:名無しさん@1周年ID:
>>216
そんなの簡単。
記録していないからよ。
そもそも、日本書記も古事記も神武天皇やその前のことも伝承をかき集めたもの。
神武天皇の父や祖父の時代で邪馬台国討伐を完了していた可能性がある。
そうでないと東遷は不可能。
神話を否定する奴がいるけど、ギリシア神話を参考にしてトロイの遺跡を発見したシュリーマンはどうなるんだよw
神話はフィクションとノンフィクションを混ぜたもの。
全てを信じてはいけないし、全てを作り話だと決めつけてもいけない。
逆に魏志倭人伝の記述をバカ丁寧に読んでる奴らのほうが、おバカちゃん。
当時の地理なんて性格に把握しているわけない。
地図そのものが、未発達なのに、その当時の未熟な地理環境の記述で現代の地図に当てはめて議論してるんだから、アホというしかない。
247名前:名無しさん@1周年ID:
>>245
だったら神話のどの部分に該当するんです?
そんな大事が記録(記憶)にないなんて
おかしいって話なわけですよ
248名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)10:42:04.42ID:yHYVSHXS0
>>245
東征でヤマトに王権を立てたこと事態が邪馬台国の征服だよ
249名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)10:42:28.00ID:+1FW7g1D0
>>245
でもさな「都合の良い部分だけ事実認定」して
「都合の悪い部分は嘘認定」して
それで成立したところで、説得力はゼロだろ。
だって、読み手次第でいくらでもコロコロ変わる話を
「これこそが正しいんだ」って言い張ってるだけのアホってことになるからな。
276名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)11:19:11.51ID:kmoaIiae0
>>245
神武天皇の5世代くらいあとの崇神天皇の頃のヤマト王権が、ヤマトの音訳で邪馬台国と
書かれたんだよ

卑弥呼は崇神の頃の巫女王(のちの斎王)である倭迹迹日百襲姫命
神武天皇の東征は、卑弥呼の共立のときに、祖先筋に九州から来た人がいて
九州の血も引いてるという話を強調したことの名残

284名前:名無しさん@1周年ID:
>>276
日本書紀には崇神の晩年に初めて任那からの使者の記録があるが
魏の時代は馬韓弁韓辰韓の三韓の時代で、任那なんて無い
次の垂仁の時代には新羅が出てくるが、他の三韓の記事なし
ましてや帯方郡も魏も晋も出て来ない
ヤマト政権が半島と関わり出すのは、帯方郡が滅んで三国時代(半島版)に
移行しだした四世紀前半以降にしか見えない
237名前:名無しさん@1周年ID:
<<大和朝廷と関係あるなら、卑弥呼の存在が日本書記や古事記に書かれるはず。
<<だけど、書かれていないから関係なし。

書かれてるのに、それを認めないんだな
神功皇后に滅ぼされた 土着国 筑紫 山門(ヤマト)の女王国が 魏史の邪馬台国
卑弥呼トヨの二人女王の話が 伊勢神宮祭神にピッタリ一致してるのは?
ワ族は 女性先祖崇拝だったのかも
自分の母親は誰か分かるが 父親は誰か分からなかったのかも
だから先祖崇拝は 母 と祖母を崇拝する

241名前:名無しさん@1周年ID:
>>237
大和時代で既に邪馬台国は伝説の国だったと考えればいい。
よく分からないけど、史書に書かれているのでちょっとだけ記載しておいた。
その程度だろうよ。
242名前:名無しさん@1周年ID:
>>241
大和時代というか記紀を編纂する頃だね
244名前:名無しさん@1周年ID:
倭国大乱前に存在した畿内の国は滅ぼされたのだろうか?

畿内にあった銅鐸とヒスイの勾玉の集落
弥生時代末期に営みが終焉
貴重な勾玉が放置されている

池上曽根遺跡は、日本最大の井戸や弥生最大の大神殿、鉄工房もあった弥生時代にかなり栄えた集落。6cm大の巨大勾玉が出土
大阪は他にも高槻市成合遺跡、東大阪市鬼虎川遺跡、四条畷市城遺跡、高宮八丁遺跡
など、きりがないほどヒスイ勾玉が見つかっている。
奈良の唐古・鍵遺跡、褐鉄鉱に納められた巨大勾玉が見つかっている。貴重な勾玉が放置されていた。

これらの集落の人々はどうなってしまったのだろうか?
仁徳天皇の治世、再び勾玉が大ブームになる。
弥生時代の勾玉勢力と何か関係があるのだろう
か?

253名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)10:46:02.94ID:LzneAw7T0
>>244
翡翠の勾玉が全国に流通したのは縄文時代だそうだ。
それを大切に使いまわしていたのかもしれない。
262名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)10:57:47.99ID:THd5IT6Q0
>>244
奈良は銅鐸の国家から古墳勢力に征服され、その後、物部が征服した後も蘇我、その後に藤原と、何度も勢力が入れ替わっている。万世一系じゃないことを記紀が証明している。
255名前:名無しさん@1周年ID:
会稽東冶の東で正しい。
魏志倭人伝は反時計回りに三十度くらい方角がズレている。
恐らく夏の太陽が昇る位置を東としているのだろう。
大体、東の漢字は日の出の太陽とそれに重なる木から出来ている。
中国人の感覚では日の出の位置=東は非常に自然な考え。
渡航したのは夏だから東は夏の日の出の位置。

これで見るといい。
https://hinode.pics/lang/ja/maps/sun

赤い腕が二本出てるが、日の入りと日の出の方角を示している。
真夏の8月1日くらいで見るといい。

まあドンピシャね。
紹興市の真東が筑紫平野。

陳寿は天才。

お前らが低脳なだけ。

 

270名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)11:12:07.88ID:kmoaIiae0
>>255
>魏志倭人伝は反時計回りに三十度くらい方角がズレている。

末盧国から伊都国は90度ずれてるよ?

272名前:名無しさん@1周年ID:
>>270
お前の脳がずれてるからそう見えるんだよ。

323名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)12:46:33.76ID:8Q3q0MBb0
>>270
後漢書東夷伝の倭の部分と比べると
魏志の南=後漢書の東
古田教を盲信してるヤツはカルト教信者
340名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)13:59:53.83ID:4m43vnEq0
>>323
女王国より東に海を渡るといるのは別の倭種で拘奴国だというからには
邪馬台国に服属しない倭種が東に海を渡ったところにいたんだろうな

そういえば奈良から東に海を渡ったところにいたのは、纏向の主要勢力だったね

382名前:名無しさん@1周年ID:
>>270
それはお前も間違い。
多分、そこは陳寿が間違えたんだろうな。
東と東南を。
274名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)11:15:13.52ID:kmoaIiae0
>>255とか
魏代の会稽郡はここ

会稽東冶となると、この地図の福州の文字のあたり

これで九州北部が真東とか言ってる人は頭がおかしい

278名前:名無しさん@1周年ID:
>>274
気にするほどでも無い事に拘るのは、お前の脳がずれてるからだよ。
「計其道里、當在會稽東冶之東」
(道里を測るに、会稽東冶の東あたりだ)
291名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)11:45:20.80ID:YfCX0CGt0
>>274
南九州だな
380名前:名無しさん@1周年ID:
>>274
それ間違いだぞ。
魏志倭人伝が書かれた時点ではその会稽東冶は存在してない。
266名前:名無しさん@1周年ID:
邪馬台国が古代史にそこまで重要なのか?
もちろん、邪馬台国からもたらされた倭国の情報は貴重だ。
だけど、邪馬台国そのものは重要ではないと思う。
それに、あくまでも邪馬台国が把握している倭国像なのであって、当時の正確な倭国像でもないだろう。
古代史をテーマにするときに、邪馬台国が大国であるという前提になっちゃってる。
それは先入観だし、おかしい。
あくまでも、邪馬台国は朝鮮半島と交易していただけだ。
それならば、対馬を例にとっても、小さい勢力でも地理的環境がよければおこなえる。
邪馬台国は小さい勢力であるという、意見が乏しいことに、古代史の狭さが感じられる。
273名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)11:14:26.38ID:yHYVSHXS0
>>266
3世紀の国のカタチを探る意味で重要。
邪馬台=ヤマトなら3世紀には西日本を統率するヤマト王権が確立してたことになる。
邪馬台国がヤマトではないならヤマト王権以前に女王が君臨していたことになる。
邪馬台国が九州だったら部族による都市国家が乱立していたことになるし
その時の巻向の勢力は何者なのか?という話になり、どう統一して行って畿内にヤマト王権が誕生したのかが課題になる。

とは言え、最も重要なのは九州の観光を左右することw

289名前:名無しさん@1周年ID:
>>273
だから、邪馬台国がもたらした情報は貴重だし、
邪馬台国の構造は重要。
だけど、群雄割拠であるといってるわけだし、
連合体はあっても、王権とよべるほどの勢力はない。
そして、畿内には畿内の勢力が別にあった。
それを邪馬台国は完全に把握していない可能性がある。
そもそも列島は東西にはっきり分かれている思うね。
古代では九州が畿内がちょうど、東西になって、時代につれて、それが関西と関東に移り変わっていくわけで。
邪馬台国は九州のことしか把握していない。畿内にはまた違う群雄割拠があった。
で、なぜ俺が邪馬台国をこだわらないほうがいいと思うのは。
出土される土器や古墳、遺構には、北九州や山陰と、南九州では違うからなんだよ。
北九州と山陰は連関がある、日向を含めた南九州と畿内は連関がある。
つまり、中国や朝鮮半島から強い影響を受けた文化圏と、
中国や朝鮮半島から受けた影響は全くなくはないけど、影響が小さい文化圏がある
古代には、文化圏はっきり2つに分かれている。
古代のルーツを探るなら、異なった文化圏から比較しながらおこなったほうがいいと思う。
邪馬台国にこだわることが、かえって古代史を混乱させている。
290名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)11:42:18.09ID:NMBpAn7P0
>>289
>出土される土器や古墳、遺構には、北九州や山陰と、南九州では違うからなんだよ。

それが、3世紀半ば頃に布留式土器で統一され、その前の庄内式土器のときから
広い範囲で同じ形式の土器が使われ始める

この社会変化の契機として、卑弥呼の共立を考えるのが現在の多数説
じきに定説と呼ばれるようになるだろうけれど

292名前:名無しさん@1周年ID:
>>290
だったら、古墳はどうなる?
日向を中心に南九州にはどでかい古墳があるし、畿内にも天皇陵や有力者には古墳が大きい。
だけど、北九州は古墳は乏しい。
そして、邪馬台国は古墳文化じゃない。
それでも邪馬台国や卑弥呼にこだわるのかい?
445名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)19:48:13.53ID:KU4oewp30
>>292
ジンムの東移動にあるように
九州は大和朝廷の支配下なんだよ
293名前:名無しさん@1周年ID:
>>290
しかし庄内式は、伊都国があったと言われる糸島半島ではほとんど出ない
糸島ではこの時期の畿内の影響がほぼなく、隣の福岡市に比べて浸透が遅い
卑弥呼の代官である一大率が置かれていたとされる場所なのに
その一大率が畿内から来ていたとしたら、不自然過ぎる
295名前:名無しさん@1周年ID:
>>290
誰がそう言ってるのかそのバカ学者の名前を挙げてくれ。

土器様式によって勢力圏を判断するという畿内説的思考で考えると、
東海政権がTOP政権となってしまう件w

■畿内説曰く
3世紀に入ると九州で畿内式土器が出現する。
これは畿内政権が北部九州を傘下においていた事を意味する。

■九州説曰く
それは畿内が北部九州に納品(献上)していた物であり、
逆に纏向では九州産の土器は出土しない。
畿内は北部九州の傘下にあったとも考えられる。

■東海説曰く
同時期の纏向遺跡からは東海式土器が大量に出土する。
これは纏向が東海政権の傘下にあった事を意味する。

299名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)12:08:45.11ID:yHYVSHXS0
>>289
その「連合体があった」とか「王権と呼べるほどの勢力はない」とか「畿内に別勢力があった」というのは想像の範囲でしかないから邪馬台国論争があるんだよ。

5世紀になれば強力な勢力がヤマトにあったのは事実だから、そこに至るプロセスを探るのが本題。
場所論争は空白の4世紀を埋めるスタートラインの設定論争に過ぎない。

305名前:名無しさん@1周年ID:
>>299
想像ではないよ。
要するに、残された遺構から判断してるの。
古墳、土器、副葬品、棺、刀、銅鐸、銅矛
これらから、実用品ではないものから、王権を考える。
実用のために使うのではなく、権力や地位の身分を表すものや古墳。
土器は実用性が高いから、権力を考えるときにはあまり参考にならない、当時の流通は参考になるけど。
で、畿内と南九州には、古墳で大きなつながりがある。
で、邪馬台国は朝鮮半島と交易してるから、邪馬台国が巨大であったり、畿内の本拠地があったら、
埋葬や副葬品に大陸や朝鮮半島の文化を深く影響をうけたものがでてくるはずなんだよ。
古代と墓は切っても切り離せないし、権力を物語るわけで。
304名前:名無しさん@1周年ID:
邪馬台国の南の狗奴国
魏志倭人伝の狗奴国の版図は南河内と和泉だろう

元々狗奴国は畿内くらいの版図があったんじゃないかな
2世紀末の畿内征伐で、なにわ、北河内、ヤマトは卑弥呼を共立した勢力によって征伐されたんだろうな

狗奴国の官、狗古智卑狗は河内彦だろう

336名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)13:28:42.92ID:8Q3q0MBb0
>>304
>邪馬台国の南の狗奴国
後漢書には「東」と書いてるw
342名前:名無しさん@1周年ID:
>>336
後漢書は三国志より150年くらい後の5世紀前半に書かれいてるから
三国志の方が正しいだろうね
南を東と間違えたのは、5世紀に新たに邪馬台国の東に新興勢力が出現していたのかもな。
394名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)18:23:14.17ID:8Q3q0MBb0
>>342
アホちゃうかw
三国志にも色々有ってな
古田武彦が「邪馬台国はなかった」を捏造した時に読んだのは
范曄より700年ほど遅い趙宋代に刊行された紹煕本 (1190~1194)。
(h)ttp://www.furutasigaku.jp/jfuruta/sinjitu7/wakusi23.html
後漢書を書いた南朝宋の范曄が読んだのは陳寿が書いた
改竄されてない原典版魏志倭人伝。
ヤマト国の書き方が後漢書は「邪馬臺國」
古田が読んだ紹煕本魏志倭人伝は「邪馬壹(=壱)國」と改竄されてる。
紹煕本より完成が古い《太平御覧》は原典版『三国志』を引用した部分で
「邪馬臺国」。
唐代の『北史』では「居于邪摩堆 則魏志所謂邪馬臺者也」で
これも「臺≒台」だ。
原典版魏志倭人伝が「邪馬壹(=壱)國」だったと証明できる資料は無い。
これらの事を総合すれば紹煕本魏志倭人伝は信憑性が低い。
307名前:名無しさん@1周年ID:
邪馬台国というのは、
三国志に記録された、247年までは存在した九州の小国
であることは 600年辺りでこれを読んだ、聖徳太子ですら看破している。

倭人伝を読んでも、当時の中国人が、
卑弥呼を大倭王と認識していないことは明確に読み取れる。

この時の旅程記録で、女王の居所は帯方郡から南方一万二千里
この謎の里程は基準として、壱岐対馬間が千里である。
国勢は7千戸、女王共立諸国を周旋しても5千里しかない。

このほかの日本列島について、中国人の認識は
女王國東 渡海千餘里 復有國 皆倭種 であるが
其餘旁國遠絶 不可得詳 と言っている。

なんで大和が、この邪馬台国にふさわしいんでしょうか?
九州説で良いんだけれど、この時の九州が東征しないと
大和起源の日本国が誕生しないとかも、アホですか?

金印貰ったからって大倭王である必要は無い、って根拠は、
志賀島でそれ以前の小国の金印出てるんじゃないのかな?

312名前:名無しさん@1周年ID:
>>307
畿内説(大和説)がいつまでもアホなこと
言ってなければね、これで終わった話なのに
313名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)12:39:45.73ID:+1FW7g1D0
>>312
むしろこのスレは、九州説がアホなこと言って嘲笑されるスレになってるのが残念だよな
317名前:名無しさん@1周年ID:
>>313
うん、なんか九州説もまとまりがない
人によって言ってることがまちまちだし
321名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)12:44:28.35ID:LzneAw7T0
>>313
全うな畿内説なんて聞きたことないけど?
332名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)13:12:26.28ID:+1FW7g1D0
>>321
うん。近畿説も結局魏志倭人伝捻じ曲げなきゃ成立せんもんな。
物証も「それっぽい」というだけで、確定できるものは何ひとつでてない。
そういう意味じゃ畿内説も微妙だわな。

ただ、このスレみてる限り、九州説訴えてる奴のキチっぷりが目立つって話。

328名前:名無しさん@1周年ID:
>>312>>313
おまえらアホだな。
むしろ、俺は邪馬台国や卑弥呼はザコ扱いし、
神武天皇やその近辺を探る方が、古代はわかりやすくなると思うね。
結局、邪馬台国の遺構はないし、残されたものもない、しかも中国側の資料でしかない。
その資料もあやふやな記述で一致しない。
よくこんなんで、邪馬台国論争がおきるのか不思議でしょうがない。
ようするに、ファンタジーなんだけど、それを真面目に考えちゃってる。
で、数少ない日本の記録は、神話扱いしてファンタジー扱いしちゃてる。
なんか、考える前提が違うんだろうな。
魏志倭人伝みたいに、正史として描いてるのに、間違ったり、一致しない記述なら粗末な史料だわ。
だけど、神話とかフィクションを導入するのは、なにか強調したい事実があるのであって、そのフィクションですら事実やゆかりから借りてくるもんだよ。
そこに探求の目を向けられないだから、地頭がよくないんだろう。
魏志倭人伝なんか、真面目に史料扱いしてるのが痛い。
はっきり言って適当だし、邪馬台国が中国の救援と援助のために、かつ舐められないために、
都合のいい話しを中国に話したことをまとめてるだけ。
邪馬台国の位置についても、中国に万一侵略される可能性も考えて、意図的に間違えた情報を伝えたことも否定できないと俺は思ってるね。
いろいろな可能性があるのに、可能性を探らない、記述だけで考えるアホばかり。
333名前:名無しさん@1周年ID:
>>328
うん、まあそうなんじゃない?

それでも粘る畿内説がいたおかげで
こちらは伊勢説にたどり着いたということ

311名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)12:37:22.72ID:LzneAw7T0
狗奴国に攻められて中国に助けを求めるぐらいの規模だという事を忘れてるよ。
つまり女王国の方が小規模だった可能性が高い。
319名前:名無しさん@1周年ID:
>>311
実際に九州は北部よりも南部の方が人口は多かったからね。
九州北部4万人
九州南部6万人

出典
鬼頭宏、『図説 人口で見る日本史―縄文時代から近未来社会まで』、PHP研究所、2007年。

322名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)12:46:11.20ID:LzneAw7T0
>>319
九州邪馬台国連合30国vs狗奴国連合70国
326名前:名無しさん@1周年ID:
>>322
そういう事だろうね。

吉野ケ里なんかで出てる槍の刺さったままの遺体なんかは、倭国大乱ではなく狗奴国に蹂躙された時のもの。

普通戦乱の後同族が残ってたら、遺体は回収され埋葬される。
そのまま放置されてると言うことは敵国の遺体だから。

341名前:名無しさん@1周年ID:
>>311
女王国側が敗戦を迎えた事は魏志倭人伝からも読み取れる。

3年から5年程度のサイクルで挨拶をしていたのが、266年の壹與の朝貢を最後に途絶える。
魏は275年まで存続していたわけで、少なくとも後1、2回の朝貢の記録が必要。
ないという言葉、朝貢がなかったということ。
魏が親魏倭王に任命した国が滅びたとは、メンツの問題もあり書けなかったということ。

343名前:名無しさん@1周年ID:
>>341
朝貢が減っただけで女王国側が敗戦を迎えたとか
理論が飛躍しすぎだなw
349名前:名無しさん@1周年ID:
>>343
印綬で臣下になった側は定期的に挨拶をするのが義務。
それを怠ることは不忠とされる。

汝所在踰遠 乃遣使貢獻是汝之忠孝 我甚哀汝 今以汝為親魏倭王

遠方から挨拶に来た忠孝をいとおしく思うから親魏倭王に任命すると、実際に書かれてる。

朝貢や外臣は、挨拶に来なくてもよいような、適当なものではない。

352名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)15:01:03.66ID:LzneAw7T0
>>349
台与の時代に、遠いんだから毎年来なくても構わないと言われてなかったっけ?
353名前:名無しさん@1周年ID:
>>352
魏志倭人伝には書いてないな。
407名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)18:54:44.71ID:8Q3q0MBb0
>>349
>今以汝為親魏倭王
>親魏倭王に任命する
元の漢文に「任命する」という文言は全くない。
「以汝為~」は「汝を~と思う」という意味で
「親魏倭王と見なす」程度の意味合いだわなwww
戦国策とか史記本紀の原文全部を読破してから書けよ

漢文読解の参考書として薦められるのは
漢語文法論 古代編 牛島徳次著 大修館書店
この書は司馬遷の「史記」の中から
例文を拾って解説したものだ。

345名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)14:41:48.08ID:LzneAw7T0
> >>341
> 朝貢が減っただけで女王国側が敗戦を迎えたとか
> 理論が飛躍しすぎだなw

実際、武帝紀289年の記録では東夷30国としか書かれておらず、
その後も女王に関する記事は出てこない。

このあたりが邪馬台国時代の終わりとミテ間違いなさそうだよ。

348名前:名無しさん@1周年ID:
>>345
朝貢が減った原因は日本側ではなく中国の政治が混乱したからとも考えられる。
351名前:名無しさん@1周年ID:
>>348
言うと思ったが、、、

魏から晋への交代は禅譲の形で行われており、そもそも249年から司馬一族が実権を握っていた。

367名前:名無しさん@1周年ID:
>>351
265年に晋が成立するも291年には八王の乱が起きて動乱の時代が始まるからな。
376名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)17:51:11.74ID:yHYVSHXS0
>>367
倭国のアクセスポイントだった帯方郡、楽浪郡とも高句麗に滅ぼされたからな。
帯方郡だった場所に百済が興って東晋に冊封を受けたのが5世紀。
するとまた倭国の記事が出てくる。

帯方郡が高句麗に滅ぼされて、高句麗と争う倭国が書かれてるのが広開土王碑文。
倭国が大陸とアクセスするために帯方郡、百済の場所は生命線だったということだろう。

378名前:名無しさん@1周年ID:
>>376
仮に邪馬台国が生き残ってたとし、その後どうなった?
記紀には日向国の高千穂から、神武さん御一行が東遷したとはあるが
392名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)18:22:08.82ID:yHYVSHXS0
>>378
5世紀に久々にして強烈なインパクトで登場するのが倭の五王だな。
この時の倭国の性格は卑弥呼の時代の呪術的なのんびりした印象から100年の間に軍事国家に替わってる。

神武東征のモデルがあるとしたら征服王朝として五王が九州から畿内を征服したのか、それとも東征ではなく畿内から興って九州を制圧したのか。
原因はわからないが国の性格が大きく変わった時代。

395名前:名無しさん@1周年ID:
>>392
神武東征はネタ。
作り話し。
397名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)18:34:52.51ID:LzneAw7T0
>>395
俺もそう思ってたけど、狗奴国が邪馬台国を滅ぼして東征したのだとすると、年代は違えど神武東征のモデルかもなと感じる。
403名前:名無しさん@1周年ID:
>>397>>399
神武東征はネタ。
作り話し。
考古学的に否定済み。
399名前:名無しさん@1周年ID:
>>395
本当に作り話なんだろうか?

在位年は2倍説でクリアーできる。
距離を5~6倍するのが良いなら、期間を2倍しても良かろう。

413名前:名無しさん@1周年ID:
>>399
三世紀の最先端を行くはずの邪馬台国ですら

魏略曰 其俗不知正歳四節 但計春耕秋収 為年紀

カレンダー未実装で季節の移り変わりに合わせて農作業してたレベル。

417名前:名無しさん@1周年ID:
>>413
それでも天体の運行は読んでいたんだよ
伊勢の朝熊山もそういう観察ポイントだった
423名前:名無しさん@1周年ID:
>>417
そんな話し無くね?
425名前:名無しさん@1周年ID:
>>423
あ、ごめん
邪馬台国=伊勢って前提で書いてます
426名前:名無しさん@1周年ID:
>>425
いやそこじゃなくて、天体の運行を見てたって話
428名前:名無しさん@1周年ID:
>>426
そこが日の出を観察するポイントだった
と現地に書いてあったのと

ほかの磐座&遺跡(系神社)が天体の運行や位置
にかなり符合してるって話をまとめて書いてます

433名前:名無しさん@1周年ID:
>>428
あゴメン説明不足だった。
そっちじゃなくて、魏志倭人伝に邪馬台国や卑弥呼が天体を読んでいたなんて記述はないよね?
438名前:名無しさん@1周年ID:
>>433
こちらこそ紛らわしくてすまそ
自分的にはすでにそれがデフォになってたので
申し訳ないです
432名前:名無しさん@1周年ID:
>>426
ちなみにそのカテゴリが「月読」なのかなと
個人的には考えています
465名前:名無しさん@1周年ID:
>>425
間違い。
444名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)19:48:08.63ID:8Q3q0MBb0
>>423
日本語で書けよwww
431名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)19:26:22.93ID:8Q3q0MBb0
>>399
神武即位がBC660年の旧正月というのが
中国の辛酉革命説に合わせた捏造
出雲の国譲りは古代中国の「禅譲」の猿真似
生駒山西山麓で長脛彦の邀撃に負けて東から奈良の宇陀の方から責めて
饒速日と同じ天孫族と判って饒速日が義理の弟の長脛彦を殺したというのも可笑しな話。
401名前:名無しさん@1周年ID:
>>395
作り話だとしてもその元ネタ、または
どんな理由で東征話を入れたか考察するのが大事。

4世紀であろう景行紀の九州各地の逸話では
九州を祖先の出た地とし熊本周辺で知る限りは2,3出てくる。
他国の王権神話系で出自はメイン(始めか終わりで)として
出すところ、端っこのほうでポツンポツン出してる。

モデルかもの応神の東征にしても、九州に王権継承の下地が
ないと、記紀が書いてる畿内での戦いで決着は付かなかったろ。

404名前:名無しさん@1周年ID:
>>401
近畿日本が神武を招いて頭に据えたんだよ。
東征は単なる旅行譚を脚色捏造したもの。
362名前:名無しさん@1周年ID:
>>341
戦では不利なはずなのに邪馬台国は負けてないんだよな。

狗奴国相手に苦戦していて魏に応援を求めてる状態で卑弥呼が死去、
トヨタが立つまでに後継王位を巡って内戦で犠牲者多数出たとなってる。
そんな時に狗奴国に総攻撃されたらイチコロで負けそうなものなのに。

だから卑弥呼は狗奴国王の卑弥弓呼と普段から仲が悪いとの記述は双方の
個人的な確執が大きい気がする。つまりどちらかが死ぬと戦う理由がないとか。

365名前:名無しさん@1周年ID:
>>362
平和になってたら266年の朝貢で途切れてるのが説明つかないよ。
369名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)17:23:57.96ID:LzneAw7T0
>>365
台与が自殺した。
つまり台与がモモソ姫。
327名前:名無しさん@1周年ID:
湿潤耳垢:縄文系
乾燥耳垢:半島(ツングースク)系

この乾燥耳垢圏がまさにヤマト政圏だな。
(もちろん北海道を除く)

335名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)13:18:41.52ID:8Q3q0MBb0
>>327
二重まぶた、ウィンクできるヤツの出現率も出せよ
シミ・ソバカスの出現率もな
337名前:名無しさん@1周年ID:
>>335
>二重まぶた、ウィンクできるヤツの出現率も出せよ
>シミ・ソバカスの出現率もな

そんな統計見たことねえよw
お前がとってこい。

ちなみに耳垢の違いは、
免疫機構の違い=種族保存機能の違い=人種の違い。
近い将来DNAで明確に分別できるだろう。

346名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)14:52:16.61ID:LzneAw7T0
>>327
やばいw
偶然とは思えないねw
344名前:名無しさん@1周年ID:
ゴッドハンド再発か?

畿内説は、纏向周辺の箸墓古墳、勝山古墳は3世紀の墓だ
と主張しているが、5世紀の馬具(木製輪鐙)も出土している。

畿内説は正直でないので、九州説はこれを疑っている。

347名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)14:54:43.65ID:LzneAw7T0
>>344
中を見て確認したわけでもないのに、あたかも3世紀で確定しているかのように発表できる学会ってw
もはや宗教でしょそれw
350名前:名無しさん@1周年ID:
>>347
被葬者のDNAと年代測定は必須だな。
368名前:名無しさん@1周年ID:
箸墓を掘らせてくれ。。
370名前:名無しさん@1周年ID:
>>368
いいよw
ほぼ全体が石積みらしいから掘るの大変そうだけどw
371名前:名無しさん@1周年ID:
>>370
あんさんが宮内庁の偉い人やったらええんやがなー
373名前:名無しさん@1周年ID:
>>371
詳細調査をするでもなく、一方的に市民の土地を押さえる権限を宮内庁が持っているのか?

少し疑問だな。

375名前:名無しさん@1周年ID:
>>373
前に宮内庁が許可出して、ちびっと箸墓の周りを掘ったか調査したかしたからな
宮内庁さえその気になればなんとかはなるんじゃないの
あそこの土地の所有権とかは知らんが、、
主体部を掘って欲しい
377名前:名無しさん@1周年ID:
>>375
ちびっと掘ってたねw
ちびっと映像見たけど想像以上に石が敷き詰められてた。
魏志倭人伝の「土を盛った塚」というには無理がある構造だね。
372名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)17:37:15.90ID:jvj6ypfwO
単純に箸墓、歯氏の墓でいいだろ、黒歯国だな。
374名前:名無しさん@1周年ID:
>>372
箸墓が造られた時代に「箸」は無かったのでご自由にw
389名前:名無しさん@1周年ID:
>>372
間違い。黒歯国はハワイだよ。
381名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)18:07:42.01ID:tBLHUzLU0
なんで邪馬台国を大和にしたいんだろう?
邪馬台国と大和は別物じゃんw
398名前:名無しさん@1周年ID:
>>381
邪馬台国奈良説の人も邪馬台国と大和朝廷は文化も制度も明らかな違いがあると認めてるんだよな。
だけどその間を繋ぐ根拠が怪しいという。
420名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)19:03:21.38ID:yHYVSHXS0
>>398
最大の謎は入れ墨。
魏志倭人伝には倭人は黥面文身、顔と身体に入れ墨をして部族によって違いがあるとある。
ところが日本書紀では日高見の蝦夷や九州の久米氏が入れ墨をしてて、それを不思議がる様が書かれてたり、履中天皇が気持ち悪いから止めさせたとか書いてあって、4~5世紀のヤマトには入れ墨文化がない。
459名前:名無しさん@1周年ID:
>>420
縄文人は刺青やってたが弥生人はやってないってことなんだろ
475名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)20:12:32.66ID:KU4oewp30
>>420
百年前まで刺青お歯黒残ってた
アイヌ沖縄台湾にも
648名前:名無しさん@1周年ID:
>>420
師弁なんて倭面土国王なんて呼ばれてんだよ
卑弥呼の時代まで刺青文化圏なのは明確
アイヌも刺青文化あるし、揚子江以北の非刺青文化圏に勢力を奪われた証
424名前:名無しさん@1周年ID:
>>398
イミフwww
なにそのアクロバット擁護wwww
453名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)19:58:04.35ID:msWeetSI0
>>398
ジャイアンツゼロさんですか?
385名前:名無しさん@1周年ID:
末盧のから伊都国が東南になってるのは陳寿が間違えたんだろうな。
東南ではどうやっても山の中になる。
伊都国は港湾都市のはずだからこれはおかしい。
東と南が沢山出てくるからつい間違えたのだろう。
天才陳寿と雖も間違いはあると。
405名前:名無しさん@1周年ID:
>>385
伊都国は港湾都市ではない、港湾都市は末盧国
伊都国で治めるとあり、世有王と書かれているから倭の都

末盧国(呼子か名護屋浦)に上陸し「濱山海居」
東松浦半島内を南下「草木茂盛 行不見前人」
唐津市街地で伊都国方面の東に向きを変え二丈付近を進む「好捕魚鰒 水無深淺 皆沈没取之」

410名前:名無しさん@1周年ID:
>>405
伊都国は港湾都市。

 

414名前:名無しさん@1周年ID:
>>410
根拠は?
416名前:名無しさん@1周年ID:
>>414
イミフ。港湾都市で無いことを言え。
429名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)19:22:37.02ID:yHYVSHXS0
>>416
伊都国は港湾都市ではないと思う。
港湾都市を成してたのは2万余戸あった奴国で、伊都国は千余戸しかないのに一大率が置かれ、諸国から恐れられ、皆女王国に統属すると書いてるから、奴国や北部九州諸国を監視したり外交を監督する邪馬台国が出先として作った軍事都市だと思う。
430名前:名無しさん@1周年ID:
>>429
伊都国にあった一大率は
王が使者を魏の都や帯方郡や諸国に遣わしたり、使者が帯方郡から来たりした時は
いつも港に出向いて調査・確認する
(王遣使詣京都帯方郡諸韓國及郡使倭國 皆臨津捜露)
とあるから、(毎回わざわざ遠くに出向くとも思えないので)
港が伊都国かその近くにあった、て可能性はあるかと
436名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)19:33:43.83ID:yHYVSHXS0
>>430
外交使節用の官製の港はあったかもね。
468名前:名無しさん@1周年ID:
>>430
可能性じゃ無くてモロそうだよ。
違うと言うヤツがただのバカ。
481名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)20:16:21.23ID:gthz66Ph0
>>430
陸行500里で末盧港が使える
494名前:名無しさん@1周年ID:
>>481
末盧国は、倭人伝では、草木茂盛行不見前人
な国
ここは恐らく末盧国から伊都国までの道の状況では、と思う
今でも唐津と糸島半島の間は山が海に迫る険しい地形だし
未整備だった可能性は多いにあると思う
一大率が頻繁に行くには相応しくない気がするが
506名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)20:28:19.05ID:gthz66Ph0
>>494
なら一支国から直接伊都国に入港してただろう
521名前:名無しさん@1周年ID:
>>506
一支から伊都ではなく末盧に行ったのは
渡海に当たって慎重を期したのかも知れないし
単に風の影響で末盧に着いたのかも知れない
もしくは倭人の記録として必要だから敢えて末盧国を経由したか
406名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)18:54:40.38ID:BxxZoLaf0
台予はトヨって読むくせに邪馬台国はヤマタイなの意味わからん
普通にヤマトのことじゃねーの?って昔から思ってた
411名前:名無しさん@1周年ID:
>>406
ヤマトでいいよ。山門のことね。
412名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)18:58:12.79ID:xxDdoSn90
>>406
そういうバカでかい釣パリにかかる奴もいるのは、居る。
434名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)19:33:02.29ID:8Q3q0MBb0
>>406
ヤマタイは魏や普が滅亡し匈奴系鮮卑系が中原を征服した時代以降の発音。
ほぼ民族が入れ替わってるのは朝鮮半島と同じ
415名前:名無しさん@1周年ID:
邪馬台国→山門国
投馬国→妻国
不弥国→宇美国
狗奴国→球磨国

こういうこと。

 

443名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)19:45:58.97ID:8Q3q0MBb0
>>415
>不弥国→宇美国
これは横光利一の小説「日輪」で卑弥呼の出身地が
不弥国(うみ)と振り仮名したためで
全然根拠のな小説の中の作り話に過ぎない。

九州説は古田教や小説などの作り話の洗脳されやすい池沼wwwww

474名前:名無しさん@1周年ID:
>>443
いいから糞食ってろ知恵遅れ
476名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)20:13:56.76ID:KU4oewp30
>>443
学力低下著しいなw
479名前:名無しさん@1周年ID:
>>443

この低脳低学歴はおいといて、不弥国=宇美国は本居宣長の説な。
485名前:名無しさん@1周年ID:
>>443
本居宣長が言った有名な説だからそれを借りたんだろがこの糞低学歴が。
540名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)20:57:31.97ID:8Q3q0MBb0
>>485
言語学的にありえない話だな
それじゃ不弥→宇美のように
昔ハ行、パ行始まりでだったが
現代ではア行始まりとなった例を挙げてみろよ
542名前:名無しさん@1周年ID:
>>540
いいから死ね糞食い低学歴

 

568名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)21:41:40.41ID:8Q3q0MBb0
>>542
糞食い朝鮮植民地池沼野郎は静かにしてようね
988名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)15:00:58.65ID:Apm/bNNa0
>>972
議論の出発点の
>>540
>それじゃ不弥→宇美のように
>昔ハ行、パ行始まりだったが
>現代ではア行始まりとなった例を挙げてみろよ
を読んでから書き込め、バカ

pumi(ハ行音mパ行音バ行始まりの不弥)を
umi(頭子音pが無くなったア行始まりの宇美)にコジツケてるから

ぱたし>あたし、パタツミ>アタツミという例を出せ
てことだ。

989名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/06(土)15:29:45.09ID:eHb7N7p70
>>988
なるほど、すまん。
でも、ワ行の「ウ」とア行の「ウ」は、どっちも「u」でいいんじゃなかろうかと。
427名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)19:16:11.38ID:pi8lcBBb0
面倒臭えなあ、奈良県を福岡の飛び地にすれば起源は解決だろ
441名前:名無しさん@1周年ID:
>>427
奈良はウリナラマンセーのナラつまり国の意味
奈良は韓国の飛び地だよw
520名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)20:37:22.00ID:8Q3q0MBb0
>>441
北九州は卑弥呼の昔から朝鮮の植民地www
527名前:名無しさん@1周年ID:
>>520
北九州だけが中国や朝鮮由来の土器が出るからな。
明らかに他の地域とは交流交易の形跡がない。

畿内にせよ吉備や中部、関東にしても交流交易の形跡があるにも関わらずね。

つまり「世界が北九州から孤立してる」ってやつだな。

466名前:名無しさん@1周年ID:
>>427
お前が死ねば解決。
449名前:名無しさん@1周年ID:
糸島自体には、当時の畿内勢力の影響がほぼ見られないのだし
伊都国自体は畿内を繋ぐのは難しい気もする
糸島自体は記紀では13代仲哀の時に降ってて、他の地域より若干遅い
糸島の遺跡も畿内式は主に布留式からで、隣の福岡市より畿内勢力の下に入ったのは遅かったように見える
462名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)20:06:12.96ID:KU4oewp30
>>449
北九州な国に女王の境界があるから
百年前まで刺青文化ちょこちょこ残ってた
471名前:名無しさん@1周年ID:
>>462
意味が分からん
467名前:名無しさん@1周年ID:
日本書紀を見る限り、ヤマト政権は四世紀前半以降の半島からしか知らないしな
中国に至っては魏も晋も(魏志の引用以外)知らない。帯方郡も楽浪郡も知らない
486名前:名無しさん@1周年ID:
>>467
ヤマト王権を含め列島に存在するすべての国は九州北部をリーダーとして従っていた

つまり日本の外交機関は大宰府であり、中国がヤマト王権の存在など気にしていなかった

ところが隋唐と北方異民族が中国を支配し九州北部の倭国は焦った

今まで朝貢してた漢民族の中国様がいなくなって野蛮人がボス面しだしたから

こうなったら俺らが中国の正統後継者なんじゃいと倭国は隋唐と対等外交を展開した

そもそも九州は中国周王朝の尊称

敵の敵は味方

でヤマト王権は倭国を裏切りひそかに唐と結託して倭国を滅ぼし日本を創った

これで列島全国の国が「ふざけんな」で大反乱

征夷大将軍坂上田村麻呂を東国に派遣してあずまえびす共を鎮圧し

以後、日本はヤマト王権を中心に動いていくって流れ

490名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)20:20:25.98ID:KU4oewp30
>>486
妄想してもしょうがない

テストで空想書き込んでも0点しかあげられない

503名前:名無しさん@1周年ID:
>>490
学者連中はヤマト王権の史実に従う犬だから真実を知らないだけ
いや知っていても認められないだけ
508名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)20:31:44.90ID:xyuVNUCf0
>>503
白石さんてさあ、メディアに対しても「邪馬台国は絶対に奈良にあったんだ」と言いながら調査やってた人だからねw
学者でも研究者でも素人でも無いよこんな人w
514名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)20:35:35.20ID:KU4oewp30
>>503
>>507
バカなやつ
論文すら読んだことないの丸わかり
543名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)21:01:30.73ID:8Q3q0MBb0
>>486
物凄く説得力有るけど
池沼しか居ない九州説派には理解できない話だ。
545名前:名無しさん@1周年ID:
>>543
涙拭けよリアル知的障害者の近畿パーww
478名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)20:14:17.87ID:gMiFH+lL0
あった場所すらはっきりしない、つまりその程度の国だった、てことだよ
483名前:名無しさん@1周年ID:
>>478
大和政権に完全に葬り去られたんだよ
いや、地球上の話では無くされたというか
487名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)20:18:49.48ID:KU4oewp30
>>483
ついに妄想を自白
489名前:名無しさん@1周年ID:
>>487
は?神話の話なんだけど
488名前:名無しさん@1周年ID:
 

邪馬台国→山門国

投馬国→妻国

不弥国→宇美国

狗奴国→球磨国

こういうこと。

 

495名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)20:21:32.73ID:yHYVSHXS0
>>488
邪馬台はやっぱりヤマトなんだ
498名前:名無しさん@1周年ID:
>>495
そうね。台与がトヨなんだから邪馬台はヤマトだね。
501名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)20:24:57.14ID:yHYVSHXS0
>>498
つまり奈良のヤマトは九州の山門が移ったてこと?
519名前:名無しさん@1周年ID:
>>501
違う。勝手に騙っただけ。
旧唐書にある通り。
526名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)20:47:46.40ID:yHYVSHXS0
>>519
旧唐書は倭国か日本かの話でヤマトと語ったことは書いてないと思うが?
549名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)21:08:28.91ID:8Q3q0MBb0
>>498
後漢書には狗奴国は邪馬台国の東だと書いてある。
古田武彦が読んだ宋版魏志倭人伝は方位に関して信憑性が極めて低いw
559名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)21:24:21.78ID:4m43vnEq0
>>549
そういえば奈良の東は纏向のお仲間だったね
523名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)20:45:19.73ID:xyuVNUCf0
畿内でヤマトと呼べる場所があるとすれば、確かに河内側からみた大和川だね。
しかし王子に抜けるまでの間は急流で、とても船で遡れるような川じゃないよ。
536名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)20:55:10.53ID:KU4oewp30
>>523
難波より河内湖生駒山ふもとまで船つける方が合理的だね
539名前:名無しさん@1周年ID:
>>523
船で遡上しようとしたわけない。
川辺を歩いて遡上しようとした。

日本書紀では浪速之国の白肩之津まで船で行き、そこから歩いて生駒山を越えようとしたとある。

546名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)21:04:58.42ID:xyuVNUCf0
>>539
歩ける川岸が無い。
意外と峡谷だから。
564名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)21:34:21.59ID:8Q3q0MBb0
>>539
普通に徒歩なら暗峠とか十三峠、大和川沿いの柏原を通るルートだな
582名前:名無しさん@1周年ID:
>>564
それは今の地形での発送としては正しいが、河内湾の造営や大和川も付け替え前だからね。
544名前:名無しさん@1周年ID:
古代日本語では、わ行音とは行音は非常にしばしば混同された。
「私は」と書いて「ワタシワ」と読むのはその名残り。
宇美は恐らくwumiで、humiと混同されていただろうと言うこと。
それが本居宣長の説。
577名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)21:48:39.04ID:8Q3q0MBb0
>>544
言葉の最初の「ハ=pa、fa」と語中、語尾の「ハ=pa、fa」では
音韻の変化の仕方が違うってのを知らないのは藤四郎wwwww
591名前:名無しさん@1周年ID:
>>577
いいから糞食ってろカタワw
972名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/06(土)13:50:32.17ID:eHb7N7p70
>>544, >>577
横からすまんが、語頭の「ハ=pa、fa」がワ「wa」に変化した例では、
古朝鮮語で海を表す「ハタ」 → 日本語の「ワタがあるね。
「ワタ」は海神の「ワタツミ」や海原の「ワタノハラ」などに残っている。
988名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)15:00:58.65ID:Apm/bNNa0
>>972
議論の出発点の
>>540
>それじゃ不弥→宇美のように
>昔ハ行、パ行始まりだったが
>現代ではア行始まりとなった例を挙げてみろよ
を読んでから書き込め、バカ

pumi(ハ行音mパ行音バ行始まりの不弥)を
umi(頭子音pが無くなったア行始まりの宇美)にコジツケてるから

ぱたし>あたし、パタツミ>アタツミという例を出せ
てことだ。

989名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/06(土)15:29:45.09ID:eHb7N7p70
>>988
なるほど、すまん。
でも、ワ行の「ウ」とア行の「ウ」は、どっちも「u」でいいんじゃなかろうかと。
972名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/06(土)13:50:32.17ID:eHb7N7p70
>>544, >>577
横からすまんが、語頭の「ハ=pa、fa」がワ「wa」に変化した例では、
古朝鮮語で海を表す「ハタ」 → 日本語の「ワタがあるね。
「ワタ」は海神の「ワタツミ」や海原の「ワタノハラ」などに残っている。
988名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)15:00:58.65ID:Apm/bNNa0
>>972
議論の出発点の
>>540
>それじゃ不弥→宇美のように
>昔ハ行、パ行始まりだったが
>現代ではア行始まりとなった例を挙げてみろよ
を読んでから書き込め、バカ

pumi(ハ行音mパ行音バ行始まりの不弥)を
umi(頭子音pが無くなったア行始まりの宇美)にコジツケてるから

ぱたし>あたし、パタツミ>アタツミという例を出せ
てことだ。

989名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/06(土)15:29:45.09ID:eHb7N7p70
>>988
なるほど、すまん。
でも、ワ行の「ウ」とア行の「ウ」は、どっちも「u」でいいんじゃなかろうかと。
554名前:名無しさん@1周年ID:
九州説はまず候補地決めようね
569名前:名無しさん@1周年ID:
>>554
北部九州全体が邪馬台国だよ
邪馬台国は卑弥呼を共立した北部九州の国々の連合体の名称。
587名前:名無しさん@1周年ID:
>>569
それは違う。邪馬台国は首都みたいなもの。
555名前:名無しさん@1周年ID:
朝鮮人DNA濃度が日本一高い近畿
もちろん朝鮮人政権大和のせいである
593名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)22:13:36.96ID:8Q3q0MBb0
>>555
しかし言葉のアクセント=抑揚から見れば
近畿圏は中国語的
北九州は朝鮮語的
涙拭けよ九州派www
596名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)22:14:59.39ID:vSGy4Q0S0
>>593
朝鮮遺伝子MAXの近畿が何を言うのかな
はっきり言えば近畿人とは朝鮮人じゃね
601名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)22:33:27.15ID:xyuVNUCf0
>>596
あたりです。

[半島系]乾燥耳垢
[縄文系]湿潤耳垢

以下、都道府県別の乾燥耳垢率

北海道:67.4%
宮城:65.6%
東京:67.6%
新潟:75.0%
長野:77.1%
愛知:81.3%
奈良:100%
大阪:94.7%
広島:74.7%
福岡:59.4%

604名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)22:44:22.08ID:vSGy4Q0S0
>>601
ホンマや
778名前:名無しさん@1周年ID:
>>601
長野が意外だな
なんか御柱祭で縄文ってイメージがある
岡本太郎の影響かな
558名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)21:23:14.60ID:KU4oewp30
奈良は本州の中心だから有利

四道将軍派遣してる
伊勢湾
琵琶湖
大阪湾

560名前:名無しさん@1周年ID:
>>558
その系統(崇神系)は武内宿禰に○されてんじゃないの
そんで武内宿禰が連れてきた朝鮮人貴族が連れてきた馬と馬具で作った箸墓
どんな被葬者か想像がつくわい
584名前:名無しさん@1周年ID:
>>558
畿内説は否定証明完了済み。

 

570名前:名無しさん@1周年ID:
近畿の3世紀以前は銅鐸土人の時代。
この時代の中心は出雲であって近畿ではない。
572名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)21:45:20.63ID:KU4oewp30
>>570
バカだなあ
青銅器サイシもガッツリ中国の文化だよ
634名前:名無しさん@1周年ID:
>>572
はぁ?
オンドルと下戸遺伝子で中華確定だけど
近畿人が倭の別種と唐王朝に看破されたのは
顔からして中国人だったからだろ
それくらい理解しろよ馬鹿だな
679名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)04:25:08.35ID:c20Hfjne0
>>634
オンドルは朝鮮系よ思ってたけど違うのか
なんで「オンドル」なんていう漢字の朝鮮読みの言葉を使うんだ
571名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)21:44:35.13ID:4m43vnEq0
新唐書では神武の一族は代々筑紫城に住んでたとバラされてる
代々筑紫城に住んでたくせに日向から東征したとかホラを吹いた
倭国大乱で敗北して逃亡したことをどうにかして誤魔化そうとしたのが神武東征なろう小説
576名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)21:47:02.60ID:KU4oewp30
>>571
元々北九州は皇室大王の支配地域なんだよな
580名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)21:56:51.70ID:4m43vnEq0
>>576
漢委奴国王の一族が倭国大乱の際に逃亡して、流れ着いた先が奈良だろうね
その際に吉備に相当助けられて後ろ盾になってもらったとかあるのかもしれない
585名前:名無しさん@1周年ID:
>>580
いいから糞食ってろチョンww
663名前:名無しさん@1周年ID:
>>580
邪馬台国前の倭国大乱で負けて北九州から畿内に逃げたのが東征のモデル、なるほどね。

ならなんで記紀に天皇家は日向国出身と書く?
大和朝廷にとって日向国を重視する理由あるのかな。

665名前:名無しさん@1周年ID:
>>663
何がなるほどだカタワw
667名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)03:16:06.46ID:GIvN8GQsO
>>663
大和王朝は邪馬台国でなく、そのライバル国が源流かもしれんよ
670名前:名無しさん@1周年ID:
>>667
普通に南九州の勢力だよ
高千穂峰なんて宮崎県と鹿児島県の県境。
683名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)05:19:39.37ID:c20Hfjne0
>>670
〽雲に聳ゆる高千穂の か
高いところが好きなのは甲骨文字を使ってた殷(夏王朝)の中国人も同じだな
万葉集には
對馬能祢波 之多具毛安良南敷 可牟能祢尓 多奈婢久君毛乎 見都追思努<波>毛
対馬の嶺は 下雲あらなふ 可牟の嶺に たなびく雲を 見つつ偲はも(巻14 3516)
という防人歌が載っている。
https://www.manyou.gr.jp/SMAN_2/show_record.cgi?record=566
>上代の国語ではカミ(上)のミは甲類、カミ(神)のミは乙類の仮名で表記され、「カミ-カム」という変化は乙類の音を持つ方にみられる。
>対馬から脊振山系を望見して作った歌とする

卑弥呼の「呼」を「オ、ヲ」と読む説があるのは「多奈婢久君毛乎」の「乎」と同音であるからと
思われるが「乎」の読み「オ、ヲ」は訓読、つまり日本語訳としての読みだと思うが
卑弥呼を「ピミオ」などと読むと主張する連中は一体中国の何処の方言音と考えているのか。

687名前:名無しさん@1周年ID:
>>683
呼はhuではないか?
573名前:名無しさん@1周年ID:
宮崎の西都原古墳の女狭穂塚と男狭穂塚はかなり大きい古墳。
あれだけの規模の古墳は大きな権力の持ち主だし、
畿内の巨大古墳と強い関係性があると思うね。
652名前:名無しさん@1周年ID:
>>573
調べたらそれは5世紀前半なのに宮内庁からはニニギと木花咲耶姫の陵墓候補地扱いだったとか。

個人的に東征は邪馬台国の前の1世紀2世紀か、後の3世紀末あたりと思っているが、
西都原古墳群は4世紀以降と新しくてどうも合わないんだよな。

659名前:名無しさん@1周年ID:
>>652
東征は無いよ糞食い
578名前:名無しさん@1周年ID:
俺は日向でちょっとした旅したんだけど、
蛇行剣というのがあるんだな。
これは実用品というより、身分の高いひとの装飾的な性格があるんだけど、
これは中国や朝鮮半島の由来ではなく、倭のオリジナル作品であって、
それが日向と畿内の二つに集中していることらしい、
神武天皇東遷は事実だろいう一つの証拠でもある。
少なくても日向の勢力と畿内の勢力が関係があるか、
それとも、同じ勢力なのか
581名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)21:58:01.59ID:KU4oewp30
>>578
あと
奄美とか島含め南九州なら貝の腕輪交換かなあ
589名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)22:08:10.67ID:4m43vnEq0
>>578
ググってみると蛇行剣は古墳時代中期から後期(5~6世紀)らしいから神武東征伝説は無関係じゃねえかな
590名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)22:08:14.81ID:8Q3q0MBb0
>>578
>蛇行剣
>倭のオリジナル作品

残念ながらインドネシアやマレーシア、ブルネイ、タイ南部、フィリピン南部で主に見られる剣が
蛇行剣と極めて類似していてポリネシア・ミクロネシア系の饒速日が
降臨した(=天下った)というのを補強する証拠だな。
(h)ttp://www5f.biglobe.ne.jp/~ssbohe/one_krisnaga.htm
ja.wikipedia.org/wiki/ クリス_(短剣)

605名前:名無しさん@1周年ID:
>>590
学者の一説にすぎないし、無理やり結び付けた感がある。
俺は実物の蛇行剣をみたが、ミクロネシアの曲がった刀とは違う。
それに、それが日向と畿内になぜ集中してるのか?という大切な問いかけの答えになっていない。

畿内に邪馬台国があったらとんでもないことになるよ。
奈良の南に狗奴国があることになる。
そんな、奈良の南に邪馬台国の脅かすほどの勢力ができあがる地理環境なのか?
辺境でしかない。
畿内に邪馬台国なら朝鮮と交易するために、中国地方や北九州を支配下においてなければできない。
それほどの巨大勢力が奈良の南の辺境地の狗奴国に脅かされる?
ありえないと思う。

609名前:名無しさん@1周年ID:
>>605
北九州説はシンプルに理に適ってると思うよ
不思議なのは、なぜ国号に「ヤマト」なんて
邪馬台国と紛らわしい名前をつけたのか

それがなければ畿内説(大和説)がここまで
トチ狂うこともなかった

616名前:名無しさん@1周年ID:
>>609
お前はイミフ
617名前:名無しさん@1周年ID:
>>609
山の都だからヤマト(山都)
古代は自然崇拝とアニミズムだからね。
高千穂もでてくるわけだし
618名前:名無しさん@1周年ID:
>>617
は?
山門だボケ
619名前:名無しさん@1周年ID:
>>617
天孫系と出雲系はアニミズムじゃないよ
592名前:名無しさん@1周年ID:
 

古代日本語では、わ行音とは行音は非常にしばしば混同された。

「私は」と書いて「ワタシワ」と読むのはその名残り。

宇美は恐らくwumiで、humiと混同されていただろうと言うこと。

それが本居宣長の説。

 

597名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)22:19:56.16ID:8Q3q0MBb0
>>592
「私は」の「は」は語尾、自立して意味を持つ単位の末尾にある。
「わたしわ」の先頭の「わ」が「はたしは」と書かれた証拠が無いと
オマエラ九州説は成立不可能。
「不可能」が「ウカノウ」と読まれた証拠を出せ。
598名前:名無しさん@1周年ID:
>>597
いいから糞食って死ねカタワw

 

594名前:名無しさん@1周年ID:
もう近畿パーは今後はカタワ呼ばわりするからね。

本居宣長をプゲラしてテメーが言うことは
「近畿では鉄が溶けやすいんです」(キリッ
なんだから。
まともな人間とはとても言いかねる。

 

600名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)22:30:14.52ID:8Q3q0MBb0
>>594
近畿では鉄が溶けやすいんです」はオレが云ったことじゃないしwww

唐古鍵から褐鉄鉱容器に入った勾玉が出土してる。
褐鉄鉱(=鉄の赤錆)容器が有るってことは鉄製品の破片、
屑がたくさん有った証拠。
あるいは阿蘇の周囲、富士山の周囲と交流があった事を示す鉄板証拠。
邪馬台国の最有力候補は田原本の唐古鍵遺跡。

602名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)22:35:23.26ID:xyuVNUCf0
>>600
その唐古・鍵のだのホケノ山古墳だの全て足してコレw

鉄の出土分布

646名前:名無しさん@1周年ID:
>>602
出雲はともかく天橋立も鉄器が多いの?
608名前:名無しさん@1周年2019/07/04(木)23:12:22.33ID:xyuVNUCf0
ちゃんとした畿内説もいることを知っておいてください。

奈良県立橿原考古学研究所の関川 尚功は、魏志倭人伝によると、卑弥呼は魏に頻繁に使いを送り、また魏からも
使いや軍人が渡ってくるなど半島や大陸と活発に交流していたが、纒向遺跡の搬入土器は北九州由来のものは非常に
少なく、また半島や朝鮮との交流を示す漢鏡、後漢鏡や刀剣類などが北九州で大量に出土しているのに対し、
纒向遺跡ではまったく出土していないことから、魏志倭人伝にみる活発な半島や朝鮮との交流は証明されておらず、
纒向遺跡は邪馬台国の遺跡で無いとしている。
纒向遺跡は邪馬台国の遺跡で無いとしている。
纒向遺跡は邪馬台国の遺跡で無いとしている。
纒向遺跡は邪馬台国の遺跡で無いとしている。
纒向遺跡は邪馬台国の遺跡で無いとしている。

610名前:名無しさん@1周年ID:
>>608
じゃあ、具体的に畿内のどこなの?
614名前:名無しさん@1周年ID:
>>608
居ない。
畿内説は否定証明完了済み。

 

620名前:名無しさん@1周年ID:
そもそも邪馬台国なんて無かったって説
田中英道氏が言ってる
卑弥呼の名前のついた神社が一つもないのは不自然
621名前:名無しさん@1周年ID:
>>620
改名しました>天照大神
626名前:名無しさん@1周年ID:
>>620
お前が居ないだけだから大丈夫だよ近畿パーwww
639名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)00:44:53.23ID:XeQZBvdN0
なんで邪馬台国っていうの?→大和の地に存在してたから
なんで大和をやまとって読むの?→邪馬台国があったから

循環論法

645名前:名無しさん@1周年ID:
>>639
大和の元の文字は大倭
倭国の首都なので大倭だったが、元明天皇の好字二字令で倭を同音の和に変えて大和。

大和の読みの元は山門
門の文字はトと読み、狭い場所の通行可能部分を門(もん・と)と読んだことが語源。
当時の生駒山の間を流れていた川のことを山門川と呼び、これが大和川に変化した。

他にも門をトと読む例は例えば瀬戸内。
これも元々は瀬門内。瀬が連なり門に例えられた。
日本書紀だと北九州の遠賀川河口の地名に岡水門がある。
これは河口を門に例えた例。

邪馬臺国の読みはジャバイ
ヤマトとは関係ない。

719名前:名無しさん@1周年ID:
>>645
絶対に違うね。
そもそも、その読みも書きも中国式だぞ。
神武天皇も本名じゃないし、そんな名前じゃないちゃんとした本名がある。
だけど,、後世になって漢字を導入し、中国式にならって神武天皇にしたのであってね。
倭の漢字そのものが、中国側が漢字表示を含めそう呼んだのであって、ヤマト政権側が倭なんて名乗っていないし表示していない。
だから漢字は当て字にすぎないのに、漢字が先行して、あとにカナを考察するのは間違っている。
724名前:名無しさん@1周年ID:
>>719
日本書紀自体が漢文書かれた書物なんだが?

漢字の倭の文字の話しと、発音の話しは別だから段を分けたんだが?

728名前:名無しさん@1周年ID:
>>724
日本書記や古事記は漢字を導入してできたものだからね。
ていうより、古代の最後だよ、その話しは。
ようするに、漢字や政治を中国から輸入する前の話しなのであってね。
輸入以前からヤマトの名称は存在していた。
つまり、漢字読みとは関係ないし、漢字からヤマトの語源は推測できない
741名前:名無しさん@1周年ID:
>>728
山門の漢字は、後からあててるさ。
「やま」も「と」も訓読みだろ?
日本語の意味に合わせて当てたことくらいは否定せんだろ?

漢字伝来よりも前から、地面の盛り上がった地形は「やま」と呼んでいたし
通行可能な狭所を「と」と呼んでいた。

当時生駒山の間を流れていた川をやまとの川と呼んだ事から「やまとがわ」になり、その先の盆地の名称が「やまと」になった。

倭という文字は、中国由来の漢字で日本を指す漢字。
倭国の中心である「やまと」に大倭をあてたのが次のステップ。

元明天皇が713年に好字二字令を出し、国郡郷の名前には良い意味の文字二文字を使うように漢字の切り替えが行われた。
この際に日本人の蔑称である倭の字も改められたのが第3ステップ。

何もおかしくはない。

649名前:名無しさん@1周年ID:
カムヤマトイワレヒコ(神武)

カムは神。井沢の説で良い。王朝の始祖と言う意味。
ヤマトは邪馬台(山門)。
イワレは謂れ。
ヒコは王。
神武は近畿がヤマトと呼ばれる謂れとなった王であり、王朝の始祖である、
と言う意味。

言い換えると、神武以前は近畿はヤマトでは無かった。

 

650名前:名無しさん@1周年ID:
>>649
そんな当たり前のことを、、、
651名前:名無しさん@1周年ID:
>>650
と思ったが違うな。
邪馬臺はヤマトではない。無関係。
653名前:名無しさん@1周年ID:
>>651
ヤマトだよ糞食い
654名前:名無しさん@1周年ID:
>>650
お前しれっとキチガイみたいなこと書いてんな上で
678名前:名無しさん@1周年ID:
国民百科事典(平凡社)
「近畿地方の人々が朝鮮人的要素を有する事は注目に値する」

マキシムレヴィン(旧ソ連の形質人類学者)
「シベリア抑留者1万人を調べた結果、近畿人は朝鮮人とほぼ同じだが
東西に行くに従って日本人になっていく」

680名前:名無しさん@1周年ID:
>>678

遺伝学では関西人と朝鮮人で共通する部分は少ないとされる。東京歯科大学の野中育が日本各地の住民の遺伝子を調査した際には、近畿地方住民と近畿地方以外の平均的な日本人とで遺伝子に著しく異なる結果は出なかった[14]。

死んどけ馬鹿チョン

700名前:名無しさん@1周年ID:
>>694

>>680

馬鹿チョンは死ね

711名前:名無しさん@1周年ID:
>>694

>>680

邪馬台国北九州説はやってるやつが朝鮮臭い。

693名前:名無しさん@1周年ID:
邪馬台国北九州説が朝鮮由来な根拠

事実に反しても邪馬台国「だけ」が開けており、他は未開の荒野としたがる。
実態は関東、中部、近畿も九州と同程度に開け人の生活が行われ、交易すら行われていた。
そもそも南九州の方が規模も大きかった。

何でも欲しがる。
日本書紀では神武の東征は日向国の高千穂から出ているが、筑紫平野から出たことにしたがる。
その後の痕跡がないのは、時の権力者による弾圧と焚書
世界の起源を主張するかのような、日本の起源主張。

な?どう見ても、北九州説やってるやつの正体は朝鮮人

694名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)08:13:12.41ID:TLjFEYPQ0
>>693
遺伝子をみろよ
近畿人は朝鮮人
700名前:名無しさん@1周年ID:
>>694

>>680

馬鹿チョンは死ね

709名前:名無しさん@1周年ID:
>>694
しかし近畿の日本語は朝鮮語と発音や語彙(単語)が全然似てない。
例え朝鮮人が帰化したとしても朝鮮人は日本人に同化した。
日本語の語順はトルコ語、スリランカの国語のひとつシンハラ語と同じだ。
844名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)22:43:49.14ID:sYy24G2x0
>>709
語順で言えば日本語は朝鮮語にもトルコ語にもよく似てるし、語彙語形はみんなあんまり似ていないな

片方は語彙発音で比べて、片方は語順で比べる、これを詭弁とか印象操作とかいう

でもさ、ねらー史観では、今の朝鮮語・朝鮮人はエベンキからそっくり入れ替わったんじゃなかったのか?

711名前:名無しさん@1周年ID:
>>694

>>680

邪馬台国北九州説はやってるやつが朝鮮臭い。

698名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)08:33:30.37ID:i2dQ8vtT0
ソース貼れよとw

纏向遺跡消滅の後、早々に弓月君ご到着↓

~2世紀末 唐古・鍵遺跡
3~4世紀半ば 纏向遺跡
4世紀末~半島・大陸文化降臨↓

産経新聞(2018.11.28)

最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
https://www.sankei.com/west/news/181128/wst1811280010-n1.html
~ 大陸から来た渡来人の重要施設とみられる国内最大級の ~
建築年代は4世紀末~5世紀初めと推定され、最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。
~ 省略
白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長(考古学)は、建物の時期についてはさらに
検討が必要としながらも、「(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが営んだ重要な
施設があったことは間違いない」とみている。

705名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)09:00:15.95ID:c20Hfjne0
>>698
>~2世紀末 唐古・鍵遺跡
↑これって唐古・鍵遺跡が2世紀末に消滅したっていう意味か
勉強が足りんぞwwwwwwwww
何をソースにしたんだ
古墳時代の初めに環濠集落を再形成
唐古・鍵遺跡では居住区域が古墳時代前期まで存続したのは確実。
後期に前方後円墳が造影され遺跡が衰退。
708名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)09:03:52.37ID:i2dQ8vtT0
>>705
上部分は煽りだろバカw
わざとか?w
701名前:名無しさん@1周年ID:
北部九州に住んでいたのは南朝鮮系では無くて北朝鮮系だ、卑弥呼や神武も
北朝鮮系だ、その北朝鮮系の集団が近畿に集団で移住していったのを
東征と言う言葉で表現している。平原古墳や祇園山古墳は平壌(楽浪郡)で
多く見かける様式の墓。
702名前:名無しさん@1周年ID:
>>701
馬鹿チョンの妄想やめろ
逆だ
朝鮮半島に日本式の前方後円墳が多数ある
706名前:名無しさん@1周年ID:
>>702
俺が書いたのは大和朝廷が成立する前の事だ、あの頃にはまだ日本にも前方後円墳は
無かった。
717名前:名無しさん@1周年ID:
纏向遺跡は吉備政権と東海政権の交点に位置します。
どちらかというと、奈良の祭祀は前方後[方]墳の文化圏ですね。

纏向遺跡は、現代で言うと「板門店」のようなものだったのでしょう。

718名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)10:16:24.22ID:GSuD6qcD0
>>717
常々もうしておりますが
近畿ヤマトは卑弥呼死後に新しく作られた列島規模で再編された連合政権なんやなって
721名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)10:29:49.70ID:i2dQ8vtT0
>>717
纏向は板門店付き古墳造営基地局だったという結論しか出ないなw
734名前:名無しさん@1周年ID:
ヤマトは耶馬騰、椰磨等、夜摩苔、夜莽苔、揶莽等、野麼等、野麻登、野麻等、耶魔等、野麻騰など色々当て字で書かれてる
倭をヤマトと読むなんて無理だし
そもそもヤマトとワは別のものだしね

ところがその無理なことを言い張った奴らが近畿に居た
そして好字二字令で倭を和として大をつけて大和をヤマトと言い張った
非常に作為的に倭の文字を乗っ取ったとしか言いようがない

735名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)11:41:00.13ID:i2dQ8vtT0
>>734
倭をヤマトと読んで奈良の人に怒られたことを思い出したw

やはり倭とヤマトは違うものと見た方が無難かなw

810名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)18:12:16.35ID:c20Hfjne0
>>735
見え透いた嘘つくのが九州野郎
九州野郎に罹るとヤマイチ至上主義
古田武彦病の後遺症は救いようがない。万事休す
742名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)12:09:22.65ID:obnfBaj/0
大倭をヤマトと読むのは、中国が倭の漢字を当ててきたから、国号という概念がなく、倭を倭人の言葉で政治の中心地であるヤマトと読むことにした。
国号という概念が生まれて名付けた「日本」も最初はヤマトと読んでた。
745名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)12:16:19.31ID:ypchbjEU0
>>742
え?
大倭は中国語でダーワと読むんだけど。
当て字や訓読みが出来たのもかなり後。
やがて漢字も大和となり、それをヤマトと読んだのは相当後世の
魏志倭人伝を読んだのは誰かだろうよ。
畿内説と同じように大倭を中央政権の意味だと勘違いしたと思われ。
748名前:名無しさん@1周年ID:
>>745
訓読みってどういうものかわかる?
日本固有の読み方の事なのよ。

漢字が当てられる前に由来を持つ言葉もある。
特に地名なんかは、難読地名漢字を上げるまでもなく、漢字伝来前からの呼称が残ってることはわかるだろ?

751名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)12:28:40.67ID:ypchbjEU0
>>748
3世紀に訓読みは無いだろ。
762名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)13:11:57.13ID:QqMs+jiO0
>>751
魏志倭人伝に従うなら当時の日本に文字はないからな
倭人が「ヤマト」と呼んでる場所を中国人が漢字で「倭」と書いてるから倭人は「これがヤマトという字なんだな」と認識したという話だ。
764名前:名無しさん@1周年ID:
>>762
あたま固いなw
786名前:名無しさん@1周年ID:
>>751
じゃあ日本人は何を話してたんだ?

訓読みと言うのは日本固有の仕組み。
元々の日本固有の発音を、後から入ってきた漢字にあてはめたもの。

漢字、音読み、訓読みの区別と考えるから混乱してるんだ。
逆で日本固有の発音を、意味の合う漢字にあてはめたもの。

836名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)22:09:03.37ID:c20Hfjne0
>>751
訓読み=翻訳読み。
訓読みしないと日本人には理解できないwww
中国にも訓詁学というのが有る。
中国福建省の厦門方言、台湾のメジャーな方言のHokkien福建=ホーロー語にhujin-langというのが有る
漢字で書くと婦人-人。
hujinはホーロー語における「婦人」の漢音読み。
langは「人」をホーロー語に翻訳した言葉、つまり南部福建Hokkien人langの固有語だ。
763名前:名無しさん@1周年ID:
>>748
何言ってんの?
文字が無い時代の言葉を、中国人が漢字で表現し、やがてそれを倭人も教えられ読めるようになった。
文字が伝わった時点で当然ながら読み方は決まっていたんだよ。
当初は中国に習って漢字を当てていたわけ。
つまり「音読み」だけの時代。
火を吐く山の意味を持つアイヌ語「アソ」には「阿蘇」という漢字が当てられた。
765名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)13:15:36.50ID:QqMs+jiO0
>>763
それはもっと後の話だ。
仏教が入ってきてからだろうな。
万葉仮名の成り立ちだな。
769名前:名無しさん@1周年ID:
>>765
そもそも弥生時代も文字を使っていたわけだがw

福岡で出土した硯↓

年代:1~2世紀
サイズ:長さ15・3センチ、幅6・3センチ、厚さ0・9センチ

770名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)13:23:09.43ID:QqMs+jiO0
>>769
卑弥呼や台与だって国書を出してるわけだから書ける人はいたよ
中国語だけどねw
746名前:名無しさん@1周年ID:
倭(わ)の字が悪いから和(わ)にするのはわかる。
前政権の和(わ)を越えようと
新政権が大和(ダイワ、オオワ)とするのもわかる。

この大和(ダイワ、オオワ)を
ヤマトと言わせる理由がわからない。

747名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)12:25:34.99ID:ypchbjEU0
>>746
大和をヤマトと読むようになったのはわりと最近の事なんだろう。
天皇なら知ってるかも。
752名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)12:31:32.30ID:GSuD6qcD0
>>746
先にヤマトがあって、このヤマトを名乗ることこそが至上命題なので
倭もヤマトだし大和もヤマトだし日本もヤマトと読む

「卑弥呼の子孫」=「アマテラスの子孫」=「ヤマトの王」
二代目親魏倭王をつれてきたときにこれが日本列島を支配する唯一のルールとなった

848名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)22:57:58.69ID:sYy24G2x0
>>746
飛ぶ鳥のアスカとか、日の下のクサカとか、わからない読み方はあるっちゃある

>>772
いつ彫られたのかって、放射能でもわからないしお手上げだな

851名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)23:29:08.87ID:c20Hfjne0
>>848
日の下のクサカにはもしかすると縄文語が隠されてる鴨
カ=「下」の漢音読みと考えられるが
「クサ」が「日」とどう結びつくのか今のところ不明。
772名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)13:29:24.74ID:XxhE8PX80
大分にはいくつか古代に岩に彫られた神代文字が残っているけどな。
848名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)22:57:58.69ID:sYy24G2x0
>>746
飛ぶ鳥のアスカとか、日の下のクサカとか、わからない読み方はあるっちゃある

>>772
いつ彫られたのかって、放射能でもわからないしお手上げだな

851名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)23:29:08.87ID:c20Hfjne0
>>848
日の下のクサカにはもしかすると縄文語が隠されてる鴨
カ=「下」の漢音読みと考えられるが
「クサ」が「日」とどう結びつくのか今のところ不明。
774名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)13:35:39.64ID:XxhE8PX80
葦原中国=葦原ナカツコク
中津国=中津は宇佐の隣
中津は現代では唐揚げで全国制覇
天孫降臨と唐揚げは似て非なるものではある
775名前:名無しさん@1周年ID:
>>774
>中津は現代では唐揚げで全国制覇

畿内説だと
「唐」由来の唐揚げを勢力圏の判断基準とし、
中津が政権の中心だったと言える
とか言い出しそうだなw

833名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)21:43:50.02ID:c20Hfjne0
>>774
中津なら大阪にもある地名
776名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)13:42:48.97ID:XxhE8PX80
ちなみに宇佐の近くに耶馬渓があるが、
山国がなまって耶馬渓となった。
やはり山ト國、ヤマト國は宇佐である。
780名前:名無しさん@1周年ID:
>>776
なまったつうか、山国に耶馬溪っていう中国風の名付けをしたのは
江戸時代の頼山陽
781名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)14:04:58.23ID:XxhE8PX80
>>780
もちろん知っているが、語源は山国ということだ。
782名前:名無しさん@1周年ID:
>>781
あの辺りの地名は山国やしね。流れてる川も山国川だし
もしかしたら倭人伝に出てくる邪馬国が、あの辺りなのかも
783名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)14:09:39.77ID:XxhE8PX80
奈良にヤマト朝廷成立以降も天皇が即位の度に宇佐に神託。そんな場所は他に無い。ヤマトのルーツが宇佐ということだ。
785名前:名無しさん@1周年ID:
>>783
宇佐の本営は福岡の大分八幡宮。
788名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)14:15:15.00ID:XxhE8PX80
>>785
それは後から背乗りした秦氏の本営な。
792名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)14:32:16.52ID:QqMs+jiO0
>>783
ヤマトのルーツではないと思う。
あるとしたら応神天皇が奈良のヤマトを制圧した可能性はあるな。
784名前:名無しさん@1周年ID:
幅20mの運河、幅6mの直線道路、全国の三割の
青銅器鋳型、超豪華な副葬品、今でも掘ればどこでも出てくる甕棺墓、平地が埋め尽くされて丘の上にまで住居を作らざる得なかった人口密度。当時福岡市が日本一の都会だったのは間違いない。
789名前:名無しさん@1周年ID:
>>784
今でも河内、奈良に比べりゃ福岡の方がはるかに都会だよw

>幅20mの運河
水行できる運河で有明海につながるものは見つかってないのかなあ?

791名前:名無しさん@1周年ID:
>>789
まあ2000年大都会やってるのは福岡くらいだよね。
790名前:名無しさん@1周年ID:
濃尾平野(尾張)にある大神神社の三輪氏も同族だよな。
880名前:名無しさん@1周年ID:
>>790
三輪姓自体が濃尾平野に集中してる
清洲山王宮日吉神社宮司の三輪家は現在56代目
古代豪族系の社家はスケールが違う

岐阜県大垣市(旧上石津町)は三輪姓最多地域
この地にも延喜式神名帳に記載された大神神社がある
上石津では法事法要の際に素麺を食べる習慣がある
かつては旧家の葬儀は神道式で行われていたらしい

889名前:名無しさん@1周年ID:
>>880
食文化(三輪素麺)まで継承しているところが興味深いね
798名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)16:32:16.86ID:jqu8q6n10
九州説ってまともな証拠が何ひとつないから
「論」で言い張るしかないんだよな
でも、そのためには魏志倭人伝を全部飲み込むと九州説が否定されてしまう
だから、「この部分は採用」「でもこれは都合悪いから不採用」と「都合の良い部分だけ切り張り」して
「都合よく解釈」してできあがったのが九州説

それそのものは悪くないんだけど、何せ、その「何を採用して何を不採用にするのか」が人それぞれだ
最初にストーリーありき(九州説ありき)で話をつくるものだから、突っ込みどころまんさいで
そして、「九州説」と一口でいっても、色んな主張があってそれぞれバラバラというのが現状

だから、理屈こねくり回すのなら九州説のほうが面白いんだけど
結局、頭のどこかで「都合の悪い部分に目を瞑ってる」という自覚があるから
その後ろめたさから必死で畿内説を否定してしまう側面もある
そういう意味でやたらと九州説信者の畿内説に対する攻撃っぷりはかkなりキチっててヤバイよな

実際、ここまで一通り目を通したけど、まともな論一つもないもんな
どっかで聞きかじった話を切り張りして、さも「自分の主張です」って言い張ってるだけの奴とかばっかりだし

849名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)23:02:09.90ID:sYy24G2x0
>>798
畿内説の方法論がよくわかるレスだ
855名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)23:39:54.97ID:jQ3aXlEw0
>>849
図星じゃないか
804名前:名無しさん@1周年ID:
畿内説宣伝係による、方角違いに対する言い訳w

14 1 ◆UiepmfCeDJqf [sage] 2019/07/04(木) 11:50:53.10 ID:
◆FAQ 3-1
Q:行程論から言って、畿内説は無理ではないのか!

A:倭人伝の記す行程を記載通りに辿れば、沖縄本島付近の南海上(◆FAQ40参照)となる。
史料にいかなる解釈を施して上記以外の比定地を求めても、それはテキストの改竄もしくは粉飾に他ならない。
 「當在」という語法からは、筆者が道里から倭人の国を会稽東冶(現・福州市近郊)程に南方であると具体的に推計し、倭人の南方的風俗との整合性確認を意図したことが明らかである。(関連:◆FAQ 40)
故に、「自郡至女王國」の「萬二千餘里」は倭人の国が会稽東冶ほどに南方であると言う筆者の認識を端的に示している。

 以上から、倭人伝の里数及び「南」という方位倶に致命的な誤りを含むこと、並びに筆者が1里=1,800尺を用いていること、の二点に疑問の余地がない。(註※

実際の倭人の国々の存する倭地は会稽山陰はおろか魏都許昌に遠からず、宛城ほども南方でなく、纒向に至っては洛陽とほぼ同じ北緯である。
 三海峡渡海は概ねの定点を得ることが可能なので、測距に錯誤があることが明らか(◆FAQ19参照)である。
加えて、九州本島最南端は会稽山陰より猶ほ北方である。
また、現実の1/5ほどの架空の1里を想定するならば、楽浪を「・陽東北五千里」とする地理感に照らすと倭地は洛陽の猶ほ北であり、倭人伝記事と全く整合しない。

 筆者の認識した万二千余里の数字、及び「南至邪馬壹國」の方位「南」。
この双方に錯誤を認めない限り、「當在會稽東治(当作「冶」)之東」と記述されることは有り得ない。
また、机上の計算であるから、東冶の「東」の方位に誤差はあり得ない。
加えて、道里を記述した本人が推計した位置が会稽山陰以南であることは、一部現代人の想定する異常に短小な里単位の不存在を立証するものである。

 実際の地理上3海峡の間隔が等距離でないことはもとより、倭人伝所載のとおりの行程を辿ったのでは、伊都国であることが確実視される糸島三雲にも、奴国たるべき博多・比恵那珂エリアにも到達できないことは自明である。
 このように、行程記事は方位・距離ともに著しい誤情報を含み実用に耐えないので、所在地比定には採用しない。検証にのみ用いる(関連:◆FAQ8,17,18,19,20,58も参照)
(本項 続く)

808名前:名無しさん@1周年ID:
>>804
1 ◆UiepmfCeDJqf =奥山w

テンプレ修正しろと再三言われてんのに全くその気無しw
自覚症状の無い自閉症の重症例だなw

853名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)23:35:45.06ID:c20Hfjne0
>>804
原典版魏志倭人伝を見て書いた後漢書には拘奴国=狗奴国は邪馬台国の東と書いてる。
823名前:名無しさん@1周年ID:
隋書倭国伝「倭国の都は邪靡堆、則ち魏志にいう邪馬臺である」

遣隋使は飛鳥まで一緒に帰ってきた裴世清に、うちらの都ヤマトは魏志の邪馬臺のことですって言ってる

ちなみに隋書は記紀より100年前、旧唐書より300年前に書かれたもの

826名前:名無しさん@1周年ID:
>>823
これは決定的だよな
九州背のりチョンコいい加減にしろよ
828名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)21:27:56.63ID:vWXeN1Vs0
>>823
瀬戸内海沿岸一帯、所謂倭国を指して「ヤマト」と呼んでたんじゃないのかなあ。
魏志の頃の中心地は九州北部だったが、諸事情により300年以上が経った遣隋使の時代には奈良飛鳥に政治の中心が移動していたんじゃないの。
東遷と言うと語弊があるかも知れない、奈良飛鳥に勃興した後発勢力が九州北部の王権(卑弥呼の系譜な)に取って替わっていた、と。

但し奈良飛鳥の王権は古文書を焼き払って記紀をまとめたから、残念ながら歴史は割と不正確に伝えられている。

846名前:名無しさん@1周年ID:
>>828
飛鳥まで行ったと書いてあるだろ
なぜそういう嘘を平気で言うんだ
837名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)22:10:54.34ID:w5fgOC0Q0
>>823
またそれか
隋書の
都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也 古云去樂浪郡境及帶方郡並一萬二千里在會稽之東與担耳相近
というのは後漢書の
其大倭王居邪馬臺國(案今名邪摩惟音之訛也) 楽浪郡徼去其國萬二千里 其西北界狗邪韓國七千餘里
其地大較在會稽東冶之東 與朱崖担耳相近故其法俗多同
を編集しただけだろう
どういうことかというと
日本語の発音が変わってきて
邪馬台が邪摩堆になってきた(後漢書ではそれを訛りだといってる)
文字が違うんで魏志の邪馬台のことだと書いてるだけだ
違うか?
北史を見ればわかるように距離は魏志の丸写しだし、
どこに都があるかなんてわかってないんだよ
842名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)22:32:35.12ID:c20Hfjne0
>>837
>日本語の発音が変わってきて

それは読み間違い。
中原の支配者の民族、人種が変わったので
人種ごとに得意、不得意の発音があって
支配者の人種が変わる都度中国側の漢字の発音が変わった。

832名前:名無しさん@1周年ID:
継体は朝鮮人だろ。
ヲホドとか日本人が付ける名前じゃねえし
九州の倭国史と近畿史を無理矢理合わせたんだろうな
859名前:名無しさん@1周年ID:
>>832
継体天皇が乗っ取って、
神武天皇朝は終わったんだけどね。
本当のヤマトは終わって、偽のヤマトがつくられた。
その偽ヤマトを正当性をもたようと、日本書記や古事記が作られた。
その時に過去の本当のヤマトの天皇の功績が記録された史料や、偽ヤマトに都合悪い史料は焚書坑儒された。
古代日本も焚書坑儒がおきていたことは、政治はやはり恐ろしいね。
で、堅物はこのレスをキチガイ扱いするんだろうなwww
881名前:名無しさん@1周年ID:
>>832
むしろモンゴルかと
858名前:名無しさん@1周年2019/07/05(金)23:48:49.58ID:zaRz1TrdO
よく考えたら日向でも問題ないな、日向呼ひむか、ひむ一族でもいいな
890名前:名無しさん@1周年ID:
>>858
三輪山の山頂に祀られた日向御子とは何者だろうか?
894名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)07:13:16.55ID:mzyIZ4Ym0
>>890
三輪山の麓にある大神神社の摂社の檜原神社は元伊勢の起点でアマテラスを祀る。
山頂でも磐座で祭祀を行っていたアマテラスが順当。
899名前:名無しさん@1周年ID:
>>894
アマテラスの原型の太陽神(男)だと思うね。三輪山は奈良盆地南部の東側で一番近い山で、
昇る太陽が姿を見せる場所だからな。アマテラスは持統(元明)をイメージして女神に変えられ
たんだ。
901名前:名無しさん@1周年ID:
>>894
元伊勢の始まりは福岡県糟屋郡久山町猪野にある天照皇大神宮。
903名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)07:42:47.50ID:mzyIZ4Ym0
>>901
三輪山から逃げ出して伊勢まで探して周るのに福岡は無い。
907名前:名無しさん@1周年ID:
>>903
三輪山の輪山とは外輪山に囲まれた阿蘇山のことで、これに敬称の御を付けて御輪山。
909名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)08:07:23.54ID:vBHwM1FM0
>>907
せめて福岡の大三輪山なんだ、とでもいえばいいのに
こじつけにしても酷い
911名前:名無しさん@1周年ID:
>>909
万葉集には大津京に遷都した際に詠まれたの下記の歌がある。
作者(額田王)は道中に三輪山を眺めようとしながらこの歌を詠っているが、奈良県の三輪山は標高467mしかなく飛鳥から大津市に向かうと直ぐに見えなくなる。
一方、熊本県の大津町付近から熊本県の阿蘇山は遠望できる。
また額田王が振り返っている様子もなく、牛車や輿等は正面を向いて乗る乗り物である。
この歌は、三輪山との別れを惜しんで詠われたものではなく、憧れの聖山を初めて観るのに、天気が悪くて全く見えない事を嘆いた歌である。

味酒三輪乃山青丹吉奈良能山乃山際伊隠萬代道隈伊積流萬代尓委曲毛見管行武雄數々毛見放武八萬雄情無雲乃隠障倍之也

うまさけ みわのやま あをによし ならのやまの やまぎわいかくるまで みちくまいつもるまでに つばらにも みつつゆかむを しばしばも みさけむやまを こころなく くもの かくさふべしや

馬放け 御輪の山 緑によし 楢の山の 山際 い隠くるまで 道の隈 い積るまでに 詳にも 見つつ行かむを 屡々も 見放けむ山を 心無く 雲の 隠さふべしや

馬を放牧する阿蘇山、(緑豊かな)里山の山影が完全に隠れるまで 道が曲がり幾重にも折り重なるまでに じっくり見て行こうと思っているのに 幾度も遠く目を向けただろう山を 雲が無情に 隠すのだろうか隠さないでおくれ

914名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)08:18:40.39ID:vBHwM1FM0
>>911
「奈良」はどこに消えたの?
920名前:名無しさん@1周年ID:
>>914
里山
923名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)08:28:13.46ID:vBHwM1FM0
>>920

どういう意味?
922名前:名無しさん@1周年ID:
>>914
ナラとはナラの木のナラで里の意味
ナラ山とは里の山
924名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)08:29:43.77ID:vBHwM1FM0
>>922
根拠ゼロの妄想を連日長文で投下し続けるキチガイってこと?
929名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)08:32:38.38ID:vBHwM1FM0
ああ。失礼。
>>924は>>921あて

>>922
奈良って書いてあるけど、奈良の山じゃなく里山のことで
三輪山って書いてるけど三輪山のことじゃなく阿蘇山のこと?

こじつけ酷いw
もう一文字も合ってないw

931名前:名無しさん@1周年ID:
>>929
あおによしを奈良と結び付けたのがこじ付けだったんだ。
933名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)08:40:06.90ID:vBHwM1FM0
>>931
「あをによし」が「里山」にかかるのはこじつけじゃないの?
932名前:名無しさん@1周年ID:
>>929
輪は外輪山のことね
聖なる輪のある山
御輪山→三輪山
934名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)08:40:58.49ID:vBHwM1FM0
>>932
聖なる輪のある山=阿蘇山ってどこに書いてあるの?
929名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)08:32:38.38ID:vBHwM1FM0
ああ。失礼。
>>924は>>921あて

>>922
奈良って書いてあるけど、奈良の山じゃなく里山のことで
三輪山って書いてるけど三輪山のことじゃなく阿蘇山のこと?

こじつけ酷いw
もう一文字も合ってないw

931名前:名無しさん@1周年ID:
>>929
あおによしを奈良と結び付けたのがこじ付けだったんだ。
933名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)08:40:06.90ID:vBHwM1FM0
>>931
「あをによし」が「里山」にかかるのはこじつけじゃないの?
932名前:名無しさん@1周年ID:
>>929
輪は外輪山のことね
聖なる輪のある山
御輪山→三輪山
934名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)08:40:58.49ID:vBHwM1FM0
>>932
聖なる輪のある山=阿蘇山ってどこに書いてあるの?
938名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)09:25:31.86ID:oH4GF1lf0
>>911
まわりに高い建物もないし、ゆっくり進むだろうから
名残惜しむのに十分なくらい見えるはずだ

うまさけは三輪山の、あおによしは奈良の枕詞だしな

910名前:名無しさん@1周年ID:
>>907
奈良時代だったか、御の字が誰かの指示で一斉に三に変えられたと聞いた事がある。
大三島とか三井野原とか三池とか。
863名前:名無しさん@1周年ID:
天皇は本当に便利な権力ツール。
神武天皇朝が終わって、継体天皇から天皇制は
ペットショップで売られる飼い主に好まれ都合のいいもブランド犬の配合みたいなもん。
古事記日本書記の元になった史料は消されたからね。
956名前:名無しさん@1周年ID:
>>863
継体の前から極めて怪しい
武内宿禰は○してるよ
961名前:名無しさん@1周年ID:
>>955

>>956みたいなやつだな。
元朝鮮人炭鉱労働者や遊女と一緒で、放置していると
怪しい、そうに違いないを言い続けて、その内通説だ、真実だになる。

今朝は三輪山を阿蘇だという輩もいたり
九州説にそういうタチの悪い輩が混ざってたりする。
※九州説論者の100%がそうとは言わないが。

970名前:名無しさん@1周年ID:
>>961
どう見ても怪しいだろ
あれで怪しくないと言う方が異常
武内宿禰は極めて怪しい
974名前:名無しさん@1周年ID:
>>970
記紀に出てくる登場人物なんて、多かれ少なかれ怪しい。

武内宿禰も人としては怪しいが、それを取り立てて騒ぐ必要もない。
もっと怪しい人や出来事なんてごまんと書いてあるでしょ?

980名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/06(土)14:07:18.25ID:eHb7N7p70
>>974
その武内さんと琴を弾いてて死んじゃった仲哀天皇とか身長3mだぞ。
人としてというより生物として怪しい。
985名前:名無しさん@1周年ID:
>>980
まさに人外だな。
記紀には多くの怪しい話がある。

そのうちの一部を取り立てて騒ぐのは
そもそも結論ありきで、そちらに誘導するのが目的。

874名前:名無しさん@1周年ID:
あーやっとわかった
神話と既に明らかになってる歴史リンクしてるじゃん
875名前:名無しさん@1周年ID:
>>874
初期の天皇の年齢が明らかにおかしいんだがw
877名前:名無しさん@1周年ID:
>>875
パズルと同じでおおよそ確定できる部分を繋げていけば他のピースもわかってくるw
892名前:名無しさん@1周年ID:
卑弥呼も呪術者、シャーマニズムは朝鮮半島が元祖、それも北朝鮮の方だな
要するに卑弥呼はツングース系民族で北朝鮮が出自、卑弥呼に繋がる壹與や
神武天皇もツングース、現天皇も北方系の顔立ちでどう見ても南方系では無い。
893名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)07:02:54.18ID:mzyIZ4Ym0
>>892
日本古来のアミニズムな古代神道は北朝鮮やらツングースとは全くスタイルが異なる。
昭和後期まで奄美に残っていたアミニズムやシャーマンのスタイルに近い。
つまり南方系の海人族の宗教スタイルだった。
897名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)07:15:52.43ID:mzyIZ4Ym0
>>893
事故レスだけどアミニズムじゃなくてアニミズムな
895名前:名無しさん@1周年ID:
>>892
糞チョンは日本から出ていけってマジで
940名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)09:36:09.69ID:Apm/bNNa0
>>892
イマドキ在日受けする騎馬民族征服説は流行らないw
958名前:オレンジ・エアID:
>>940
流行るとかの問題ではない

騎馬民族は歴史の真実である、その証拠におまえのケツは青い

963名前:名無しさん@1周年ID:
>>958
蒙古斑の発生率はモンゴル人以外の東アジアの50%程度
ネグロイドも発生率が高い。
オマエの屁理屈が正しければアフリカの黒人のケツも青いはずだw
964名前:オレンジ・エアID:
>>963
アジアで蒙古班の比率が一番高いのは日本だそうだ」

大阪なんかほぼ100%だろうw

967名前:名無しさん@1周年ID:
>>964
モンゴル人は95%位だそうだが、国別の比率や
日本の地域別の比率まで細かく調べてるなんてすごいな。

出典元は?

969名前:オレンジ・エアID:
>>967
モンゴルはまあねw

蒙古班でいろいろ調べていたら分布図があった

973名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)13:54:46.02ID:Apm/bNNa0
>>969
その分布図のソース貼れよ
有ればの話
作り話なら貼らなくていいw
906名前:名無しさん@1周年ID:
古墳時代に金冠、銀冠が出土した古墳
宮地嶽古墳・・・福岡県福津市
沖ノ島・・・・・宗像大社
銀冠塚古墳・・・福岡県鞍手郡鞍手町
セスドノ古墳・・福岡県田川市
関行丸古墳・・・佐賀県佐賀市
島田塚古墳・・・佐賀県唐津市
江田舟山古墳・・熊本県玉名郡和水町
産島古墳群2号墳・・熊本県八代市

古墳時代に金環・銀環(耳飾り)などが出土した九州の地域
福岡県・・43箇所 佐賀県・・4箇所 長崎県・・4箇所 熊本県・・22箇所
大分県・・9箇所  宮崎県・・2箇所 鹿児島県・・2箇所 
関西地方からは金銀製品は全く出土してはいないwww

942名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)10:36:53.56ID:Apm/bNNa0
>>906
オマエ藤ノ木古墳知らないのか
故意に避けてるんだな
http://avantdoublier.blogspot.com/2007/12/blog-post_21.html
http://www.kashikoken.jp/museum/permanent/kofun/kofun.html
金銅鞍金具前輪(まえわ)
金銅鞍金具後輪(しずわ)
棘葉形杏葉(きょくようがたぎょうよう)・歩揺付飾り金具
龍紋飾り金具・心葉形鏡板付轡(くつわ)・帯先金具
944名前:名無しさん@1周年ID:
>>942
奈良からはたった1箇所か、しかも大和朝廷が成立後の古墳時代に九州よりも遙かに
少ない出土数とはどう言う事なんだ説明してみろwww
946名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)11:40:07.73ID:Apm/bNNa0
>>944
恥ずかしいヤツだな
これだから文系脳はアホと云われるんだ
>全く無い
これを否定するには「有る」という証拠をひとつだけ挙げれば
必要にして充分だというのは論理学や集合論
ブール代数の教科書に書いてるw

命題1:「すべての金冠、金環・銀環は九州から出土した」
命題2:「一つの金冠が藤の木古墳から出土した」
命題3:「藤ノ木古墳は九州にある」
この三つの命題を論理的に分析すれば
命題2は真実である
命題3は偽である
故に命題1はウソであることが論理的に導かれる。

968名前:名無しさん@1周年ID:
>>942
金銅金具は銅製品に金箔を貼ったものだろ
金銀製品じゃないよ。
917名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)08:21:52.05ID:vBHwM1FM0
ID:GSuD6qcD0=ID:kyl7uYyT0か

壊れたレコードみたいだね

921名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)08:27:11.17ID:kyl7uYyT0
>>917
『 中国が倭のことを倭と書いていたから
  ヤマトの国の人間が自分たちの国のことを「倭」と書いてヤマトと読むようになった 』
 ↑
これと同じくらいには根拠ないので
これと同レベルの説であることは認める
929名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)08:32:38.38ID:vBHwM1FM0
ああ。失礼。
>>924は>>921あて

>>922
奈良って書いてあるけど、奈良の山じゃなく里山のことで
三輪山って書いてるけど三輪山のことじゃなく阿蘇山のこと?

こじつけ酷いw
もう一文字も合ってないw

931名前:名無しさん@1周年ID:
>>929
あおによしを奈良と結び付けたのがこじ付けだったんだ。
933名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)08:40:06.90ID:vBHwM1FM0
>>931
「あをによし」が「里山」にかかるのはこじつけじゃないの?
932名前:名無しさん@1周年ID:
>>929
輪は外輪山のことね
聖なる輪のある山
御輪山→三輪山
934名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)08:40:58.49ID:vBHwM1FM0
>>932
聖なる輪のある山=阿蘇山ってどこに書いてあるの?
918名前:名無しさん@1周年ID:
弥生時代に翡翠の勾玉、丸玉などが出土したのは20箇所
福岡県9箇所 長崎県2箇所 佐賀県3箇所 熊本3箇所 大分3箇所

古墳時代に翡翠の勾玉、丸玉などが出土したのは47箇所
福岡26 長崎2 佐賀6 熊本7 大分2 宮崎3 鹿児島1
※弥生時代の奈良からは翡翠製品の出土は全く無い、古墳時代に数個出土しただけ
九州と近畿の文化レベルは大違いwww www

930名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)08:36:16.52ID:kyl7uYyT0
>>918
奈良は歴史の連続性がない、あるとき急に出現した作為的な都市なんだなあって
945名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)11:12:14.62ID:Apm/bNNa0
>>918
唐古・鍵から出土した褐鉄鉱容器に入った翡翠の勾玉も無視かい
950名前:名無しさん@1周年ID:
古墳時代になっても奈良からの出土品が少ない理由は権力が天皇だけに集中して
豪族がいなかったからだ、奈良に行ったのは天皇と付き添いの兵士だけで豪族達は
九州にいた方が支那や朝鮮との貿易で儲かるから行かなかったと言う事だ。
このくらいの答えも出せんようなボンクラは古代史を勉強する資格は無いwww
954名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)12:18:06.56ID:vBHwM1FM0
>>950
この場合の「豪族」というのは「小国のリーダー(支配する側)」のことなんだが
そいつらが九州に集合してるわけねーだろw
976名前:名無しさん@1周年ID:
>>954
くやしいのうくやしいのうwww
984名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)14:23:52.87ID:vBHwM1FM0
>>976
ごめん。そんなに悔しかった?w
990名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)15:35:31.40ID:jTkS1Frs0
>>976
バカ?
奈良の古墳はほとんど盗掘されて何も残ってない
藤ノ木古墳が評価されてるのは、小さい古墳でありながら副葬品が豪華だからだ
もし大王の古墳が盗掘されなかったら、相当豪華な副葬品があったことは誰でも推測できること
955名前:名無しさん@1周年2019/07/06(土)12:33:40.70ID:7K2yb5Hu0
外国人が日本の歴史に首を突っ込む必要ない
掲示板での工作活動は、日本の歴史を改竄するのが目的かもしれんが
961名前:名無しさん@1周年ID:
>>955

>>956みたいなやつだな。
元朝鮮人炭鉱労働者や遊女と一緒で、放置していると
怪しい、そうに違いないを言い続けて、その内通説だ、真実だになる。

今朝は三輪山を阿蘇だという輩もいたり
九州説にそういうタチの悪い輩が混ざってたりする。
※九州説論者の100%がそうとは言わないが。

970名前:名無しさん@1周年ID:
>>961
どう見ても怪しいだろ
あれで怪しくないと言う方が異常
武内宿禰は極めて怪しい
974名前:名無しさん@1周年ID:
>>970
記紀に出てくる登場人物なんて、多かれ少なかれ怪しい。

武内宿禰も人としては怪しいが、それを取り立てて騒ぐ必要もない。
もっと怪しい人や出来事なんてごまんと書いてあるでしょ?

980名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/06(土)14:07:18.25ID:eHb7N7p70
>>974
その武内さんと琴を弾いてて死んじゃった仲哀天皇とか身長3mだぞ。
人としてというより生物として怪しい。
985名前:名無しさん@1周年ID:
>>980
まさに人外だな。
記紀には多くの怪しい話がある。

そのうちの一部を取り立てて騒ぐのは
そもそも結論ありきで、そちらに誘導するのが目的。

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