【古代】「阿波風土記」が裏付ける“邪馬台国四国説”…卑弥呼を連想させる徳島県の特徴、後継者とも関連が?

1名前:樽悶 ★2019/07/11(木)22:59:41.95ID:feVJb+l09

 前回、日本史の謎の一つである邪馬台国の位置について、実は阿波にあった?という衝撃的な説を書かせて頂いた(https://netallica.yahoo.co.jp/news/20190706-19057772-naigai)。

 今回は幾つか残る『阿波風土記』の断片のうち、興味深いものを紹介しよう。その内容は、空から大きな山が阿波国に落ちてきた。その山が砕け散り大和国に落ちて、天香久山になったとされているのだ。これは何の比喩なのか。阿波で成立した国家が奈良に移動したととれないだろうか。

 不気味なことはまだある。阿波出身の国学者である池辺真榛は、延喜式の研究を行い、自分の故郷である阿波国が日本のルーツだと確信した。その後、池辺は阿波藩政を非議したという罪を被せられ、文久3年(1863)に身柄を拘束され、阿波藩邸に監禁され、不審な死を遂げている。

 また、日本神話において、一番最初に生まれたのが淡路島であり、その次に四国である。この四国は四つの顔を持って生まれたと言われた。讃岐と土佐は男の顔で、阿波と伊予は女の顔であった。つまり、徳島は卑弥呼を連想させる女の顔の国であったのだ。さらに、同じ女の顔とされた地域、伊予が卑弥呼の後継者「いよ(壹與)」と同じ発音なのも気になる。

 徳島県阿南市椿町に位置する蒲生田岬には「因幡の白兎」伝説があり、出雲大社の元となった社も、伊勢神宮の元となったとされる社も徳島には存在する。日本神話のルーツは阿波なのであろうか。となると、悪神に殺されたヤマトタケルの御霊が讃岐まで飛んできた上、白鳥になったということは祖霊の地である四国に死後に帰還したという暗示ではないのだろうか。つまり、神武東征とは、邪馬台国が四国から畿内に攻め込み、その後、畿内に定着し大和朝廷となった事実を意味しているのではないだろうか。

 それから、邪馬台国の条件の一つに、“柑橘類のある土地であった”というものがある。特別に記述したということは、ただ単に柑橘類が採れたという程度ではないだろう。かなり、柑橘類が豊富な土地であったという意味にとれる。この条件は様々な種類の蜜柑が育つ柑橘王国である徳島は申し分ない。

 さらに、魏志倭人伝の記述によると、邪馬台国の山には丹があるとされている。この丹とは水銀のことを指しており、徳島は水銀の産地である。つまり、邪馬台国の候補地には水銀丹(朱)の出る山がないといけないのだ。水銀産出跡地に関しては、徳島以外でも三重や和歌山でも確認できる。だが、どれも小規模なものであり、鉱山と呼ぶには程遠い。だが、我が徳島には、邪馬台国時代から続く水銀鉱山と呼ぶべき大きめの遺跡が阿南市にある。それが若杉山遺跡である。これこそが証拠の一つではないだろうか。

 しかも、不気味なことに、この遺跡の周辺には、ヒルコ神社が二十数箇所鎮座しているのだ。ヒルコ(蛭子)という異形の神が守護するこの遺跡には、何か深い意味があるように思えてならない。このように蜜柑、水銀など、状況証拠は十分にある。

 そして、邪馬台国の時代から続く「阿波忌部一族」も徳島の特殊性を裏付けている。1800年続くこの一族は、一時期中断してきたが、古代から現在まで天皇家が大嘗祭で着用する麻の衣服を献上してきた。阿波こそが天皇家のルーツ。邪馬台国である証拠ではないだろうか。(山口敏太郎)

2019/7/7 23:00
https://netallica.yahoo.co.jp/news/20190707-87446039-naigai

19名前:名無しさん@1周年2019/07/11(木)23:09:24.47ID:YvNU5baU0
>>1
中国の属国が皇室のルーツなんだねw
23名前:名無しさん@1周年2019/07/11(木)23:15:21.62ID:L+CJj/LA0
>>19
そういうこと言われるのがイヤで江戸時代の国学者が九州説現皇統と別の王国説を必死に説いたせいで九州説がまだ後南朝みたく続いてるわけで。
436名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)11:45:53.76ID:rFiSp75y0
>>19
モンゴル帝国だって最初は朝貢してた
でもモンゴルが属国だったなんて誰も言わないだろ
29名前:名無しさん@1周年2019/07/11(木)23:26:34.77ID:b1Vk1boy0
>>1
こじ付けにしかならないからなあ
畿内説も四国説も
42名前:名無しさん@1周年2019/07/11(木)23:43:37.87ID:8P2wwJ7k0
>>1
阿波国風土記って明治維新の頃まで残っていたのかよ
52名前:名無しさん@1周年ID:
>>42
現存してない
他の文献に引用されてるのしかなかったと思う
84名前:名無しさん@1周年2019/07/12(金)04:14:52.16ID:g2VENqwi0
>>52
リンク先に2冊残ってたって書いてるだろ
86名前:名無しさん@1周年ID:
>>84
よく読め
阿波国風土記と阿波風土記は別物
奈良時代の公式なほうは阿波国風土記
44名前:名無しさん@1周年ID:
>>1

南北朝鮮人の卑劣さは、チョンポップの人気偽装の手口にあらわれているからな。

サクラの在日朝鮮人を観客役として大量動員した人気偽装コンサート、
日本人になりすました人気偽装カキコミ、
パンストを被ったような朝鮮顔の過剰整形・厚化粧、
ユーチューブの再生連打、「いいね!」連打は
朝鮮人がいつもやっている汚い手口だからな。

韓流アピールしている人のほとんどが在日朝鮮人だってことはバレているから。
だいぶ以前から在日企業や在日学生、在日系メディアを総動員した人気偽装をやっている。

【韓流】やはり、K-POPチケットを買っていたのは日本人ではなく在日朝鮮人たちだった[2012/7/6]
https://s.webry.info/sp/14819219.at.webry.info/201201/article_8.html
.

122名前:名無しさん@1周年ID:
>>1
おいおい四国まで絡んできやがったのかよw
観光客誘致の為か何か知らんが、少なくとも徳島県は無いわ
124名前:名無しさん@1周年2019/07/12(金)10:29:00.82ID:SQr1VOqY0
>>122
うん、徳島はない
ただ、淡路も含めて重要拠点の一つではあったようだ
249名前:名無しさん@1周年ID:
>>1
こいつなんでこのニュースばかりでスレ立てるんだ?

記者剥奪しろ!

304名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)07:41:24.16ID:/GfV4t5b0
>>1
最初の話は「隕石?」としか思わなかった
ライターさんは想像力豊かだねえ
413名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)11:22:31.24ID:CWaOovzA0
>>1
↓コレだね。

『古風土記逸文』※阿波
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1210472/105

418名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/13(土)11:29:42.67ID:6/b4+FnV0
>>413
おお、ありがとう。
良い時代になったものだ。
423名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/13(土)11:36:41.77ID:6/b4+FnV0
>>418
と思ったが、肝心の>>1の天香久山の話は書いとらんな。
最近になって見つかった逸文なんじゃろか。
480名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)12:58:44.65ID:CWaOovzA0
>>423
「アマノリト山」のことらしい。

『古風土記逸文』※阿波 アマノリト山
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1210472/106

「アマノリト山」の記述は大和風土記と伊予風土記にもあるらしい。

『古風土記逸文考証』※阿波 アマノリト山
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1219675/259

486名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/13(土)13:07:33.50ID:6/b4+FnV0
>>480
おお、重ね重ねありがとう。
つか、縦書きの本なのにページめくりは右矢印だったのね。
一生懸命ページを遡ってた…orz
491名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/13(土)13:18:16.91ID:6/b4+FnV0
>>480
なるほど、「欠く山」→「香久山」か。
記紀風土記の地名伝承って、中年オヤジが居酒屋で考えたとしか思えんw
497名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)13:50:23.75ID:YWqtWPPB0
>>491
漢字の当て字から改名ってのは割と多いからね
うちの地域だと平家関係で内裏って地名があったんだが江戸時代中期だったかに内裏は恐れ多いからって大里に変わった
530名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/13(土)18:33:01.08ID:6/b4+FnV0
>>497
なるほどなあ。
「地名は言葉の化石」とか言うけど、こういう「良かれと思った」変更が厄介だ。
前に住んでた新潟には「飛田(ひた)」という地名があるけど、どうやらその由来は
奈良時代に全国の国分寺に併設された悲田院らしい。
「悲」の字を嫌ったんだろうけど、後世の人が見たらわけわからんw

>>511
突っ込まないぞw

423名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/13(土)11:36:41.77ID:6/b4+FnV0
>>418
と思ったが、肝心の>>1の天香久山の話は書いとらんな。
最近になって見つかった逸文なんじゃろか。
480名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)12:58:44.65ID:CWaOovzA0
>>423
「アマノリト山」のことらしい。

『古風土記逸文』※阿波 アマノリト山
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1210472/106

「アマノリト山」の記述は大和風土記と伊予風土記にもあるらしい。

『古風土記逸文考証』※阿波 アマノリト山
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1219675/259

486名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/13(土)13:07:33.50ID:6/b4+FnV0
>>480
おお、重ね重ねありがとう。
つか、縦書きの本なのにページめくりは右矢印だったのね。
一生懸命ページを遡ってた…orz
491名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/13(土)13:18:16.91ID:6/b4+FnV0
>>480
なるほど、「欠く山」→「香久山」か。
記紀風土記の地名伝承って、中年オヤジが居酒屋で考えたとしか思えんw
497名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)13:50:23.75ID:YWqtWPPB0
>>491
漢字の当て字から改名ってのは割と多いからね
うちの地域だと平家関係で内裏って地名があったんだが江戸時代中期だったかに内裏は恐れ多いからって大里に変わった
530名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/13(土)18:33:01.08ID:6/b4+FnV0
>>497
なるほどなあ。
「地名は言葉の化石」とか言うけど、こういう「良かれと思った」変更が厄介だ。
前に住んでた新潟には「飛田(ひた)」という地名があるけど、どうやらその由来は
奈良時代に全国の国分寺に併設された悲田院らしい。
「悲」の字を嫌ったんだろうけど、後世の人が見たらわけわからんw

>>511
突っ込まないぞw

508名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)14:21:15.75ID:XGSVDfDG0
>>1
国生み神話と邪馬台国って直結しないと思うんだけどなぁ…
全体からして無理がある
540名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)20:39:34.84ID:0uNzfRVf0
>“柑橘類のある土地であった”

>>1の椿町の近くに橘町があるねw 偶然だろうけどw

562名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)00:13:51.59ID:64ucNOeV0
>>1
どこいっきょん?
889名前:名無しさん@1周年ID:
>>1
どこいっきょん
なにほたえとん
4名前:名無しさん@1周年ID:
四国っていうより淡路島だったんじゃない?
銅鐸が大量に見つかったし。
185名前:名無しさん@1周年ID:
>>4
淡路は阿波への路という意味合いも含まれるというからな
397名前:名無しさん@1周年ID:
>>4
日本神話だと淡路島が一番最初に誕生するんだよな
日本の王族の起源かもしれないね
400名前:名無しさん@1周年ID:
>>397
上沼恵美子女王説
5名前:名無しさん@1周年2019/07/11(木)23:01:49.29ID:9zjyY0Bg0
阿波と安房は?
70名前:名無しさん@1周年2019/07/12(金)01:57:33.40ID:Vfq2q8oH0
>>5
阿波国の人が住み着いたのが安房国
576名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)07:26:25.16ID:7dg2Ku2m0
>>70
なら九州の人が引っ越して住み着いたのが奈良ってことだよな
589名前:名無しさん@1周年ID:
>>576
九州と奈良の間に四国の期間があるんだろう
でないと忌部の存在を説明できない
7名前:名無しさん@1周年2019/07/11(木)23:05:00.67ID:F6Wp5UUB0
邪馬臺国じゃなくて邪馬壹国な
222名前:名無しさん@1周年ID:
>>7
邪馬台国と邪馬壱国の書き方の間違いはわざと
諱を嫌ったという説があるね
司馬懿の
411名前:名無しさん@1周年ID:
>>222
書き間違いじゃなく「台」の字が中国の朝廷をあらわす高貴な言葉になったので
「壱」の字で代用しただけだよ
倭の都市が「市(いち)」と呼ばれていたことも「壱(いち)」の字が採用された理由だよ
277名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)05:01:01.92ID:qNiT3tV00
>>7
イマドキ邪馬「壹」国なんて言ってるのは
古田カルト教に洗脳された池沼軍団w
20名前:名無しさん@1周年2019/07/11(木)23:11:22.10ID:dkfnRiCq0
東日流外三郡誌的な感じ?
22名前:名無しさん@1周年2019/07/11(木)23:13:19.00ID:L+CJj/LA0
>>20
もっと雑な仕事が多い町興しの誘致運動だよ。
507名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)14:21:12.86ID:zAAQO6da0
>>22
あれは狂気を感じるレベルの大偽書だからな
551名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)21:36:44.58ID:qNiT3tV00
>>507
古田教に感染した連中は今でも偽書だと認めないオカルト派
32名前:名無しさん@1周年2019/07/11(木)23:29:53.67ID:U2EkvIJN0
徳島の神社を調べたらここに行き着く
むしろ徳島以外考えられない
でも何故か隠してるっぽいから今のままでいい
36名前:名無しさん@1周年ID:
>>32
同意
大麻比古神社の神秘的空気感は異常
41名前:名無しさん@1周年ID:
>>36
板東英二の実家近くw
149名前:名無しさん@1周年2019/07/12(金)12:02:01.78ID:Ov90cA0n0
>>36
大麻比古神社は何か神秘的だよな
出雲大社とか伊勢神宮みたいな観光地となってないから、空気感が違う
211名前:名無しさん@1周年ID:
>>149
阿波國一之宮 大麻比古神社 はなぜ国幣中社(旧社格)?
淡路国一宮 伊弉諾神宮 の方が官幣大社で格上だけど。
244名前:名無しさん@1周年2019/07/12(金)20:47:59.81ID:u2C3IMll0
>>211
元々の阿波一宮は大麻比古神社では無く一宮神社(天石門別八倉比売神社)
40名前:名無しさん@1周年ID:
結局、何が出て来たら邪馬台国と確定するの?
91名前:名無しさん@1周年ID:
>>40
墓誌かなあ。
315名前:名無しさん@1周年ID:
>>40
金印
665名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)09:18:34.61ID:VfugHRjI0
>>40
決定権は中国の方にある
向こうで当時の邪馬台国の場所が書かれた地図が出てきたとき
66名前:名無しさん@1周年2019/07/12(金)01:37:43.40ID:pBGWXBYv0
つうかさ、何処か一カ所じゃなくて、支配地域が広かったんじゃねえの?
67名前:名無しさん@1周年ID:
>>66
九州北部にあったのが徐々に東征して畿内で大和朝廷になったというのが現実的だろうな
78名前:名無しさん@1周年ID:
>>67
>>72
んだんだ
絶対はないけど絶対それや
107名前:名無しさん@1周年ID:
>>67
九州の言葉は
(福岡・佐賀・長崎・熊本)(大分・宮崎)(鹿児島)の系統に大別され、
畿内の言葉に近いのは大分・宮崎の言葉で、福岡の言葉は遠い。
よって記紀の通り、大分・宮崎から開始というのを信じている。
114名前:名無しさん@1周年2019/07/12(金)09:35:43.29ID:fKZgeQph0
>>107
アマテラスが北上していくルートと同じように当時は陸路より海路での移動、交易が多かったらしいので瀬戸内海文化経済圏として考えると言葉が近いのはうなずける。
しかし「よだきい」が通じるのは大分と宮崎だけだw
72名前:名無しさん@1周年2019/07/12(金)02:13:00.46ID:EPayx/1+0
>>66
地中海沿岸一体を支配していた盛期のローマ帝国みたいに、
瀬戸内海の沿岸一体を領土としていた可能性もあるね
78名前:名無しさん@1周年ID:
>>67
>>72
んだんだ
絶対はないけど絶対それや
79名前:名無しさん@1周年2019/07/12(金)03:22:37.40ID:dlwG5U3P0
>>72
淡路島で発見された鉄工房は北部九州の技術だというからその可能性は高いね

弥生期の鉄製ヤス出土 淡路で近畿初
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201803/0011093126.shtml
>エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
>ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。

>弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
>愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
>「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
>今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。

80名前:名無しさん@1周年ID:
東に海があると倭人伝に記載があるから徳島で間違いない。狗奴国は高知だな。
学者もほぼ全員が邪馬台国阿波説に変わったからな。
279名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)06:03:44.33ID:qNiT3tV00
>>80
狗奴国は後漢書東夷伝に
自女王國東度海千餘里至拘奴國
女王国の東へ海を渡って千余里
と書いてある
283名前:名無しさん@1周年ID:
>>279
だからそれは間違い。
90名前:名無しさん@1周年ID:
邪馬台国が倭の象徴ならとっくにデカい遺構が出てきてるだろうに。
いまだ決定的な伝承も遺構もでてこないんだから可笑しな話だわ。
96名前:名無しさん@1周年2019/07/12(金)06:50:31.59ID:69m0X9qL0
>>90
巻向遺跡は外縁がどこか分からないぐらい大きな遺跡
高床式の遺構ばかりで竪穴式の遺構が出てこないから
住居がないとか余程高貴な身分の人が住んでいたんだろうとか

邪馬台国阿波説だって、東遷説の1種と考えるべきかと

528名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)18:21:11.88ID:qNiT3tV00
>>96
>巻向遺跡は・・・
>高床式の遺構ばかりで竪穴式の遺構が出てこないから・・・

饒速日ニギハヤヒが率いる物部氏などの先祖は
高床式建物で有名なパプア・ニューギニアから出発してマレーシア、ベトナム
(h)ttps://www.ab-road.net/asia/indonesia/tanatoraja/guide/sightseeing/09747.html
を経由して黒潮に乗ることに成功し
熊野もしくは紀伊水道、茅渟の海(=大阪湾)経由で大和に入った。
縄文人は中国人や東南アジア人より古い原始アジア人である
(h)ttps://imgur.com/gallery/fPeNF8s
高床式建物は熱帯地方の高温多湿の地面から上がってくる水蒸気で
木造の建物が腐らないようにするための知恵だ。
神明造りの神社も高床式、正倉院も高床式。
高床式は夏に高温多湿となる日本の気候にマッチしている。
シンガポールの郊外東海岸の高層フラット=日本で言うマンションのグラウンド・フロアーは
吹き抜けで階段で1mほど登った処にエレベーターの入り口がある。
グラウンド・フロアーの吹き抜けは冠婚葬祭の会場として利用される。

朝鮮半島に熱帯、亜熱帯系高床式の建物があったらソースを貼り付けて呉れ。

532名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/13(土)18:49:33.72ID:6/b4+FnV0
>>528
そいや、新羅で高床式の家形土器が出土したとどっかで聞いた気がしてググったら、
https://books.google.co.jp/books?id=uewmDwAAQBAJ
が出て来た。これのp290ね。

こっちはたぶん中国南部からの伝搬だが、実は北方の
ギリヤークあたりでも高床式倉庫はあって、こっちが伊勢神宮の
神明造りの祖だとする説もあったらしい。

>>529
三河説が入っとらんぞ。やりなおし。

100名前:名無しさん@1周年2019/07/12(金)07:25:43.12ID:F28eGNES0
伊邪那岐と伊邪那美が最初にやってきたのが四国だからなあ
始まりの地ではあるよね。あわというくらいだからおわりの地でもあるという事も暗示してるとは思うけど
101名前:名無しさん@1周年ID:
>>100
出発が九州だったから最初にやってきたのが四国というだけなんだけどな
145名前:名無しさん@1周年2019/07/12(金)11:44:18.79ID:Uiq2FCC70
>>101
なわけね―ジャン
九州は後だよ
106名前:名無しさん@1周年ID:
>>100
始まりというのは天皇家の始まりということかもしれない
146名前:名無しさん@1周年2019/07/12(金)11:45:21.18ID:Uiq2FCC70
>>106
天皇家の始まりは神武だよ
148名前:名無しさん@1周年2019/07/12(金)11:52:55.63ID:ru5GzaGA0
>>146
おそらく神武は、九州国家のはみ出し者ですね
小数の精鋭を率いて暴れまわっていたが、本国が失われたのでしょう

それで神武東征を始めたのですね
手始めに大宰府を襲い、しかし占領せずに瀬戸内海を東進し、
足掛け二年の電撃作戦(食糧は現地調達)で大阪湾に至ったわけです
広大な干潟だった大阪と奈良の先には、穀倉地帯のヤマトとオワリがありました

155名前:名無しさん@1周年ID:
>>148
>手始めに大宰府を襲い、しかし占領せずに瀬戸内海を東進し、
>足掛け二年の電撃作戦(食糧は現地調達)で大阪湾に至ったわけです

中国の三国(魏・蜀・呉)ならいざ知らず、卑弥呼の時代に大軍を率いて西日本一帯を戦い歩くことなど不可能。 あまりにも兵站を無視しすぎ。  @阿波

156名前:名無しさん@1周年ID:
>>148
神武は自分たちが九州勢力の弱小勢力出身なのが分かってたからこそ
自分たちは邪馬台国の女王卑弥呼の血を引く末裔だとか名乗っていたのかもね。
111名前:名無しさん@1周年2019/07/12(金)09:31:06.02ID:hX6EMJ270
大陸からの富が集まる北九州からさらにまた四国に海上輸送しなきゃならんとこに都ができるととか考えにくいな
118名前:名無しさん@1周年2019/07/12(金)09:52:29.36ID:nZ2BkWZO0
>>111
四国には四万十川と吉野川の巨大な川があるからね
飲み水、農業、輸送‥当時は川の大きさ=都市の規模
火山噴火で九州壊滅したなら四国へ移転理由になる
120名前:名無しさん@1周年ID:
>>118
四万十川は長さは長いけど、山の中をずっと流れていて、
平野が少なく周辺の人口も少ないからなあ~
高知なら、仁淀川や鏡川のほうが影響大きいでしょ。
126名前:名無しさん@1周年ID:
九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、

分かりやすいのが、明治天皇以前には、九州行幸が一切無いこと。

九州に倭王権があれば、有り得ない話である。  @阿波

132名前:名無しさん@1周年2019/07/12(金)10:52:52.81ID:U5VLz3+80
>>126
いやそれは神話や天皇と日本の成り立ちが関係ないって話だろ。
神話や邪馬台国は先住民族の話ってなるだけだろ?
138名前:名無しさん@1周年ID:
>>132

九州に倭王権があれば、倭王が九州の近場の温泉へ行幸しないのは、有り得ない話である。  @阿波

160名前:名無しさん@1周年2019/07/12(金)13:41:00.27ID:U5VLz3+80
>>138
それは対立してるからだろうね。
169名前:名無しさん@1周年ID:
>>160
>それは対立してるからだろうね。

いつまで対立させるつもりかね?
九州に倭王権が樹立されているのであれば、倭王が九州の近場の温泉へ行幸しないのは、有り得ない話である。  @阿波

172名前:名無しさん@1周年ID:
>>169
行幸って金かかるからなあ。
2000~3000人のちゃんとした宿舎を九州まで延々整備する金がなかったんでしょ。
朝廷に金が無かった江戸時代なんて京都から全然出てないし。
近代以前、朝廷に一番金と力があった奈良時代は外征やってた時代だからね。
173名前:名無しさん@1周年ID:
>>172
第34代舒明天皇は、四国道後温泉と播磨有馬温泉。  

第35代斉明天皇も、四国道後温泉と紀州白浜温泉の両方に行幸している。

しかし、それ以前の天皇は、四国道後温泉だけしか行幸していない。

このことから、第34代舒明天皇の御代頃から 、倭国(阿波)から奈良大和への王都進出の関心が高まったとみられる。  @阿波

177名前:名無しさん@1周年ID:
>>173
国際情勢、国内情勢を考えた?
斉明天皇は蝦夷を討伐させた後、(朝廷軍は札幌や奥尻島まで遠征したとの説あり)
百済救援軍を率いて福岡まで行って亡くなった。
百済救援に関しては舒明天皇の頃から何度か行われていたが
斉明天皇の遠征は万単位の3軍を編成した最大規模のもの。

この救援軍が敗退してからは九州は最前線になり、朝廷は改革を行って外交も内政も忙しくなった。

つまり朝廷はその国力の最盛期に外征、内政で忙しくて遠方まで行幸する金も時間も無かったの。

178名前:名無しさん@1周年ID:
>>177
>この救援軍が敗退してからは九州は最前線になり、朝廷は改革を行って外交も内政も忙しくなった。
>つまり朝廷はその国力の最盛期に外征、内政で忙しくて遠方まで行幸する金も時間も無かったの。

つまらんウソはイカンぜよ。

第34代舒明天皇は、四国道後温泉と播磨有馬温泉。  

第35代斉明天皇も、四国道後温泉と紀州白浜温泉の両方に行幸している。

しかし、それ以前の天皇は、四国道後温泉だけしか行幸していない。

このことから、第34代舒明天皇の御代頃から 、倭国(阿波)から奈良大和への王都進出の関心が高まったとみられる。  @阿波

195名前:名無しさん@1周年ID:
>>178
はい、ばいばーい。
最初から結論ありきなら時間のムダだわ。
198名前:名無しさん@1周年ID:
>>195
しっぽ巻いて、逃げるのかね? わははははは  @阿波
162名前:名無しさん@1周年2019/07/12(金)14:26:27.45ID:OIuwIZOE0
其の国もまた元々男子を王として70 – 80年を経ていた。
倭国は乱れ、何年も攻め合った。
そこで、一人の女子を共に王に立てた。
名は卑弥呼という。

>其國本亦以男子爲王 その国もまた男子を王とした
ここの個人的解釈

1世紀初めに近畿大勢力と東海大勢力が誕生
近畿大勢力は男子による王政 東海大勢力は共和制だったが
2世紀前期くらいに東海大勢力も
近畿大勢力と「同様に」男子王を立てて王政とした

>住七八十年 倭國亂相攻伐歴年

2世紀前期から後期までの間の長期に渡り
近畿大勢力と東海大勢力は互いに攻めあった

>乃共立一女子為王 名日卑弥呼
和解して共立の女王を置いた 卑弥呼という

倭国大乱ていうけど魏志倭人伝では
大乱とか書いてないんだよね
乱とだけ >倭國亂相攻伐歴年
最終的には共立していて
あまり激しい衝突ではなかった可能性がある

倭国大乱と書いたのはあとに書かれた後漢書(4~5世紀)
>桓 靈閒 倭國大亂 更相攻伐 歴年無主
>有一女子 名曰卑彌呼 年長不嫁 事鬼神道 能以妖惑衆
>於是共立爲王
倭国大乱と勝手にアレンジしたこっちの言葉の一人歩き

359名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)10:15:38.71ID:gbI1qFxZ0
説明が足りなかったね
>>350 >>353 >>354 これらを踏まえて >>162を読んでね

>其國本亦以男子爲王 その国もまた男子を王とした
ここのその国は東海勢力
「もまた」だから東海の扱いの方が低く
倭国の母体はもう一方の近畿勢力だと思われる
共立して卑弥呼の時代に東海海勢力は
近畿勢力に飲み込まれたと思われる

>倭國亂相攻伐歴年
倭国乱れ相攻伐しあうこと歴年
相攻伐ってとこから主に近畿と東海の2国間の争いだったと思うんだよ

361名前:名無しさん@1周年ID:
>>359
いやだから九州の銅矛、出雲の銅剣勢力のほうが国力デカいからな
204名前:名無しさん@1周年ID:
九州北部と近畿両方が邪馬台国領だった場合、当然ながら四国や中国地方も
全体または大部分が同じく邪馬台国領だった可能性は高いと思う
206名前:名無しさん@1周年ID:
>>204
よく、落ち着いて考えなさい。
太古の卑弥呼の時代に、そんな西日本一帯にまたがる国があると思うのかね? 妄想過剰。  @阿波
208名前:名無しさん@1周年2019/07/12(金)18:51:01.86ID:3ySotSl20
>>206
それなら、倭国大乱がどんだけ狭い範囲で起きたってんだよ
そもそも邪馬台国は連合国家のようだし、ある程度広範囲でないとおかしいだろ
220名前:名無しさん@1周年ID:
>>208
>それなら、倭国大乱がどんだけ狭い範囲で起きたってんだよ

倭国(阿波)国内での争乱。 以上。

>そもそも邪馬台国は連合国家のようだし、

そもそも、勝手な根拠のない妄想。  @阿波

224名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/12(金)19:34:24.39ID:7H0qoLuy0
>>220
うむ。
ホメロスの「オデュッセイア」とか、10年に渡る壮大な放浪の叙事詩だけど、
その舞台は日本海よりも狭いエーゲ海なんだよね。
まあ、阿波一国で大乱してもいいかも知れんw
229名前:名無しさん@1周年2019/07/12(金)19:52:26.61ID:U5VLz3+80
>>206
なかったらおかしいわな、大陸と交流があるのに。
お前の説がおかしいのよ、九州から始まる都市じゃないとそもそも連結しない。
生産性もない。
230名前:名無しさん@1周年ID:
>>229
>なかったらおかしいわな、大陸と交流があるのに。

倭国(阿波)では、大陸から鍛冶素材を入手して鉄鍛冶を倭国(阿波)内各地で実施し、中国鏡・中国産朱も渡来している現実がある。

また、朝鮮半島で作られたと思われる青銅鏡や鉄斧も出土している。

「大陸と倭国(阿波)までの流通ルート」が確立されているのは紛れもない事実である。  @阿波

216名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/12(金)19:11:59.07ID:7H0qoLuy0
黄泉の国から戻ったイザナギが禊ぎをした場所
(=アマテラス姉弟や住吉三神、綿津見三神が生まれた場所)は
「筑紫の日向の小戸の阿波岐原」 なんだが、なにげに
筑紫・日向と並んで阿波の地名が入っているんだよね。

イザナギは、記紀神話編纂の頃は淡路島の神人たちの祀る神だったけど、
少なくとも彼らにとっては、阿波は日向や筑紫と並ぶ聖地だったんだなと。

223名前:名無しさん@1周年ID:
>>216
>筑紫・日向と並んで阿波の地名が入っているんだよね。

「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」

筑紫じゃない!  「竺紫」とくし!

日向は、日向国のことじゃない!  @阿波

 

225名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/12(金)19:35:34.66ID:7H0qoLuy0
>>223
お、おう…。

> 「竺紫」とくし!
ってどこなん?

227名前:名無しさん@1周年ID:
>>225
> 「竺紫」とくし!
ってどこなん?

黄泉の国から戻ったイザナギが禊ぎをした場所→徳島県阿南市周辺。  @阿波

254名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/12(金)23:54:12.18ID:7H0qoLuy0
>>246
うむ。
>>216でも書いたように、記紀神話の中では阿波はたしかに、
他の地域とは違う扱いをされているんだよね。なぜか>>223は怒るけどw
332名前:名無しさん@1周年ID:
>>223
「橘の小門」って橘湾かな?

>>311
>三重だってあり得る話だよな。なにしろ伊勢神宮があるし。

理由になってない、「元伊勢」でググれ

254名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/12(金)23:54:12.18ID:7H0qoLuy0
>>246
うむ。
>>216でも書いたように、記紀神話の中では阿波はたしかに、
他の地域とは違う扱いをされているんだよね。なぜか>>223は怒るけどw
246名前:名無しさん@1周年ID:
阿波邪馬台国説ソースが思った以上でびっくり
九州畿内説支持はもはや感情的で願望みたいだぞw
247名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/12(金)22:55:34.72ID:7H0qoLuy0
>>246
三河説 「ふっふっふ、九州説畿内説は邪馬台国候補の中でも最弱…」
251名前:名無しさん@1周年ID:
>>246
感情で願望を語るなよw
254名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/12(金)23:54:12.18ID:7H0qoLuy0
>>246
うむ。
>>216でも書いたように、記紀神話の中では阿波はたしかに、
他の地域とは違う扱いをされているんだよね。なぜか>>223は怒るけどw
250名前:名無しさん@1周年ID:
邪馬台国は奈良県って結論出てただろ_
252名前:名無しさん@1周年ID:
>>250
その前に涙拭けよ
263名前:名無しさん@1周年ID:
>>250
結論なんてものは学問の世界には未来永劫訪れないのだ
266名前:名無しさん@1周年ID:
>>263
いや少なくとも畿内説は可能性ゼロって結論出たよ。
256名前:名無しさん@1周年ID:
瀬戸内海沿岸を抑えた一族の姫様が
後の卑弥呼と言うイメージだわ
258名前:名無しさん@1周年ID:
>>256
ありえるね。
物語ひとつ書けそうだなwww
261名前:名無しさん@1周年ID:
>>258
頭から物語設定なのな
260名前:名無しさん@1周年ID:
>>256
そんなイメージ全然無い。
264名前:名無しさん@1周年ID:
そもそも「阿波風土記」って何ぞや?(´・ω・`)
「阿波国風土記」ではないの?
280名前:名無しさん@1周年ID:
>>264
たぶん近世に作られた古史古伝レベルの何かだな
341名前:名無しさん@1周年ID:
>>280
てことは、偽書の類いである可能性も大ってことか。
291名前:名無しさん@1周年ID:
>1
>空から大きな山が阿波国に落ちてきた。~これは何の比喩なのか。阿波で成立した国家が奈良に移動したととれないだろうか。

隕石落下を語っているだけ。

>日本神話において、一番最初に生まれたのが淡路島であり、その次に四国である。

大ウソつき。はじめが淡路島で次は本州、四国はその次。

日本書紀原文
豊秋津洲。次生伊豫二名洲。次生筑紫洲。次雙生億岐洲與佐度洲。世人或有雙生者、象此也。次生越洲。次生大洲。次生吉備子洲。

説を唱えるにも出だしからクォリティが低すぎて話しにならない。

293名前:名無しさん@1周年ID:
>>291
>はじめが淡路島で次は本州、四国はその次。

大ウソつき。  @阿波

300名前:名無しさん@1周年ID:
>>293
ソース出してんだからあきらめろw
317名前:名無しさん@1周年ID:
>>291
ググっただけだけど、古事記では本州は最後みたいよ。
327名前:名無しさん@1周年ID:
>>317
>ググっただけだけど、古事記では本州は最後みたいよ。

>>291は、我田引水。 可哀そうな人。 @阿波

333名前:名無しさん@1周年ID:
>>317
古事記と日本書紀の記述があわないことはしょっちゅうだし、どれが正しいなんてことは言えない

日本書紀には一書にいわくで計6説書いてあるわけで、島が出来た順番なんて考えるのは時間の無駄

342名前:名無しさん@1周年ID:
>>333
いや、だから日本神話として淡路島の次が四国だという話は間違ってはいないんじゃ
ないの?
346名前:名無しさん@1周年ID:
>>342
いやそういうことじゃなくて
これは伝説でほんとに起こったことじゃないんだから決まった正解なんてない
いろんな伝承があったということがわかるだけで

それぞれの伝承がどの豪族由来のものなのかわかればまあ議論の余地もあるけどね

327名前:名無しさん@1周年ID:
>>317
>ググっただけだけど、古事記では本州は最後みたいよ。

>>291は、我田引水。 可哀そうな人。 @阿波

298名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)07:24:57.44ID:GpZeKg7v0
てか出雲民族=島根っていうのも懐疑的なんだよな
出雲民族は京都奈良周辺の話が多い
302名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)07:34:53.90ID:AT7CLKba0
>>298
追いやられたとかじゃないの?
303名前:名無しさん@1周年ID:
>>298
自分は詳しくないがアメノヒボコとの関係も気になるな
307名前:名無しさん@1周年ID:
>>298
>出雲民族は京都奈良周辺の話が多い

そりゃ、みんな忌部一族なんだから。  @阿波

308名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)07:52:14.24ID:/GfV4t5b0
>>298
自分もあまり詳しくないんだけど
日本海周辺に渡来系の文化があって、
それがあちこちに移動してるのかな

伊勢に祀られてる豊受大神は丹波出身だし
元出雲の別称がある出雲大神宮は丹波(亀岡)に
あるけど

309名前:名無しさん@1周年ID:
>>308
>伊勢に祀られてる豊受大神は丹波出身だし

「神道五部書」の『豊受皇太神御鎮座本記』の内容を「国史大系」の第七巻から見てみると

「天村雲命伊勢大神主上祖也。神皇産霊神六世之孫也。阿波國麻植郡座忌部神社、天村雲神社、二座是也」

阿波國に座す二社(忌部神社、天村雲神社)が皇祖皇統の正統なる末裔であると記している。

阿波忌部が伊勢神宮(少なくとも外宮の)の正統なる祭祀者であり、伊勢神宮は阿波忌部の上祖(天日鷲命)を祀っているのである。

316名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)08:09:26.91ID:/GfV4t5b0
>>309
話逸れるけど「天村雲」は剣ではなく人なんだ
功績があるから剣に名がついたか、
剣から名をもらったのか、とか考えるとロマンあるね
321名前:名無しさん@1周年ID:
饒速日命の孫「天村雲」を祀る「阿波国式内社 天村雲神社」(徳島県吉野川市)

延喜式神名帳には麻植郡天村雲神伊自波夜比売神社二座とある。その論社が徳島県吉野川市山川町村雲にある「天村雲神社」である。

祭神は,「天村雲命」と「伊志波夜比女命(いしはやひめ)」の二柱である。

>>316
>話逸れるけど「天村雲」は剣ではなく人なんだ

「天村雲命」は,饒速日命の孫で,天香語山命又名を手栗彦命(たぐりひこのみこと)高倉下命(たかくらじのみこと)と穂屋姫(ほやひめ)の子である。

阿俾良依姫(あいらよりひめ)を妻として,天忍人命(あまのおしひとのみこと)天忍男命(あまのおしおのみこと)忍日女命(おしひひめのみこと)を生んだ。

323名前:名無しさん@1周年ID:
>>316
>話逸れるけど「天村雲」は剣ではなく人なんだ

饒速日命の孫「天村雲」を祀る「阿波国式内社 天村雲神社」(徳島県吉野川市)

延喜式神名帳には麻植郡天村雲神伊自波夜比売神社二座とある。その論社が徳島県吉野川市山川町村雲にある「天村雲神社」である。

祭神は,「天村雲命」と「伊志波夜比女命(いしはやひめ)」の二柱である。

「天村雲命」は,饒速日命の孫で,天香語山命又名を手栗彦命(たぐりひこのみこと)高倉下命(たかくらじのみこと)と穂屋姫(ほやひめ)の子である。

阿俾良依姫(あいらよりひめ)を妻として,天忍人命(あまのおしひとのみこと)天忍男命(あまのおしおのみこと)忍日女命(おしひひめのみこと)を生んだ。

325名前:名無しさん@1周年ID:
>>323
「天村雲命」は,
(1)饒速日命が大倭国に天降るときに防御の人として高皇産霊神に使わされた三十二人の内の一人。「先代旧事本紀」
(2)邇邇芸命に命ぜられて高天原から水の種を持ち帰った。それが天真名井である。その功績として,邇邇芸命より天二上命,小橋命という名を賜った。

「小橋」と言えば,「邇邇芸命」の三世孫の「神武天皇」は,日向時代に,阿多小橋君の女(むすめ)の阿比良比売を妻としている。 

小橋命とよばれた「天村雲命」の孫あるいは曾孫が阿比良比売で,「邇邇芸命」の三世孫の「神武天皇」に嫁いだとしても不思議ではない。

「天村雲命」の妻の阿俾良依姫と阿比良比売の名にも共通性を感じる。
 
「天村雲命」は又の名を天五多手(あめのいたて)という。麻植郡には忌部郡と射立郡があり,「天村雲神社」が鎮座する射立郡は天五多手(あめのいたて)の名に通じる。 

「天村雲神社」や同じく式内社の「伊加々志神社」周辺には「雲宮」とか「天王原」とか何やら意味ありげな地名が見える。  @阿波

311名前:名無しさん@1周年ID:
徳島とか言い出すんだったら
三重だってあり得る話だよな。なにしろ伊勢神宮があるし。
314名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/13(土)08:05:08.44ID:6/b4+FnV0
>>311
三重の志摩は御食国でいいじゃん。
美味しいものがいっぱいあるのだ。淡路もそう。

阿波には粟しかない。

318名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)08:11:28.68ID:/GfV4t5b0
>>314
鳴門の渦潮…あれは食べられないかw

徳島に行った友達から刺身が美味かったとは
聞いたよ
宿が少なくて難儀したらしい

332名前:名無しさん@1周年ID:
>>223
「橘の小門」って橘湾かな?

>>311
>三重だってあり得る話だよな。なにしろ伊勢神宮があるし。

理由になってない、「元伊勢」でググれ

313名前:名無しさん@1周年ID:
内宮、外宮、両宮の御鎮座当初より忌部氏が祭祀を司っていたのはまぎれもない事実であり、6世紀に中臣氏に取って代わられるまでその地位は安泰だった。

その御鎮座時を記録するために度会氏が14世紀になってこの『豊受皇太神御鎮座本記』を記したのであろう。

ただ、「伊勢大神」というのは「天照大神」を指していて、

穀物神である豊受大神を祭神とする外宮「豊受大神宮」の記録『豊受皇太神御鎮座本記』に、この「伊勢大神」=「天照大神」の記述があるのは、非常に不自然である。

つまり、「豊受大神」(外宮)=「伊勢大神」=「天照大神」(内宮)ということか。  @阿波

322名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)08:19:00.52ID:/GfV4t5b0
>>313
伊勢大神は天皇家で、豊受大神は別の家で
親戚(皇戚)だとかでは?

古代は人が少ないから、王様やエライさんは
親戚同士なんじゃないの
物部氏も蘇我氏も天皇家の外戚みたいな感じで

324名前:名無しさん@1周年ID:
>>322
>物部氏も蘇我氏も天皇家の外戚みたいな感じで

物部氏も蘇我氏も天皇家も、みんな元は忌部一族。
ここでいう忌部一族とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。
忌部一族とは倭人(広義の忌部氏)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。  @阿波

326名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)08:28:56.12ID:/GfV4t5b0
>>324
現代でも兵庫あたりからイノシシが瀬戸内海
泳いで渡ってくるくらいだから、
古代でも船で阿波(だけじゃなく、四国の瀬戸内海側)と本州は割合と交流できそうだよね
328名前:名無しさん@1周年ID:
>>326
>古代でも船で阿波(だけじゃなく、四国の瀬戸内海側)と本州は割合と交流できそうだよね

言っとくけど、倭国(阿波)は縄文時代から、海を渡って交易しているよ。
倭国(阿波)の海人族、恐るべし。  @阿波

350名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)10:02:40.17ID:gbI1qFxZ0
1世紀初めの予想勢力図 右赤の近畿勢力と左青の東海勢力

359名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)10:15:38.71ID:gbI1qFxZ0
説明が足りなかったね
>>350 >>353 >>354 これらを踏まえて >>162を読んでね

>其國本亦以男子爲王 その国もまた男子を王とした
ここのその国は東海勢力
「もまた」だから東海の扱いの方が低く
倭国の母体はもう一方の近畿勢力だと思われる
共立して卑弥呼の時代に東海海勢力は
近畿勢力に飲み込まれたと思われる

>倭國亂相攻伐歴年
倭国乱れ相攻伐しあうこと歴年
相攻伐ってとこから主に近畿と東海の2国間の争いだったと思うんだよ

361名前:名無しさん@1周年ID:
>>359
いやだから九州の銅矛、出雲の銅剣勢力のほうが国力デカいからな
351名前:名無しさん@1周年ID:
ではヤマタノオロチとはなにか

ヤマタノオロチ=ヤマトのオロチ=ヤマトの蛇
であって

ヤマトにいる蛇といえば、もうこれは大物主だろう

天皇家の王女のモモソヒメが嫁いだ先だよ

蛇というのは、鍛冶による顔面のヤケドのことを言っているのではないか?

だから大物主は、嫁いできたモモソヒメに顔を隠したかった

805名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)13:46:22.63ID:FCWuyHGFO
>>351
トトは古代エジプトの神で、そこに付けたしたヒモモソっていう言葉があると考える
ほら、ヒモロギって言葉があるからさ
807名前:名無しさん@1周年ID:
>>805
間違い。
938名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)19:14:20.63ID:U67Cogzs0
>>805
正解、ヤマトトトヒとはヤマト、トート妃だから。トートとはエジプトの数学やらあらゆる知識の神、ピラミッドを作った神でもある。
つまり大物主の正体は元ははるか
エジプトからの神、
海を渡ってきたモノノベの意味だよ。
940名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)19:18:54.50ID:In00/u2r0
>>938
佐賀人A 「この席とっとっと?」
佐賀人B 「とっとーと!」
353名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)10:04:34.31ID:gbI1qFxZ0
たくさん種類があった銅鐸が分割消滅集約される様子

359名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)10:15:38.71ID:gbI1qFxZ0
説明が足りなかったね
>>350 >>353 >>354 これらを踏まえて >>162を読んでね

>其國本亦以男子爲王 その国もまた男子を王とした
ここのその国は東海勢力
「もまた」だから東海の扱いの方が低く
倭国の母体はもう一方の近畿勢力だと思われる
共立して卑弥呼の時代に東海海勢力は
近畿勢力に飲み込まれたと思われる

>倭國亂相攻伐歴年
倭国乱れ相攻伐しあうこと歴年
相攻伐ってとこから主に近畿と東海の2国間の争いだったと思うんだよ

361名前:名無しさん@1周年ID:
>>359
いやだから九州の銅矛、出雲の銅剣勢力のほうが国力デカいからな
354名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)10:05:39.20ID:gbI1qFxZ0
歴史秘話ヒストリア 銅鐸とまぼろしの王国 ②
http://blog.goo.ne.jp/snclimb/e/a322d3480b49313f2d9a7e1b420514a7

銅鐸の種類と変遷と出土状況から1世紀初めには
近畿と東海に国があったと思われる

359名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)10:15:38.71ID:gbI1qFxZ0
説明が足りなかったね
>>350 >>353 >>354 これらを踏まえて >>162を読んでね

>其國本亦以男子爲王 その国もまた男子を王とした
ここのその国は東海勢力
「もまた」だから東海の扱いの方が低く
倭国の母体はもう一方の近畿勢力だと思われる
共立して卑弥呼の時代に東海海勢力は
近畿勢力に飲み込まれたと思われる

>倭國亂相攻伐歴年
倭国乱れ相攻伐しあうこと歴年
相攻伐ってとこから主に近畿と東海の2国間の争いだったと思うんだよ

361名前:名無しさん@1周年ID:
>>359
いやだから九州の銅矛、出雲の銅剣勢力のほうが国力デカいからな
358名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)10:10:14.53ID:prbebl/f0
神話はもうどうでもいいほどに意味不明だよな、なにがなんだかわからない。
物語づくりの才能がないとしか思えない。
360名前:名無しさん@1周年ID:
>>358
読み解く必要がある

たとえば大国主が大物主と邂逅するシーン
「スクナビコが死んで困った大国主のもとへ海の向こうから光り輝く神様(大物主)が表れて~~~(大物主は)奈良の三輪山に鎮座することになった」

一方で別の項でニギハヤヒに関してサラッと書いてある記述
「神武天皇に先立ち天磐船で近畿に降り立った」

海からきて奈良に向かう光り輝く神様(大物主)と天磐船で近畿に向かう神(ニギハヤヒ)が同一神だと暗に示唆してるわけだ

362名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)10:18:13.97ID:prbebl/f0
>>360
やめてもらっていいですか?
なるわけないし、全く面白くもない、才能がないとしか思えない。
366名前:名無しさん@1周年ID:
>>362
いやなるでしょ

ニギハヤヒの存在を矮小化するためにいろいろ記述を変えてるだけで

363名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)10:19:07.61ID:gbI1qFxZ0
出土した銅鐸の変遷から考えられる
近畿国と東海国の戦いからの共立と
魏志倭人伝の記述が矛盾してないってことね
365名前:名無しさん@1周年ID:
>>363
いや矛盾してるよ
九州のほうが国力デカいのに、なぜその九州を含む倭国の中心が、国力に劣る奈良なのよ
という
371名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)10:28:35.56ID:gbI1qFxZ0
>>365 そのとおり九州の方がすすんでる
これはいつもの引越しで説明できる

銅鏡が発見された伊都国平原遺跡が2世紀後半で
3世紀になると近畿で銅鐸が消滅して銅鏡が登場する
伊都国から奈良に来た卑弥呼が宗教改革を行ったと考えてる

375名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)10:32:14.89ID:AIUzPnYo0
>>371
卑弥呼は生涯引きこもっている
奈良に連行されたとしたら台与
386名前:名無しさん@1周年ID:
>>371
なぜ田舎に引っ越すのか

都会から田舎に女王が政権ごと引っ越した

なぜ?なんのために?
という

そこが説明できないと成立しないよ

367名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)10:25:37.11ID:fAtPrBcd0
ニギハヤヒは矮小化されてない

むしろ神武天皇の方に全然正当性がない
これ書いていいの?ってくらい理不尽な侵略だよ

377名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/13(土)10:33:27.90ID:6/b4+FnV0
>>367
「東に良い土地がある」と伝えた塩筒老翁が悪いよな。

定職にも就かず田舎町で暴れてたヤンキー兄弟をそそのかして、
厄介払いした爺さんの構図w

385名前:名無しさん@1周年ID:
>>367
正当性はあるし正統性もあるよ

神武は「天羽羽矢」を持ってた
これは王権の正統性を示すもの
「誰から貰ったのか」を記紀では「あえて」書いてない

迎え撃つナガスネヒコも天羽羽矢を持ってた
これはニギハヤヒから渡されたもの

どちらも「同一の文化を共有する共通王権の将軍」だとわかる
共通王権内の配置換え、勢力争いなんだよ

神武は勝手に九州に行ったのではなく、「認められて」九州に行ったわけ

じゃあ誰に?誰が神武に天羽羽矢を渡したの?

と考えれば、答えは簡単で

387名前:名無しさん@1周年ID:
>>385
神武は東征にあたってまず福岡の岡田宮を訪ねてる

この岡田宮の主こそが神武に天羽羽矢を渡して奈良に行くことを許可した「真の倭国王」だろうよ

福岡は金印の出土以来一貫して倭国の最も発展した地域
そこに真の大王がいたんだよ

389名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)10:56:43.86ID:AIUzPnYo0
>>387
最初に寄ったのは宇佐な
390名前:名無しさん@1周年ID:
>>389
そうなんだけど
東に行くなら福岡寄る必要ないからな
宇佐から東に瀬戸内海進めば良い

それをわざわざ北上して、経路的には行く必要のない福岡に寄っている

この意味を知るべきだね

407名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/13(土)11:15:41.67ID:6/b4+FnV0
>>389
宇沙都比売が神功ご一行さまをもてなした一柱騰宮(想像図)
468名前:名無しさん@1周年ID:
>>407
子供の頃にこういう木の上に家作るの夢だったわ
523名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)15:51:22.43ID:jrGFuX2D0
>>407
鬼太郎ハウス!
392名前:名無しさん@1周年ID:
>>387
魏志倭人伝でも普通に畿内と奴国が連合勢力なのをみると、畿内と九州はまぁ何かしら関係性があったんだろうな
恐らく九州と吉備、畿内のラインはわりとツーカーだったんだろうと思っている
396名前:名無しさん@1周年ID:
>>392
古代の同盟といえば、婚姻関係だろうよ
王が息子を他地域に派遣して他の王の娘と結婚させる
この子供が二国の共通の王となる
こうやって国をデカくしていった

問題なのは、王が複数の他国と同様の婚姻関係による同盟を結んだ場合
いろんな場所に、いろんな血縁関係をもった王子王女が乱立して、それぞれが王国の相続権を主張する

だから倭国大乱を「相続争い」と見るのは合理的だよ

402名前:名無しさん@1周年ID:
>>396
個人的には大物主を祀っていた出雲系の王が瀬戸内海連合系の女王にその地位を譲ったものだと思っているけど、どうなんだろうね
399名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)11:09:18.60ID:AIUzPnYo0
>>392
魏志倭人伝には畿内のことは全く記述がない
391名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)11:01:08.47ID:fAtPrBcd0
磐井を過剰に評価する人が多いが磐井は典型的な地方豪族で特筆するほどの存在ではない

古墳秩序の買いに属し、朝廷に人質として出仕しているなどその強い影響下にあるのが伺える
雄略天皇以来の大和朝廷の権力の伸長により圧力を受けて反乱に踏みきっただけ
役割としては熊襲への防壁としての緩衝国だったが熊襲の平定がほぼ一段落したことで存在意義を失ったことが危機感を高めたんだろう

出雲、吉備、葛城、武蔵、毛野らの討伐の流れと同じ

404名前:名無しさん@1周年ID:
>>391
「磐井(いわい)」っていう名称からして地方の豪族だとは思えない。
神は岩の中にいるという信仰があって
「いわい」っていうのは音的には岩の仲という意味だから
神様って意味だよ

現代でも天皇が参拝する大神神社の神のいる場所は「岩」だし
聖徳太子が信仰していた弥勒菩薩も「岩の中」から生まれた神だよ

415名前:名無しさん@1周年ID:
>>404
磐井は父方が雄略武烈の系譜だから越前系の継体天皇と対立したのかもな
625名前:名無しさん@1周年ID:
>>391
お前磐井を過小評価するなよ
398名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)11:07:49.96ID:fAtPrBcd0
邪馬台国は大和に間違いないが、そこが最古の場所で全てがそこから広がったと言う考えが間違えている
また弥生時代の大和や九州が成長発展して邪馬台国になったのでもない

大和、九州ともに邪馬台国時代にはそれまでの文化が刷新されておりこの両地域は邪馬台国の発祥の地ではない
寺澤薫氏もこの立場に立っている

弥生時代後期後半から東瀬戸内海のクニグニが中心となって、
大和から九州に至る地域をまとめる連合を作り出しその中心地が大和になったと言うのが実態

邪馬台国は大和に中心があるが、その文化的要素はその連合の構成国全てに見出される
多くの地域に邪馬台国に関わる要素が含まれていることが混乱の元になっていると言える

403名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)11:11:57.51ID:AIUzPnYo0
>>398
魏志倭人伝に邪馬台国は帯方郡から一万二千里と書いてあるから九州以外は不可能
405名前:名無しさん@1周年ID:
>>403
魏志倭人伝に邪馬台国は北部九州から水行30日と書いてあるから北部九州は不可能
410名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)11:19:49.79ID:AIUzPnYo0
>>405
魏志倭人伝は帯方郡の役人が書いたから起点は帯方郡
帯方郡から南に水行20日は投馬国=殺馬国=薩摩国
帯方郡から10日は九州北端。当時は馬も橋もトンネルも無く、前を行く人が見えないくらい草木が生い茂った中を歩いて行ったと書いてある。
九州北端から日田を経由して東側に海がある宇佐に出るのに一月かかった。
414名前:名無しさん@1周年ID:
>>410
>魏志倭人伝は帯方郡の役人が書いたから起点は帯方郡

これはないわ。こういう中国の学者がぜったい採用しない説を語っても意味ないよ

421名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)11:32:16.32ID:AIUzPnYo0
>>414
帯方郡の役人が九州を起点に報告書を作成するはずがない。
九州起点と全く書いていないし、ずっと帯方郡からスタートしている。
427名前:名無しさん@1周年ID:
>>421
無理。あきらめろ。さすがに本場の中国の学者が採用しない説を採用するのは無理があるよ
432名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)11:42:47.76ID:ZZaQqOyA0
>>410
奴国不弥国とかは半島にあったのか
確かに韓伝にも奴国不弥国って出てくるけど
416名前:名無しさん@1周年ID:
磐井の乱に関しては
新羅は北部九州の属国で
百済は畿内の属国ってことになってたのに
九州も支配下においていた畿内の王が勝手に新羅領をを百済に分け与えたから
領土問題で争ったんだよ
九州王の血をひいてたのが磐井
420名前:名無しさん@1周年ID:
>>416
当時は女系社会だから、安曇の系譜に入った磐井が九州の王という考えはあながち間違っていない
428名前:名無しさん@1周年ID:
>>416
あーなるほど
任那四県割譲事件か
426名前:名無しさん@1周年ID:
面白いよな
日本書紀や古事記を迷信と否定するのに魏志倭人伝は絶対真理にするなんて完全に矛盾している
それが「左翼」の政治工作の限界
430名前:名無しさん@1周年ID:
>>426
中国の歴史書はわりと正確っていうのが定説だからな
日本書紀は神話だが
435名前:名無しさん@1周年ID:
>>430
日本書紀が日本書の紀だと知ってるか?
中国の歴史書を真似て作ろうとしたんだよ
でも途中で頓挫した
理由は明らかだけどね
中国の歴史書が正確という根拠は実はない
邪馬台国の記述が証明している
実にいい加減だ
439名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/13(土)11:48:54.95ID:6/b4+FnV0
>>435
「紀」といいながら中身は編年体だもんね。
437名前:名無しさん@1周年ID:
>>430
中国の史官は殺されても記述を変えなかったとか、あと新王朝が前王朝の歴史をまとめるので、
前王朝の都合の悪いところも全部書くことになるとか、いろいろあるらしいからな

。まあ逆に言えばそれこそ権力者に忖度したこともあるだろうし、新王朝にとって都合の悪いことは
書かなかっただろうけどな。

473名前:名無しさん@1周年ID:
>>426
ほんとそれ!
そもそも距離が大雑把すぎて、正確な場所なんか分かるわけない
441名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)11:51:21.85ID:AIUzPnYo0
記紀で天皇家の始祖達同士が焼き殺したりマンコ突いたりキチガイ人種に描いているのは、日本人じゃないから。と思わない?
普通、勝者の作り話は、自分達の祖先をめちゃくちゃ立派に書くでしょ。
446名前:名無しさん@1周年ID:
>>441
記紀は天武朝によるプロパガンダ史書だから、天智天皇以前の皇族を(弘文天皇も含めて)貶め、天武朝を正当化しようとする傾向が随所に見られる。
888名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)17:44:28.76ID:FCWuyHGFO
>>441
記紀の総合指揮はフヒトで、百済と藤原に都合よい作為があるが、考古学的に正確な部分もある
457名前:名無しさん@1周年ID:
邪馬台国は九州に会った朝鮮族の王朝
ヤマト王権に追いやられて半島に撤退した
464名前:名無しさん@1周年ID:
>>457
その時代に朝鮮族も日本族もない
古墳も銅鐸も半島列島の広域に存在する
「国」を作るほどの文明になっていない
地方豪族の時代
卑弥呼も決して「女王」などではない
515名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)14:50:34.71ID:qNiT3tV00
>>464
邪馬台国を滅ぼしたのが朝鮮系の神武一党だろ
九州説では
518名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)15:06:29.57ID:DGqD70xH0
>>515
畿内説の一つとして、出雲の国譲りの話は大物主を信仰していた男王が九州吉備系の女王(天照)に国を譲って共立したというのもある
469名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)12:20:29.08ID:AIUzPnYo0
>>457
邪馬台国はコテコテの南洋系海人族
半島行ったら簡単に凍死出来る
520名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)15:13:27.44ID:qNiT3tV00
>>469
饒速日ビギハヤヒは天の磐舟に乗って大和に降臨=渡来した
ポリネシア、ミクロネシア系縄文人もしくは弥生人。
アマっていうのはミクロネシア諸語でカヌーの転覆防止用に船体と直角に
横に張り出した棒の先端に取り付けたfloat浮きのこと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ アウトリガーカヌー参照
(h)ttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1171673366
磐舟のイワはハワイ語で軍艦鳥Frigatebirdのこと。
471名前:名無しさん@1周年ID:
古代の人は卑弥呼萌えや壱与萌えで支配されてたのか
474名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)12:29:15.69ID:AIUzPnYo0
>>471
イトは13才
イヨは16才
475名前:名無しさん@1周年ID:
>>471
実際男王より台与タン萌のほうが
国が収まったらしいから。
476名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)12:31:13.15ID:OUDiC/w30
最近、四国説がよく上がってくるなw
毎回、上げてるの同じやつだろ?
479名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)12:56:00.95ID:DGqD70xH0
>>476
昔から熱心な阿波説論者がいるw
496名前:名無しさん@1周年ID:
>>479
邪馬台国阿波説の鏑矢は、昭和39年に保田兵治郎が発表した「邪馬台国阿波在国説」であろうと思う。
その後、昭和49年に堤高数氏が「邪馬台国は阿波だった」という小説を発表して、一時注目された。
さらに、阿波1国に限定しない「邪馬台国四国山上説」を岡山県出身の郷土史家・大杉博が、昭和60年ごろからさかんに主張していた。
剣山の失われたアーク同様、四国にまつわる「古くて、しかも新しい問題」ではあるな。
517名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)15:03:54.39ID:KxUNU+o10
>>496
大杉氏は論理が飛躍しすぎていて、何回読んでも納得できないのが残念。
519名前:名無しさん@1周年ID:
>>517
読み物としては面白いんだけどねーw
大杉の説に従えば、俺の実家はのまさに葦原中国の中心地域に建ってることになるんだが、何にもないただの田舎だぜ
482名前:名無しさん@1周年ID:
>>476
@阿波
というアホがいるよ
483名前:名無しさん@1周年ID:
>>482
アホはお前!
消えろ!
484名前:名無しさん@1周年ID:
>>483
なんだ、本人か。。。
487名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)13:08:25.92ID:DGqD70xH0
>>483
本人発見w
478名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)12:55:14.85ID:DGqD70xH0
どうも畿内説の中には畿内が九州を征服して服属させたと言いたがる人が多いんだけど、物証的に苦しいんだよね
北部九州には中国から畿内に多数あった高地性集落がないし、邪馬台国の時代以降も北部九州は反映している
戦いがなかったのに北部九州勢力が畿内とつながっているのは別の理由があると考えた方がいい
494名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)13:23:10.58ID:prbebl/f0
>>478
は?生活様式によるだろ。
なんで平地と有明海でそうなるかな?
522名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)15:46:07.35ID:IGCclCCS0
>>478
卑弥呼が死んで九州倭国連盟が再編になって九州北部の国々は近畿ヤマト連合に吸収合併された
九州倭国内部の大国であった伊都国や奴国を中心として、近畿ヤマト連合に参加した国々は筑紫国となった
最期まで抵抗をつづけた勢力は土蜘蛛として討伐された
その勢力がいた場所は山門とか言われてた場所かもしれない
493名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)13:22:28.34ID:ZZaQqOyA0
いつもわからないのは
「同じ形式は同じ時代」というやつ

同じ形式であっても、相対的に早く生まれて広まった地域と、後れて受け入れた地域があるはず
また、リバイバルすることはなかったのか

素人の疑問

495名前:名無しさん@1周年ID:
>>493
もちろんそういう可能性はあるよ
出土品の分布は同じものがでれば出ない地域よりは交流があった可能性が高くなるというだけ

なんか違う理由が有ってもおかしくはない

502名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)14:00:41.88ID:Wk0vxNdP0
>>493
1つ2つの土器の共伴で判断してるわけじゃない
型式変化が早い地域、遅い地域もあり、それも全部考慮されてる
509名前:名無しさん@1周年ID:
「明史日本伝」
日本は古来より王がおり、臣下では関白という者が最も尊いとされ
山城州の頭目、信長がこれになっていた。
ある日信長が猟に出ると木の下で眠る者がおり、跳ね起きて衝突しそうになった。
何者かと問い詰めると、名を平秀吉と言い薩摩州の奴隷で、雄健ですばしっこく口が上手かった。
信長はこれを悦び、馬の管理をさせ、「木下人」と名づけた。
後に重用され、信長のために策を尽くし、二十余州を切り取り、摂津州鎮守大将となった。
参謀に阿奇支なる者がおり、罪を得て、信長は秀吉にこれを討たせた。
にわかに信長は部下明智に殺される所となり秀吉は阿奇支をまさに滅した時に変を聞き
部将行長らと共に勝ちに乗じて兵を還し、明智を誅したので威名は益々振るった。
信長の三子を廃し、関白を僭称し、信長の衆をことごとく収めたのが万暦十四年である。

「魏志倭人伝」もこのレベルだよ(邪馬台国 w)

510名前:名無しさん@1周年ID:
>>509
なるほど、
全体的にみるとだいたい合ってるけど、
細かいところは全然違うなぁ

これよりも1000年古い魏志倭人伝なんだから正確性は期待できるわけないよな

550名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)21:33:33.09ID:qNiT3tV00
>>510
後漢書東夷伝を無視して
原典版魏志倭人伝じゃない宋版魏志倭人伝を盲信する九州バカが世の中を騒がせる
554名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)22:48:01.31ID:ZZaQqOyA0
>>550
原典版後漢書を見たんか?
557名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)23:15:16.32ID:qNiT3tV00
>>554
http://29.pro.tok2.com/~kyokutan/public/next/b06bgokannosyo/photo/big/010.jpg
↑の右ページ3行目から東夷伝倭の条が始まる。
左ページ終わりから2行目下から5字目
自女王國東度海千餘里至拘奴國 雖皆倭種而不屬女王 自女王國南四千餘里至侏儒國・・・
拘奴國=狗奴國が女王國の東の海を渡って千里の処にある
というのが宋版三国志魏志倭人伝と違う処。
http://29.pro.tok2.com/~kyokutan/public/next/b06bgokannosyo/photo/big/011.jpg
558名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)23:31:18.21ID:ZZaQqOyA0
>>557
それいつのだよ
20世紀の印刷本かなんかじゃないのか?
聞いてるのは「原典」だ
511名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)14:39:00.85ID:BULvKB1p0
>>509
うわ~ なんかそれっぽい文体ですてき こういうのさらっと書けるの憧れるわ
530名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/13(土)18:33:01.08ID:6/b4+FnV0
>>497
なるほどなあ。
「地名は言葉の化石」とか言うけど、こういう「良かれと思った」変更が厄介だ。
前に住んでた新潟には「飛田(ひた)」という地名があるけど、どうやらその由来は
奈良時代に全国の国分寺に併設された悲田院らしい。
「悲」の字を嫌ったんだろうけど、後世の人が見たらわけわからんw

>>511
突っ込まないぞw

524名前:名無しさん@1周年ID:
魏志倭人伝の1000里だの100里だのってアテにならないね
あんな時代に正確な測量できるわけないんだから
ものすごく適当に書かれてると思うよ
だから実際は九州でも畿内でも四国でもないかもしれない
全く別の場所だよきっと
552名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)21:41:57.73ID:qNiT3tV00
>>524
邪馬台国はインドネシアのJava島にあった・
邪馬はジャバと読むのが正しい
606名前:名無しさん@1周年ID:
>>552
それに一票
635名前:名無しさん@1周年ID:
>>552
古代日本語では語頭に濁音は来ない。
間違い。
529名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)18:25:20.01ID:U6m4Igfb0
邪馬台国論争収束どころかどんどん発散中
九州
奈良
滋賀
吉備
阿波 ←今ここ
532名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/13(土)18:49:33.72ID:6/b4+FnV0
>>528
そいや、新羅で高床式の家形土器が出土したとどっかで聞いた気がしてググったら、
https://books.google.co.jp/books?id=uewmDwAAQBAJ
が出て来た。これのp290ね。

こっちはたぶん中国南部からの伝搬だが、実は北方の
ギリヤークあたりでも高床式倉庫はあって、こっちが伊勢神宮の
神明造りの祖だとする説もあったらしい。

>>529
三河説が入っとらんぞ。やりなおし。

534名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)19:03:28.62ID:Fx2YfkhT0
>>529
さきたま古墳邪馬台国説
549名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)21:14:17.80ID:KxUNU+o10
>>534
時代が合わんでしょ。
555名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)22:58:09.24ID:B2+7LHW50
>>549
ボケつぶしいくない
531名前:名無しさん@1周年ID:
旧唐書には、日本について
中国で伝承されてきた内容を記した「倭国伝」と
遣唐使を送ってきた大和政権が説明した内容を記した「日本国伝」の
2つの記述が書かれている

中国で伝承されてきた内容を記した「倭国伝」では、聖徳太子が派遣した遣隋使「小野妹子」の帰国に同行して
608年に大和に来た隋の「裴世清」が奈良のことを「邪靡堆を都としており魏志の邪馬臺である」と述べているように
奈良の天皇を頂点とする大和政権は、【親魏倭王】の末裔であるという認識だ

一方、遣唐使の帰国に同行して、632年に大和に来た唐の「高表仁」に、
【皇極天皇】「天豊財重日足姫尊(あめとよたからいかしひたらしひめのみこと)」が自ら説明した内容を記した「日本国伝」によると、

初代の国王は、高天原に生まれた天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)
32代目の国王の「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)」までは九州の筑紫城に住んでいたが

「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)」の【第4皇子の神武】が、大和にあったアマテラスの国、親魏倭王の「邪馬台国」を滅ぼして、大和に移り住んでのっとった

我々天皇を頂点とする大和政権は九州の海神の国「狗奴国」【漢委奴国】の末裔であるという認識だ

535名前:名無しさん@1周年ID:
>>531 つづき

中国で伝承されてきたように【親魏倭王】邪馬台国の末裔だと思ってやってきたのに、邪馬台国と戦争していた【漢委奴国】狗奴国の末裔の国だったんだから

そりゃあ、唐の使者の「高表仁」は、大和政権と口論となるし、あわてて唐に帰国するはずだ

571名前:名無しさん@1周年ID:
>>531
この天皇が説明した内容ってどこにあるの
wikisourceの旧唐書見ても無いんだけど
784名前:名無しさん@1周年ID:
>>571
唐(618年 - 907年)

後晋(936年- 946年)『旧唐書』945年

【倭国伝】
倭国とは古の倭奴国なり。
京師から去ること一万四千里、新羅の東南の大海中に在り、山島に依って居る。
東西に五カ月、南北に三カ月の行程。
世々中国と通ず。
其の国、居るに城郭なく、木を以て柵を為し、草を以て屋を為る。
四面に小島、五十余国あり、皆附屬す。
其の王、姓は阿毎氏なり。
一大率を置きて諸国を検察し、皆これに畏附す。
官を設くる十二等あり。

【日本国伝】
日本国は、倭国の別種なり
その国は日邊(日出の処)在るを以て、故に日本と名を為す。
或いは云う、倭国は自ら其の名の雅ならざるを惡み、改めて日本と為す。
或いは云う日本は旧く小国で倭国の地を併す。
入朝する者、多く自ら矜大、実を以て対(こた)えず、故に中国これを疑う。
また、その国の界は東西南北に各数千里、西界と南界いずれも大海に至り、東界と北界は大山が有るを限りと為し、山外は即ち毛人の国

北宋(960年 - 1127年)『新唐書』1060年
【日本伝】
日本は古の倭奴である。
京師から一万四千里、新羅の東南にあたり、海中の島に在って居る。
東西には五カ月の行程、南北には三カ月の行程。国に城郭がなく、連ねた逆木で柵落と為し、草で屋根を茨く。
左右に小島が五十余り、皆、自ら国と名付けて、これに臣下が付随している。本率を一人置き、諸部を検察させている。 
そこの俗は女が多く男が少なく、文字があり、浮屠の法(仏教の教え)を尊ぶ。その官には十有二等である。
王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。
彦瀲の子の神武が立ち、改めて「天皇」を号とし、大和州に移って統治する。

790名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)13:22:11.90ID:XGKbp6KD0
>>784
>改めて「天皇」を号とし

天皇を使い始めたのは天武天皇からという説が強い。
それより前はスメラギとかスメラミコト
あるいは「於保支見=オホキミ」などと呼んでいた。
だから神武天皇は平安時代以降の呼び方で
東征時代や即位した時の神武を天皇と呼ぶのは
時代錯誤の間違い。

藤原鎌足も死の床にあって天智天皇から藤原姓を賜って
間もなく死んだから生前の鎌足を藤原鎌足と呼ぶのも間違い

794名前:名無しさん@1周年ID:
>>784 つまりだ

後晋(936年- 946年)『旧唐書』945年では
唐(618年 - 907年)時代の日本に対する認識は

古くは「漢委奴国」と呼び、どんな時代もずっと中国と交易していた
九州の国【倭国】が、日本の正統な国であり

日邊(日出の処)在るを以て、故に日本と名を為した
あるいは、邪馬台という名前が嫌で日本と言う名に国名を変えた
奈良の国【大和】は、日本の正統な国ではなく、信用なら無い国

と書かれている

ところが、それから100年後の
北宋(960年 - 1127年)『新唐書』1060年では

九州の筑紫城にずっと居住していた日本の正統な国【倭国】の国王の、32代目の彦瀲の子の神武が天皇を名のって移り住んで統治した国なので、
奈良の大和の日本国は、古の倭奴「漢委奴国」だ

と書かれている

797名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)13:35:55.98ID:8FiiLVAV0
>>794
なるほど納得
823名前:名無しさん@1周年ID:
>>794
>奈良の大和の日本国は、古の倭奴「漢委奴国」だ

奈良の大和の日本国は、古の倭国(阿波)だ。  @阿波

536名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)19:51:12.18ID:YRdtx2jc0
樽悶はいい加減に邪馬台国スレをたて続けるのやめれって
538名前:名無しさん@1周年2019/07/13(土)20:05:54.37ID:R2+gOzNL0
>>536
需要があるから建てたスレがすぐ埋まる
何が問題?
559名前:名無しさん@1周年ID:
>>538
九州のゴミ朝鮮人に需要があるだけだろ
死ねよアホボケカス
547名前:名無しさん@1周年ID:
> しかも、不気味なことに、この遺跡の周辺には、ヒルコ神社が二十数箇所鎮座しているのだ

妖怪ハンター稗田礼二郎の出番か!?

553名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/13(土)22:10:41.37ID:6/b4+FnV0
>>547
面白いなあ。
ヒルコ(エビス)神といえば、タブーを犯した因果で産まれた不具の子だけど、
同時にアハシマ(あわしま)も産まれて、これも無かったことにされているんだよね。
一般的な解釈では「粟のように小さい島」なんだけど(ちなみに新潟県に実際に
その名の島があるが、たぶん無関係)、これが阿波と結びつくのは不自然じゃない。
ところがその粟島神社も淡島神社も徳島では薄くて、同じく遺棄された兄弟の
ヒルコ神の方を祀る社が多いと。
595名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)08:04:44.68ID:w6wEw6nI0
>>553
阿波というと、鳴門からイメージして泡かと思っていたが、稲作伝来前の粟かもしれないですな。
607名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)08:19:24.45ID:In00/u2r0
>>595
粟(阿波)の国や、黍(吉備)の国や小豆の島なんかがあるよね。
九州の豊の国の豊(豊草)も里芋のことらしいし、難波は「魚(ナ)の庭」、
安芸の国は「飽食の国」の意味だそうな。

そのあたりの事情は、木村紀子「『食いもの』の神語り」(角川選書)によると、
 > 太古の人々は、自ら居住するクニが、いかに「食ひて活くべきもの」に
 > 困らない豊かな土地かを競って、その独自性を際立たせた名を国名にした。
てなことなんだと。

610名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)08:22:17.56ID:w6wEw6nI0
>>607
いい薀蓄、ありがとうございます。
613名前:名無しさん@1周年ID:
>>607

「阿波の神様 大宜都比売」

大宜都比売(大気都比売神、大宜津比売神、大気津比売神)は、日本神話に登場する女神。

名前の「オオ」は「多」の意味、「ゲ」は「ケ」の食物の意味で、穀物・食物・蚕の女神である。

『古事記』においては、「大宜都比売」は国産みにおいて伊予之二名島(四国)の中の「阿波国の名前」として初めて表れる。

阿波忌部は、海部(あまべ)とともに日本各地に進出して、麻、穀を植え、農業、養蚕、織物、製紙、建築、芸能などを伝えた祭祀族、海民族、産業技術集団。  @阿波

623名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)08:43:55.71ID:In00/u2r0
>>613
こっちは環太平洋焼畑文化圏の、ハイヌウェレ神話からやってきた女神だよね。
黒潮が洗う阿波国にやってきて居ついたのは、いかにもという感じだよね
(吉田敦彦「昔話の考古学」(中公新書))。
ただ、古事記の中では稲や養蚕までオホゲツヒメ起源にされているが、これは
7世紀後半の状況を踏まえた改変で、彼女はあくまで畑(焼畑)の神なのだ。
631名前:名無しさん@1周年ID:
>>623婆
>7世紀後半の状況を踏まえた改変で、彼女はあくまで畑(焼畑)の神なのだ。

だから、
弥生時代前期末から中期初頭(2400年~2300年ほど前)にかけて、西日本一帯で発生した大洪水を無視してはだめですよ。

灌漑水田稲作は壊滅です。 

この洪水被害は大規模かつ広域的なもので、京都盆地や奈良盆地、岡山平野、博多平野、濃尾平野など広く西日本一帯で確認されている。

その大洪水により、阿波においては弥生時代中期初頭には各集落が小規模化し、一部で大柿遺跡の棚田がみられるが、縄文的な生業と地域社会へ回帰するような様相をみせるらしい。

弥生時代前期中葉に大規模化した灌漑水田稲作経営は、災害の影響もあって一段落したものと考えられている。

土器の植物種実圧痕観察(レプリカ法)により、弥生時代終了までイネに替わり、アワ・キビ・ヒエなどが主流であったようだ。  @阿波

650名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)09:03:07.16ID:In00/u2r0
>>631
記紀神話的には、稲を伝えたのはニニギだしなあ(というかアマテラスが持たせた)。
こっちはデメテル型神話と言うらしい。
639名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)08:54:06.79ID:BWyLjLkwO
>>613
忌部神社
629名前:名無しさん@1周年ID:
>>607
小豆島は音読みだからちょっと違うんじゃないの?
647名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)08:59:40.28ID:In00/u2r0
>>629
ううむ、木村先生の筆が滑ったのかしら…。
一応、wikipediaには「古代には『あずきしま』と呼ばれ」とは書いてあるな。
640名前:名無しさん@1周年ID:
>>607
豊の国は違うなあ。
台与からだよ。
651名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)09:06:07.03ID:In00/u2r0
>>640, >>643
俺もそっちだと思ってた(竜宮出身のトヨタマビメはイモの女神じゃないもんねw)。
でも、木村先生の説の方が説得力があるなあと。
933名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)19:04:10.87ID:In00/u2r0
>>924
> 吾を見阿波多志給ひつと申し給ひて

辞書によると、「阿波多す(あわたす)」は「淡(あわ)」と語源を同じくして
「軽視する、恥をかかせる」の意と書いてあるな。
>>553で書いたヒルコの兄弟の「淡島」の謎が、意外なところで解けた気がする。
ありがとう。

959名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)20:23:42.34ID:In00/u2r0
>>955
うむ、マロンはおいしいよな。
それに加えて、今日は>>933の収穫があったから大満足なのだ。
572名前:名無しさん@1周年ID:
>『徳川実紀』「常憲院殿御実紀」巻39元禄12年4月29日条を読め

この『徳川実紀』「常憲院殿御実紀」巻39元禄12年4月29日条に、どうして阿波国の麻植郡や三好郡・板野郡が、唐突に登場するのだろうか?

「古代天子葬之場所有之由の候… 」 この記述から、徳川幕府は阿波国に古代天皇陵が存在することを知っていたことになる。

ちなみに、淡路島も阿波国だから。 念のため。   @阿波

573名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)06:55:37.05ID:0zecbCwx0
>>572
> ちなみに、淡路島も阿波国だから。 念のため。   @阿波

なんでそんな嘘を書く?淡路島は淡路国であって阿波国になったことは無い。

蜂須賀家が治める地では有ったが、あくまで二国扱い、洲本に城が存在していたが、一国一城令には違反していない、
なぜならあくまで二国だから。

蜂須賀家は阿波・淡路の二国を治める太守だった訳である。

574名前:名無しさん@1周年ID:
>>573
少なくとも延喜式では、間違いなく阿波国と淡路国は別々に書かれてるね。
古い神社の所在地でも調べれば一発でわかる。
580名前:名無しさん@1周年ID:
>>573
>なんでそんな嘘を書く?淡路島は淡路国であって阿波国になったことは無い。

卑弥呼の時代に、淡路国とか阿波国とか、そんな区別はない。  淡路島は鳴門の目と鼻の先だよ。 ワハハハハは   @阿波

590名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)07:59:25.88ID:0zecbCwx0
>>580
その論理なら阿波国っていうくくり自体自体おかしいだろ、冷静になれよ。

俺が子供の頃習った徳島の歴史では阿波国成立前は、
北部吉野川周辺の「粟国」と徳島市南部以南の「長国」の二国があって、二つを合併して阿波国としたとあったが・・・。

598名前:名無しさん@1周年ID:
>>590

淡路島は鳴門の目と鼻の先。

淡路島は、倭国(阿波)の数ある 島嶼のひとつ。  ワハハハハは   @阿波

608名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)08:20:07.96ID:0zecbCwx0
>>598
確かに大毛島から淡路は目と鼻の先だが、違う国だった歴史はどう説明するん?
阿波と讃岐は峠一つ挟んで目と鼻の先だが、だったら同じ国なのか?
阿波と土佐は海沿いに歩けば大した難所も無く目と鼻の先だが、同じ国なのか?
池田から銅山川沿いに歩けばあっという間に伊予の国だが、だから何なの?
612名前:名無しさん@1周年ID:
>>608
>確かに大毛島から淡路は目と鼻の先だが、違う国だった歴史はどう説明するん?
>阿波と讃岐は峠一つ挟んで目と鼻の先だが、だったら同じ国なのか?

あのねぇ、もうすこし、現代の感覚から脱却しないと、古代は語れないよ!
卑弥呼の時代に、阿波国も讃岐国も淡路国も、ない! 
みんな倭国(阿波)のうち。  @阿波

615名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)08:33:23.92ID:0zecbCwx0
>>612
より古い時代のほうが、より細かく国が分かれていたと思うんだけど・・・。
@阿波さんの説だと倭国はかなりの大国になると思いますが、
具体的にどのぐらいの範囲を想定していますか?
619名前:名無しさん@1周年ID:
>>615
>@阿波さんの説だと倭国はかなりの大国になると思いますが、

卑弥呼の時代の倭国は、せいぜい阿波・讃岐・淡路・吉備ぐらいだろうね。   @阿波

620名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)08:40:52.84ID:0zecbCwx0
>>619
何処も水稲栽培には決して適地と言えない所ばかりですね。
灌漑に苦労しそうです。
626名前:名無しさん@1周年ID:
>>620
弥生時代前期末から中期初頭(2400年~2300年ほど前)にかけて、西日本一帯で発生した大洪水を無視してはだめですよ。

灌漑水田稲作は壊滅です。 

この洪水被害は大規模かつ広域的なもので、京都盆地や奈良盆地、岡山平野、博多平野、濃尾平野など広く西日本一帯で確認されている。

その大洪水により、阿波においては弥生時代中期初頭には各集落が小規模化し、一部で大柿遺跡の棚田がみられるが、縄文的な生業と地域社会へ回帰するような様相をみせるらしい。

弥生時代前期中葉に大規模化した灌漑水田稲作経営は、災害の影響もあって一段落したものと考えられている。

土器の植物種実圧痕観察(レプリカ法)により、弥生時代終了までイネに替わり、アワ・キビ・ヒエなどが主流であったようだ。  @阿波

642名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)08:55:56.94ID:In00/u2r0
>>626
その洪水が本当かどうかは知らんけど、古事記冒頭の句を思い出した。
 > 国わか)して浮きし脂の如くして、クラゲなす漂へる時、
 > 葦牙の如く萌えあがる物によりて成れる神の名は、ウマシアシカビヒコヂの神。

まあ、全てを埋め尽くしたドロドロの氾濫原に葦が生えてきたのを見つけて、
ちょっと嬉しかったんだろうなとは思うw

582名前:名無しさん@1周年ID:
>>573

淡路島は、倭国(阿波)の数ある 島嶼のひとつ。  ワハハハハは   @阿波

592名前:名無しさん@1周年ID:
>>582
単なる妄想やんけ
600名前:名無しさん@1周年ID:
>>592
>単なる妄想やんけ

妄想もなにも、淡路島は鳴門の目と鼻の先。

淡路島は、倭国(阿波)の数ある 島嶼のひとつ。  ワハハハハは   @阿波

586名前:名無しさん@1周年ID:
三笠宮殿下も天皇家は博多湾岸が発祥の地とおっしゃられたそうだ。
偏見を持たずに素直に考えたらそう言う考えに行き着くのは自然の成り行き
597名前:名無しさん@1周年ID:
>>586
国生みは九州からはじまらない

九州から四国に移民し住み着いて
四国の人間が天皇を名乗り建国したんだろう

601名前:名無しさん@1周年ID:
>>586
初代・神武天皇が福岡で即位したのは間違いなさそうだが
すぐに奈良に遷都してるし、出身が福岡かは微妙
605名前:名無しさん@1周年ID:
>>601
即位したのは畝傍の橋原宮だろ?
代替わりしたって意味なら東征前だろうけどそれは宮崎。
602名前:名無しさん@1周年ID:
>>586
>三笠宮殿下も天皇家は博多湾岸が発祥の地とおっしゃられたそうだ。

なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?
近年になるまで、九州には温泉が無かったのだろうか?
あとは、推して知るべし。   @阿波

604名前:名無しさん@1周年ID:
>>602
温泉地じゃないからね。温泉しかないような田舎だと
温泉への天皇行幸と言うが、福岡だと温泉はメインじゃないからね、ついで温泉入るけど
609名前:名無しさん@1周年ID:
>>604
>温泉への天皇行幸と言うが、福岡だと温泉はメインじゃないからね、ついで温泉入るけど

それ、言い訳になった無いよ。 
九州には歴代天皇が居なかったってこと。  わははははは  @阿波

617名前:名無しさん@1周年ID:
九州王の年表

(紀元前2世紀) 奴国の吉武高木遺跡
(紀元前2~1世紀) 奴国の須玖岡本遺跡  
(紀元前1世紀の王・王妃墓) 伊都国の三雲南小路遺跡
(紀元1~2世紀の王墓)伊都国の井原鑓溝遺跡 ←遺跡調査によって漢鏡流通の核としての機能が停止してことが判明
(紀元2~3世紀の女王墓)伊都国の平原遺跡 ← 遺跡調査によって平原遺跡の衰退時期であることが判明(魏志倭人伝によると邪馬台国の一大率に支配されていた時期)

※『日本書紀』によると伊都国の王(九州王)は仲哀天皇の時代(4世紀頃)に完全に家来になった。 ←伊都国の九州王家滅亡

645名前:名無しさん@1周年ID:
>>617
伊都国の王は九州王なんかじゃ無いよ。
654名前:名無しさん@1周年ID:
>>645
遺跡の規模が福岡よりも大きいので明らかに伊都国王が九州王だよ
魏志倭人伝にも代々の王が伊都国にいると書かれてるし
656名前:名無しさん@1周年ID:
>>654
間違い。
661名前:名無しさん@1周年ID:
>>656
反論しなよw
736名前:名無しさん@1周年ID:
>>654
>遺跡の規模が福岡よりも大きいので明らかに伊都国王が九州王だよ

その伊都国王を、筑紫忌部という。  @阿波

624名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)08:43:56.44ID:e52Z4Mpp0
ヤマトと邪馬台国の関係は知らんが
邪馬台国は近畿じゃない。邪馬台国は周囲5000里の島の中
632名前:名無しさん@1周年ID:
>>624
それは「参問倭地」を誤読した良くある間違い。
参問は「アとイを比較する」と言う意味。
アが裸国、黒歯国でイが倭地。
つまり周旋五千余里は裸国、黒歯国のある島のこと。
もっと言うとハワイ島。
638名前:名無しさん@1周年ID:
>>624
四国だな

記紀で女神の国は四国だけ
素直に考えれば四国が女王国

628名前:名無しさん@1周年ID:
卑弥呼の墓は祇園山古墳で、壹與の墓は平原古墳。三種の神器も出土しているし、
近くの神社は君が代ゆかりのさざれ石(細石)神社だし,小戸海岸、日向峠、
山門、能古乃島(おのころ島)志摩などの記紀に記載のある地名も近くにある。
630名前:名無しさん@1周年ID:
>>628
出土品を見ると明らかに邪馬台国とは時代が違う
636名前:名無しさん@1周年ID:
>>628
>卑弥呼の墓は祇園山古墳で、

「丹」の採れない北部九州に、卑弥呼が居るわけがない。   以上。   @阿波

641名前:名無しさん@1周年ID:
福岡県旧朝倉郡(上座郡、下座郡)にある式内社
麻弖良布( マテラフ)神社 美奈宣(ミナギ)神社
於保奈牟智(オホナモチ)神社
於保奈牟知神社は現在は大神神社で奈良の大神神社と同じで祭神は
大己貴命で大国主の事だから出雲大社の祭神と同じ。
字体から分かるように朝倉の於保奈牟智神社の方が奈良の大己貴神社よりも古い
646名前:名無しさん@1周年ID:
>>641
>大己貴命で大国主の事だから出雲大社の祭神と同じ。

【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社」】
徳島県阿南市長生町に鎮座する「八鉾神社」。祭神は大己貴命。延喜式内社である。
この「八鉾神社」には四つの重要文化財が神宝として保管されている。
また「八鉾神社」自体も重要文化財に指定されているので、合計五つの重要文化財を持ち合わせている神社となる。
一つは「大己貴命 木造彫刻立像」
二つ目は「少彦名命 木造彫刻立像」
三つ目が「二品家政所 下文 」
四つ目が「附紺紙金泥法華経」である。
この八鉾神社、阿波では出雲の「杵築大社(出雲大社)」の元社であると伝えられている。

平安時代に記録される3132座の式内社の中に、これら八鉾神社や事代主神社・多祁御奈刀祢神社等の国譲りに遣わされた神達を祀る神社は、阿波にしかない。   @阿波
【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社」】   
https://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/47852915.html?__ysp=44CM5YWr6Ym%2B56We56S%2B44CN44CR

653名前:名無しさん@1周年ID:
>>641
大神神社の主祭神は大物主大神
配祀神が大己貴命と少彦名神

少なくとも大神神社では大物主と大国主は別々に祀らてる。

735名前:名無しさん@1周年ID:
>>653
>少なくとも大神神社では大物主と大国主は別々に祀らてる。

【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社」】
徳島県阿南市長生町に鎮座する「八鉾神社」。祭神は大己貴命。延喜式内社である。
この「八鉾神社」には四つの重要文化財が神宝として保管されている。
また「八鉾神社」自体も重要文化財に指定されているので、合計五つの重要文化財を持ち合わせている神社となる。
一つは「大己貴命 木造彫刻立像」
二つ目は「少彦名命 木造彫刻立像」
三つ目が「二品家政所 下文 」
四つ目が「附紺紙金泥法華経」である。

この八鉾神社、阿波では出雲の「杵築大社(出雲大社)」の元社であると伝えられている。

平安時代に記録される3132座の式内社の中に、これら八鉾神社や事代主神社・多祁御奈刀祢神社等の国譲りに遣わされた神達を祀る神社は、阿波にしかない。   @阿波
【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社」】   
https://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/47852915.html?__ysp=44CM5YWr6Ym%2B56We56S%2B44CN44CR

655名前:名無しさん@1周年ID:
邪馬台国アンケート調査結果
「貴方は邪馬台国はどこにあったと思いますか?」
1.北部九州80%
2.判らない10%
3.奈良7%
4.興味が無い2%
5.徳島1% ←www
666名前:名無しさん@1周年ID:
>>655
北部九州ってか筑紫平野ね。
御井かその周辺のどこか。
とにかく近畿パーが「ここは誰?私はどこ?」やってる
だけのことで、結論は出ている。
少なくとも卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳で100%間違い無いし、
邪馬台国がそのすぐ周辺にあることもほぼ間違い無い。
739名前:名無しさん@1周年ID:
>>666
>少なくとも卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳で100%間違い無いし

少なくとも「丹」の採れない北部九州奴国(博多)に、卑弥呼が居るわけがない。   以上。   @阿波

657名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)09:10:41.31ID:N2FM7TnzO
アマテラス、アマテラスと勝手に言うが、卑弥呼が太陽信仰だなんてひとつも書かれて無いぞ、そもそも古代中国は太陽信仰ではないし、中国海人の流れらしき卑弥呼は、陰陽に近いだろ。
658名前:名無しさん@1周年ID:
>>657
そうだけど、アマテラスは卑弥呼+トヨだとしか考えられ無いし、
卑弥呼は日の巫女の意味である可能性が高い。
659名前:名無しさん@1周年ID:
>>657
卑弥呼は骨を焼いてたばーさん
暦のない邪馬台国に太陽信仰の巫女という設定自体があり得んのよね。
660名前:名無しさん@1周年ID:
>>659
あり得ないのはお前。
663名前:名無しさん@1周年ID:
>>660
少なくとも魏志倭人伝では、邪馬台国には暦がないと書かれているし、骨を焼いて吉兆を見るともある。

魏志倭人伝の邪馬台国の記述には、太陽信仰の巫女の素地がない。

667名前:名無しさん@1周年ID:
>>663
暦が無いなんて書いて無いだろ
676名前:名無しさん@1周年ID:
>>667
書いてるからちゃんと読め。

魏志倭人伝中にある、魏略の引用部分
魏略曰 其俗不知正歳四節 但計春耕秋収 為年紀

>>669
太陽の観測をしてたら、四節が導き出せるんだけど、それすら否定されてるからね。
暖かくなったら植えて、涼しくなる頃に収穫程度の感覚でやってたんだろう。

678名前:名無しさん@1周年ID:
>>676
>太陽の観測をしてたら、四節が導き出せるんだけど、それすら否定されてる

否定されてないけど

681名前:名無しさん@1周年ID:
>>678
魏略曰 其俗不知正歳四節 但計春耕秋収 為年紀

正歳四節を知らず。
暦や四節(春分、夏至、秋分、冬至)を知らない。
春に耕して、秋に取り入れをして一年と数える。

693名前:名無しさん@1周年ID:
>>681
太陽観測をしてないとは書いてない
稲作してるのに太陽観測してなかったとかいうトンデモ説やめなよw
682名前:名無しさん@1周年ID:
>>676
お前が良く読め。
魏志倭人伝に暦が無いなどと言う記述は無い。
684名前:名無しさん@1周年ID:
>>682
其俗不知正歳四節

正歳=暦

689名前:名無しさん@1周年ID:
>>684
中国の暦を知らないというだけ
日本独自の暦を使ってた
当たり前

言葉尻だけで語りたいなら
邪馬台国には暦はなかったけどカレンダーはあったということにしよう

696名前:名無しさん@1周年ID:
>>689
流石にそんなものまで想像しだしたら、なんでもアリになる。
卑弥呼=日巫女の結論ありきのこじつけとの批判は免れんよ?

例えば太陰暦以前の日本独自のカレンダーの刻まれた岩でもあれば、まだそうだよね。とは思えるが。

699名前:名無しさん@1周年ID:
>>696
こじつけはお前w
706名前:名無しさん@1周年ID:
>>696
それをこじつけとか言い出したら
全部こじつけになっちゃう
691名前:名無しさん@1周年ID:
>>684
天文学系の知識が乏しかったから卑弥呼が太陽神では無かったってのはただの論理の飛躍。
703名前:名無しさん@1周年ID:
>>691
卑弥呼に天文観測の証拠もなしに、太陽信仰をこじつけるよりかはまだマシだろう。
705名前:名無しさん@1周年ID:
>>703
こじつけはお前w
704名前:名無しさん@1周年ID:
>>684

天文学系の知識が乏しかったから

卑弥呼が太陽神では無かったってのは

ただの論理の飛躍。

 

708名前:名無しさん@1周年ID:
>>684

天文学系の知識が乏しかったから

卑弥呼が太陽神では無かったってのは

ただの論理の飛躍。

そんなもん、倭人は里程を知らなかったから旅行はしなかったレベルのこじつけ。

 

683名前:名無しさん@1周年ID:
>>676
バカか。魏略にあるのは四季(それも中国式の四季区分)を知らないとあるだけ。
686名前:名無しさん@1周年ID:
>>676
春夏秋冬の四節じゃなくて春秋で1年のサイクルとしてたという記述だから
暦がないというのは嘘

四半期決算じゃなくて上半期下半期決算だというだけ

690名前:名無しさん@1周年ID:
>>686
春の耕作と秋の刈り入れでワンセットの1年だと思うよ。

もしかしたら春の耕作で一年、秋の刈り入れで一年としたのかもしれないが、文面からは判別付きにくいのでなんとも。

698名前:名無しさん@1周年ID:
>>690
倍暦のことなんか言ってないよ
春と秋で気温が違うのに半期で1年なんて特別な理由がなけりゃしない

上半期下半期で1年とすると読むのが正しい

669名前:名無しさん@1周年ID:
>>663
「暦」はなかったかもしれないが稲作やってたんだから
当然、太陽の観測はしてたよ
676名前:名無しさん@1周年ID:
>>667
書いてるからちゃんと読め。

魏志倭人伝中にある、魏略の引用部分
魏略曰 其俗不知正歳四節 但計春耕秋収 為年紀

>>669
太陽の観測をしてたら、四節が導き出せるんだけど、それすら否定されてるからね。
暖かくなったら植えて、涼しくなる頃に収穫程度の感覚でやってたんだろう。

678名前:名無しさん@1周年ID:
>>676
>太陽の観測をしてたら、四節が導き出せるんだけど、それすら否定されてる

否定されてないけど

681名前:名無しさん@1周年ID:
>>678
魏略曰 其俗不知正歳四節 但計春耕秋収 為年紀

正歳四節を知らず。
暦や四節(春分、夏至、秋分、冬至)を知らない。
春に耕して、秋に取り入れをして一年と数える。

693名前:名無しさん@1周年ID:
>>681
太陽観測をしてないとは書いてない
稲作してるのに太陽観測してなかったとかいうトンデモ説やめなよw
682名前:名無しさん@1周年ID:
>>676
お前が良く読め。
魏志倭人伝に暦が無いなどと言う記述は無い。
684名前:名無しさん@1周年ID:
>>682
其俗不知正歳四節

正歳=暦

689名前:名無しさん@1周年ID:
>>684
中国の暦を知らないというだけ
日本独自の暦を使ってた
当たり前

言葉尻だけで語りたいなら
邪馬台国には暦はなかったけどカレンダーはあったということにしよう

696名前:名無しさん@1周年ID:
>>689
流石にそんなものまで想像しだしたら、なんでもアリになる。
卑弥呼=日巫女の結論ありきのこじつけとの批判は免れんよ?

例えば太陰暦以前の日本独自のカレンダーの刻まれた岩でもあれば、まだそうだよね。とは思えるが。

699名前:名無しさん@1周年ID:
>>696
こじつけはお前w
706名前:名無しさん@1周年ID:
>>696
それをこじつけとか言い出したら
全部こじつけになっちゃう
691名前:名無しさん@1周年ID:
>>684
天文学系の知識が乏しかったから卑弥呼が太陽神では無かったってのはただの論理の飛躍。
703名前:名無しさん@1周年ID:
>>691
卑弥呼に天文観測の証拠もなしに、太陽信仰をこじつけるよりかはまだマシだろう。
705名前:名無しさん@1周年ID:
>>703
こじつけはお前w
704名前:名無しさん@1周年ID:
>>684

天文学系の知識が乏しかったから

卑弥呼が太陽神では無かったってのは

ただの論理の飛躍。

 

708名前:名無しさん@1周年ID:
>>684

天文学系の知識が乏しかったから

卑弥呼が太陽神では無かったってのは

ただの論理の飛躍。

そんなもん、倭人は里程を知らなかったから旅行はしなかったレベルのこじつけ。

 

683名前:名無しさん@1周年ID:
>>676
バカか。魏略にあるのは四季(それも中国式の四季区分)を知らないとあるだけ。
686名前:名無しさん@1周年ID:
>>676
春夏秋冬の四節じゃなくて春秋で1年のサイクルとしてたという記述だから
暦がないというのは嘘

四半期決算じゃなくて上半期下半期決算だというだけ

690名前:名無しさん@1周年ID:
>>686
春の耕作と秋の刈り入れでワンセットの1年だと思うよ。

もしかしたら春の耕作で一年、秋の刈り入れで一年としたのかもしれないが、文面からは判別付きにくいのでなんとも。

698名前:名無しさん@1周年ID:
>>690
倍暦のことなんか言ってないよ
春と秋で気温が違うのに半期で1年なんて特別な理由がなけりゃしない

上半期下半期で1年とすると読むのが正しい

668名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)09:20:14.66ID:In00/u2r0
>>659
> 暦のない邪馬台国に太陽信仰の巫女という設定自体があり得んのよね。

この視点は鋭いかもしれない。

だけど一方、銅鏡祭祀は多かれ少なかれ太陽がらみのような気はする。
たとえば吉野ヶ里の建物は南向き、纏向では東向きだけど、
いずれにしても建物の入り口に立って民衆と向き合う人物は
日に照らされ、胸に下げた鏡は太陽の反射で人々の目を射ると。

671名前:名無しさん@1周年ID:
>>668
全然するどくない
711名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)09:50:32.35ID:In00/u2r0
>>707
レイラインについては、wikipediaの
 > 地図を開けば、遺跡が一列に並んでいるように見える直線を見つけることはそう難しいことではない。
が正しい気はするw
とは言うものの、>>668に書いたように吉野ヶ里の大型建物は正確に
南北線に沿っているし、精度の高い天測技術は持っていたんだろうね。
713名前:名無しさん@1周年ID:
>>711
おいおいウソを書くなw
716名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)09:53:48.99ID:In00/u2r0
>>713
ウソじゃないぞ。妄想だ。
738名前:名無しさん@1周年ID:
>>657

卑弥呼とは「天照大御神=大宜都比売」

男弟とは「月読尊」

卑弥弓呼とは「素戔嗚尊」 の3兄弟だよ。  

これが魏志倭人伝と記紀との整合性。   @阿波

672名前:名無しさん@1周年ID:
日本が国史を編さんするにあたって、各地方から風土記を提出させた。現存する物は
出雲風土記(大国主命の国ゆずり)位のもので、他は散逸してしまった。阿波風土記
なるものがどんな謂れが有るのかは不明だが、詳しく研究して紛い物じゃ無かったら
歴史の修正も進むんじゃないか・・・・・wwww
675名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)09:27:10.17ID:0zecbCwx0
>>672
「阿波国風土記」な。
741名前:名無しさん@1周年ID:
>>672
>阿波風土記 なるものがどんな謂れが有るのかは不明だが、

※各地の風土記のうち、「天地初発より記された」風土記は、阿波国風土記のみである。

「阿波国風土記」  @阿波  
https://sites.google.com/site/awakokufudoki/home/awa-koku-zoku-fudoki-nitsuite/2_awakoku_fudoki_towa

通説では、天皇家や建国の歴史とは何の関わりもないはずの阿波国、 何故、その地誌「阿波国風土記」で唯一、天皇の称号について書かれているのだろうか?

役人が天皇に献上する書である。 上記の天皇が阿波に関係なければ、風土記なんぞに書ける訳がないのである。 「お前、何書いとんねん!」で済まされる話ではない。 

674名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)09:26:35.31ID:0zecbCwx0
結局のところ金印の真贋は論争を棚上げするとして、奴国は今の博多辺りにあったという事だけが比較的確実?
677名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)09:30:08.26ID:In00/u2r0
>>674
奴国の王様は春日市に住んでたらしい。
http://www.city.kasuga.fukuoka.jp/nakoku/history/nakoku.html
679名前:名無しさん@1周年ID:
>>674
金印の真贋は論争ってすでに本物ってことで決着ついてるよ
745名前:名無しさん@1周年ID:
>>674
>奴国は今の博多辺りにあったという事だけが比較的確実?

奴国は、奴国(二万戸) 田川辺り
奴国弥生遺跡 : 「上本町遺跡」・「下伊田遺跡」・「五徳畑ケ田遺跡」・「真崎遺跡」  @阿波

707名前:名無しさん@1周年ID:
夏至や冬至の太陽の方向に神社や古墳が直線上に並ぶ例が沢山あるというのはどっかで読んだ

なので太陽観測はされてたと思うけどね

711名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)09:50:32.35ID:In00/u2r0
>>707
レイラインについては、wikipediaの
 > 地図を開けば、遺跡が一列に並んでいるように見える直線を見つけることはそう難しいことではない。
が正しい気はするw
とは言うものの、>>668に書いたように吉野ヶ里の大型建物は正確に
南北線に沿っているし、精度の高い天測技術は持っていたんだろうね。
713名前:名無しさん@1周年ID:
>>711
おいおいウソを書くなw
716名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)09:53:48.99ID:In00/u2r0
>>713
ウソじゃないぞ。妄想だ。
709名前:名無しさん@1周年ID:
近代的な施設のないところで稲作しろって言われたら俺らでも太陽観測するよなぁ
724名前:名無しさん@1周年ID:
>>709
それは現代人の天文知識があるからだよ。

一番原始的なのは四季の移り変わり。

730名前:名無しさん@1周年ID:
>>724
アホか。現代人の天文知識がなくても
農業やってたら太陽観測と水位の観測くらいするわ
734名前:名無しさん@1周年ID:
>>730
水位とか言い出したww

日本の農業って今でもわざわざ太陽の観測なんてだれもやってないのよ?
四季の揺らぎがあり、毎年同じ日に田植えなんかできないから
気温、気候の肌感覚でやってるんよ?
それこそ山の雪解けや草木の発芽、川の水位でやってきた。

太陽の運行で農業とか、弥生人の農業は現代日本の農業よりも律儀だったんだな。

737名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)10:23:04.86ID:In00/u2r0
>>734
あと、鳥(ウグイスとか)の初鳴きもあるね。
そんなこんなで季節が判るから、
日本神話には星の神々が少ないのかもしれない。
710名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)09:48:20.98ID:gY0Db4+qO
卑弥呼が太陽信仰してたって、どこにあんのよ?

太陽神とかいう話も聞いたことない

712名前:名無しさん@1周年ID:
>>710
無いよ。
ただ否定する根拠も無い。
それにアマテラスが卑弥呼+トヨなのは疑いない。
719名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)09:55:04.16ID:gY0Db4+qO
>>712

断定口調でミスリードしてるだけじゃんかよ

なんだよ統一みたいな手口はさ

721名前:名無しさん@1周年ID:
>>719
イミフだキチガイww
718名前:名無しさん@1周年ID:
>>710
証拠はないけど、稲作地帯の王でヒ(日)のつく名前なら常識的には太陽信仰だね
731名前:名無しさん@1周年ID:
四国は槨墓の本場だから100パーネーよ。
755名前:名無しさん@1周年ID:
>>731
>四国は槨墓の本場だから100パーネーよ。

「其山有丹」で、100パー 倭国(阿波)で決定済み。 ワハハハハは  @阿波 

761名前:名無しさん@1周年ID:
>>755
水銀は佐賀で取れるんだが。
743名前:名無しさん@1周年ID:
九州だと何か都合が悪いのかね?
779名前:名無しさん@1周年ID:
>>743
朝鮮人が喜ぶから
798名前:名無しさん@1周年ID:
>>743
デタラメが言えなくなる。
746名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)10:39:28.06ID:trTpoh160
水行陸行で、東シナ海に突き抜けるらしいけど、水行は常に沿岸沿いに距離を保ちながら九州北部or南部をぐるっと回ったたとしたら…って説はあるんかな?
三崎半島から四国上陸で阿波に至るってのはありそう
水行って、行先が見えないのに大海に漕ぎ出すって怖いと思う
764名前:名無しさん@1周年ID:
>>746
四国の西に突き出たあそこは三崎半島じゃなくて佐田岬半島な。

水行は沿岸沿いに海路の意味で、海を渡るとは明白に区別されてる。

倭人伝で女王国から東に海を渡ること1000里。そこにも倭人の国。
そう、豊後水道越えて四国西岸。八幡浜や宇和島あたり?
そこから南に侏儒国。女王国から4000里。距離は直線距離じゃないから足摺岬を大回りして高知?

806名前:名無しさん@1周年ID:
>>746
誤読してるだけ。
750名前:名無しさん@1周年ID:
銅鐸の出土数もさることながら、 銅鐸の出土遺跡の多さに驚かされる。

まさに、倭国(阿波)は、銅鐸王国。   @阿波

782名前:名無しさん@1周年ID:
>>750
銅鐸の出土数は兵庫県の方が多いね。
淡路島からも沢山出てるけど、
あえて兵庫県でカウントする。
本来は淡路は淡路で別にカウントすべきかもしれないけど。
818名前:名無しさん@1周年ID:
>>782
>銅鐸の出土数は兵庫県の方が多いね。

で、出土遺跡の遺跡数は?  断然、銅鐸王国 倭国(阿波)だね。  @阿波

820名前:名無しさん@1周年ID:
>>782
>淡路島からも沢山出てるけど、
>あえて兵庫県でカウントする。

あえて兵庫県でカウントするのはなぜ?  現代の自治区分の兵庫県に何の関係があるの?  @阿波

752名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)10:52:34.62ID:Z4Q2RcBy0
「銅鐸文化が突然消滅」

とか変な勘違いしてる人がたくさんいるがこれは誤解
銅鐸は各地でかなり消長に差がある

弥生時代後期後半辺りから統合されて次第にゆっくりと消えていく流れ

780名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)11:55:44.65ID:IKFArREP0
>>752
銅鐸を鋳つぶして銅鏡に作り直してる痕跡があったりもするので、祭祀の交代があったんだろうね
791名前:名無しさん@1周年ID:
>>780
となると、畿内は邪馬壹国では無くなるな
銅鐸のような珍しい祭器が、魏志東夷伝倭人に記載されてないからな
762名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)11:05:29.08ID:5v3IAkDg0
うだつの町に実家あるけど、地元で邪馬台国の話など聞いたことないわ。
阿波でなく剣山だけど、宇宙人が基地にしていて、
イスラエルから物資を運んでたっていうほうが、まだ耳にする。
イスラエル大使が調査に来たとか新聞にに載ってたりするし。
766名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)11:09:52.58ID:In00/u2r0
>>762
> 阿波でなく剣山だけど、宇宙人が基地にしていて、
> イスラエルから物資を運んでたっていうほうが、まだ耳にする。

すげー! 人類存亡の危機やん。
邪馬台国論争とかどうでもよくなるなw

768名前:名無しさん@1周年ID:
>>762
>うだつの町に実家あるけど、地元で邪馬台国の話など聞いたことないわ。

これが、徳島県人の実体なんだよ。 無知はおそろしい。 もったいないことである。 こんなに宝がごろごろしているというのに。  @阿波

773名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)11:26:03.50ID:w6wEw6nI0
>>762
イスラエルというかユダヤ人は、何がしたいのか分からないが
沖縄でユダヤ教の儀式をしたりしている。
でも、歴史的に本当に関連があるかは全く不明だと思うよ。
809名前:名無しさん@1周年ID:
>>762
一応、邪馬台国阿波説では、お宅の実家は天孫降臨の地だね(本当の中心部はもう少し木屋平寄り、大嘗祭の麁服(あらたえ)を織る三木家あたりだけど)
うちの実家は豊葦原中国に建ってることになるんだけど、やはり何の変哲も無い田舎だよw
767名前:名無しさん@1周年ID:
温泉ワロタ
ヤマトタケルとかの血なまぐさい時代に温泉基準で考えるのかよ

鉄の産地とかで論じなよ

770名前:名無しさん@1周年ID:
>>767
>ヤマトタケルとかの血なまぐさい時代に温泉基準で考えるのかよ

反論できないので、逃げてるの? わははははは  @阿波

772名前:名無しさん@1周年ID:
>>767
>鉄の産地とかで論じなよ

では、鉄の産地

「倭国(阿波)は鉄器王国」
倭国(阿波)では遺跡発掘が少ないにも関わらず、阿波一国だけで現在、阿波各地7か所の弥生時代鉄鍛冶炉遺構がある。  
「拝原東遺跡」・「光勝院寺内遺跡」・「矢野遺跡」・「名東遺跡」・「庄・蔵元遺跡」・「加茂宮ノ前遺跡」・「芝遺跡」

800名前:名無しさん@1周年ID:
訂正

つまりだ

後晋(936年- 946年)『旧唐書』945年では
唐(618年 - 907年)時代の日本に対する認識は

古くは「漢委奴国」と呼び、どんな時代もずっと中国と交易していた
九州の国が、日本の正統な国【倭国】であり

日邊(日出の処)在るを以て、故に日本と名を為した
あるいは、邪馬台という名前が嫌で日本と言う名に国名を変えた
という大和の国【日本】は、日本の正統な国ではなく、信用なら無い国

と書かれている

それから100年後の
北宋(960年 - 1127年)『新唐書』1060年では

「天豊財重日足姫尊(あめとよたからいかしひたらしひめのみこと)」が自ら言うには

九州の筑紫城にずっと居住していた日本の正統な国【倭国】の国王の
32代目の彦瀲の、子の神武が天皇を名のって移り住んで統治した国なので、
奈良の大和の日本国は、古の倭奴「漢委奴国」だ

と書かれている

810名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)14:22:58.14ID:o+/UgjUY0
>>800
代々筑紫城に住んでいた支配者一族が居なくなったので倭国大乱が起こったのか
あるいは倭国大乱で負けたので逃亡して奈良の山奥まで流れ着いたのか

その後空白地帯となった九州倭国は女王卑弥呼を共立して纏まったが
「漢委奴国王印」は失われており、卑弥呼が賜ったのは「親魏倭王」

卑弥呼の死後に
近畿の「漢委奴国王」一族と、九州の「親魏倭王」一族が統合して新連合を立ち上げたのが
近畿「ヤマト」連合王国だったわけだな

829名前:名無しさん@1周年ID:
>>814 >>810
うんにゃ、

後晋(936年- 946年)『旧唐書』945年
北宋(960年 - 1127年)『新唐書』1060年

の間に何が起きていたかというと・・

984年に東大寺の僧奝然(ちようねん)が、「王年代記」を宋の太宗に献上しており

それに

初めの主は天御中主(あめのみなかぬし
次は天村雲尊(あめのむらくものみこと)
次は天八重雲尊(あめのやえくものみこと)
次は天彌聞尊(あめのににぎのみこと)
次は天忍勝尊(あめのおしかつのみこと)
次は贍波尊(みなみのみこと)
次は萬魂尊(よろずむすひのみこと)
次は利利魂尊(ととむすひのみこと)
次は國狭槌尊(くにさづちのみこと)
次は角龔魂尊(つのそむすひのみこと)
次は汲津丹尊(くみつにのみこと)
次は面垂見尊(おもだるみのみこと)
次は國常立尊(くにとこたちのみこと)
次は天鑑尊(あめのかがみのみこと)
次は天萬尊(あめのよろずのみこと)
次は沫名杵尊(あわなぎのみこと)
次は伊弉諾尊(いざなぎのみこと) 
次は素戔烏尊(すさのおのみこと)
次は天照大神尊(あまてらすおおみかみのみこと)
次は正哉吾勝速日天押穂耳尊(まさかあかつはやひあめのおしほみみのみこと)
次は天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神(豊玉彦)
次は炎尊(ほむらのみこと)火遠理命(山幸彦)
次は彦瀲尊(ひこなぎさのみこと)

凡そ二十三世、並びに筑紫の日向宮に都す
彦瀲の第四子を神武天皇と号す。 
筑紫の宮より入りて大和州橿原宮に居す
と書かれていた

つまり北宋(960年 - 1127年)『新唐書』1060年の記述は、日本の主観か反映したもの

814名前:名無しさん@1周年ID:
>>800
なるほど新唐書か
このころになると歴史書踏まえて説明するだろうから、日本書紀の神話と中国の前の歴史書の折衷みたいな説明になったのかね
829名前:名無しさん@1周年ID:
>>814 >>810
うんにゃ、

後晋(936年- 946年)『旧唐書』945年
北宋(960年 - 1127年)『新唐書』1060年

の間に何が起きていたかというと・・

984年に東大寺の僧奝然(ちようねん)が、「王年代記」を宋の太宗に献上しており

それに

初めの主は天御中主(あめのみなかぬし
次は天村雲尊(あめのむらくものみこと)
次は天八重雲尊(あめのやえくものみこと)
次は天彌聞尊(あめのににぎのみこと)
次は天忍勝尊(あめのおしかつのみこと)
次は贍波尊(みなみのみこと)
次は萬魂尊(よろずむすひのみこと)
次は利利魂尊(ととむすひのみこと)
次は國狭槌尊(くにさづちのみこと)
次は角龔魂尊(つのそむすひのみこと)
次は汲津丹尊(くみつにのみこと)
次は面垂見尊(おもだるみのみこと)
次は國常立尊(くにとこたちのみこと)
次は天鑑尊(あめのかがみのみこと)
次は天萬尊(あめのよろずのみこと)
次は沫名杵尊(あわなぎのみこと)
次は伊弉諾尊(いざなぎのみこと) 
次は素戔烏尊(すさのおのみこと)
次は天照大神尊(あまてらすおおみかみのみこと)
次は正哉吾勝速日天押穂耳尊(まさかあかつはやひあめのおしほみみのみこと)
次は天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神(豊玉彦)
次は炎尊(ほむらのみこと)火遠理命(山幸彦)
次は彦瀲尊(ひこなぎさのみこと)

凡そ二十三世、並びに筑紫の日向宮に都す
彦瀲の第四子を神武天皇と号す。 
筑紫の宮より入りて大和州橿原宮に居す
と書かれていた

つまり北宋(960年 - 1127年)『新唐書』1060年の記述は、日本の主観か反映したもの

844名前:名無しさん@1周年ID:
>>814
近畿日本の作り話し嫌々取り入れたってことだろうな。
旧唐書と新唐書の間が、中国側から見た倭国の代表の移り変わりの時代。
863名前:名無しさん@1周年ID:
>>844
>旧唐書と新唐書の間が、中国側から見た倭国の代表の移り変わりの時代。

それが、8世紀の倭国(阿波)から奈良大和への遷都。  @阿波

813名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)14:53:04.69ID:oMj4tAyk0
邪馬台国は知ってるがこれだけ話題になっても何がすごかったのかわからない。
女王ってだけ?
それとも何か凄いことをしていた?
たった三代で滅んだ国なのに何故これほどまでに注目されるのか知りたい。
815名前:名無しさん@1周年ID:
>>813
日本と古代都市だからさ。
816名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)15:06:33.36ID:0zecbCwx0
>>813
魏史の倭人伝に名前が残っていて「親魏倭王」の金印を贈られたって明記されてる。

中国の歴史書に名前が残るほどの国なのに、当事者の日本の歴史にちゃんと記載がないってのがミステリーなんですよ。

830名前:名無しさん@1周年ID:
>>816
中国の歴史書に名前が残るほどの国とか言うけど、
他の地域のことを知らなかっただけじゃないの?
831名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)15:55:36.95ID:o+/UgjUY0
>>830
当時倭人の30余国が使訳を通じてたらしいぞ
834名前:名無しさん@1周年ID:
>>830
>他の地域のことを知らなかっただけじゃないの?

そりゃ,そうだろう。
魏と誼を通じることが出来たのが、倭国(阿波)だけなんだから。  @阿波

842名前:名無しさん@1周年ID:
>>813
お前が死ねば解決。
939名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)19:17:13.24ID:VfugHRjI0
>>813
話題になるのは当時の日本に他にネタがないからだよ
824名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)15:29:05.55ID:0zecbCwx0
めんどうなやっちゃなあw
阿波は阿波でええやん、倭国まで無理にもっていかんでも・・・。
昔の栄華に夢を馳せるのもええけど、現代~近い未来の衰退も心配したほうがエエよ。
825名前:名無しさん@1周年ID:
>>824
>現代~近い未来の衰退も心配したほうがエエよ。

だからこそ、魏志倭人伝の女王国 倭国(阿波)なんだよ。  @阿波

826名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)15:38:23.59ID:0zecbCwx0
>>825
意味不明、昼間から酔っぱらっとるんか?
832名前:名無しさん@1周年ID:
>>826
だからこそ、魏志倭人伝の女王国 倭国(阿波)なんだよ。  
飯泉知事も、vs東京なんてやってる場合じゃない。  @阿波
833名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)15:57:17.63ID:BaTCGORw0
阿波踊りは卑弥呼が踊った踊りです
835名前:名無しさん@1周年ID:
>>833
>阿波踊りは卑弥呼が踊った踊りです

いや、卑弥呼は阿波踊りを見たんだよ。
阿波踊りを踊ったのは、天宇受売命だ。 ワハハハハは  @阿波

856名前:名無しさん@1周年ID:
>>835
そういや、徳島市に“宇受売”って名前のバーがあったな
古代史とは全然関係ないけどw
846名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)16:30:41.81ID:urIlsI6h0
<課題>
レストラン「邪馬台国」(邪馬台国駅南口より徒歩10分)にいきましょう

畿内説:「南口って書いてるけど、東口のことやろ。東口から徒歩10分歩いたところにあるココがレストラン邪馬台国やで!」
九州説:「南口より徒歩10分って書いてあるけど、徒歩1分のことやな。駅から徒歩1分のココがレストラン邪馬台国やで!」

848名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)16:34:39.04ID:qmXHvJBh0
>>846
そのとおりいくと太平洋のど真ん中に沈むんだからしょうがないだろ
850名前:名無しさん@1周年ID:
>>848
魏志倭人伝の問題は解決済み。
蒸し返すなカス。
849名前:名無しさん@1周年ID:
結局だ、日本の記紀では

出雲に素戔烏尊(すさのおのみこと)の「葦原中国」
九州には天彦尊(あまつひこのみこと・豊玉彦)の「海神国」

そして奈良には

出雲の素戔烏尊(すさのおのみこと)の「葦原中国」を国譲りさせ

九州の天彦尊(あまつひこのみこと・豊玉彦)の「海神国」の
彦瀲の第四子の神武に滅ぼされてのっとられた

天照大神尊(あまてらすおおみかみのみこと)の国

があったことになっており

その奈良の天照大神尊(あまてらすおおみかみのみこと)の国が邪馬台国

914名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)18:29:17.49ID:BaTCGORw0
>>849
あなたの話だと、日本の政権が
宗に王年代記を献上した時には
彦瀲尊を先祖に持つ九州の地方政権が
奈良に移って、日本代表を名乗っていた。
だから宗に渡した天皇のリストは
九州の地方政権のトップのリストに
なっている。

九州の地方政権の時にも後晋、唐と交流して
いて、その時には邪馬台という名前を使っていた
ということですか?

単に九州の地方政府が遷都を繰り返して
奈良に入ったということですか?

あなたが書いている
「日本の正当な国」というのはどこなんですか?

927名前:名無しさん@1周年ID:
>>914
九州の【漢委奴国】狗奴国の

32代目の国王の

「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)」の

【第4皇子の神武】が、

【親魏倭王】の「邪馬台国」を滅ぼして、
天皇を名のって大和に移り住んで
大和にあったアマテラスの国をのっとった

神武は「第4皇子、であり、九州の【漢委奴国】狗奴国の33代目の国王ではないので「遷都ではない」

928名前:名無しさん@1周年ID:
>>927 つづき

なので

後晋(936年- 946年)『旧唐書』945年

【倭国伝・・つまり九州の「漢委奴国」伝】
古くは「漢委奴国」と呼び、どんな時代もずっと中国と交易していた、九州の国が【倭国】である

【日本国伝・・つまり大和の「日本国」伝】
神武がのっとり日邊(日出の処)在るを以て、故に日本と名を為した
あるいは、邪馬台という名前が嫌で日本と言う名に国名を変えた
という大和の国【日本】は、倭国ではなく、信用なら無い国だ

855名前:名無しさん@1周年ID:
 

魏志倭人伝は

1. 伊都国基点の放射よみ。

2. 陸行一月は陸行一日の単なる写し間違い。

これで決着済み。近畿パーが暴れてるだけ。

 

862名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)17:10:59.70ID:urIlsI6h0
>>855
「俺の中で」決着済みなんだよねw
「俺の中だけ」でw
864名前:名無しさん@1周年ID:
>>862
お前の中だけで決着済みで無いだけ。
872名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)17:24:05.56ID:urIlsI6h0
>>864
学会で発表もしてない話で「決着」できるの????

すごいね、さすが九州説!!

874名前:名無しさん@1周年ID:
>>872
近畿では鉄が溶けやすい学会?
878名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)17:25:48.40ID:urIlsI6h0
>>874
そういえば、根拠はないし魏志倭人伝も捻じ曲げなきゃ成立しない学会に発表されてるんでしたっけ?w
879名前:名無しさん@1周年ID:
>>878
糞食えよ近畿パーw
882名前:名無しさん@1周年ID:
>>878
お前は根拠のない話しで魏志倭人伝捻じ曲げるなよ近畿パー
858名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)16:55:11.43ID:Rr8E6WaZ0
47都道府県で唯一電車がない徳島県
これからもその記録は途切れそうにない
ある意味別格の県だね
859名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)17:03:38.05ID:0zecbCwx0
>>858
高徳線の電化が絶望的なので、それ以外の路線の電化も厳しいでしょうね。
936名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)19:10:54.57ID:XGKbp6KD0
>>858
淡路島は昭和30年代私鉄電車が走ってた。
866名前:名無しさん@1周年ID:
@阿波って嘘ばかりついて、徳島県民を陥れようとしているみたいやね
876名前:名無しさん@1周年ID:
>>866
>@阿波って嘘ばかりついて

阿波説は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。  反論ある人は、はい、どうぞ。   @阿波 

877名前:名無しさん@1周年ID:
>>876
お前はNGな
884名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)17:32:56.21ID:i1N5roKZ0
ねえな
何万もの集落を作るには土地がなさすぎる
徳島平野も昔は四国三郎吉野川が頻繁に洪水するし、農業もまともにできたもんじゃない
886名前:名無しさん@1周年ID:
>>884
>何万もの集落を作るには土地がなさすぎる

御心配には及ばない。
他説にはない、弥生後期の集落遺跡が吉野川流域集中しているよ。  わははははは  @阿波

887名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)17:43:39.48ID:In00/u2r0
>>884
よく考えたら、筑後には筑紫次郎が流れ、
阿波には四国三郎が流れているのか。

奈良に大河はあるまいw

891名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)17:58:22.67ID:0zecbCwx0
>>887
奈良には古奈良湖が有りましたよ、湖のほうが河川よりは水位の上下が穏やかな反面、
湿地帯を伴い蚊の発生等の不都合も多い、まあどっちもどっちですわ。
911名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)18:27:57.75ID:xz6zAt2X0
>>887
太郎は?
919名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)18:31:57.17ID:In00/u2r0
>>911
坂東太郎の流域には海上国(うなかみのくに)があった。
古墳時代の関東に突然屹立した巨大国にして
古墳の副葬品に石枕を入れる人たちの国。
ロマンじゃのお。
922名前:名無しさん@1周年ID:
>>919
>古墳の副葬品に石枕を入れる人たちの国。

その石枕って、阿波の青石じゃないの?  @阿波

925名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)18:38:47.25ID:In00/u2r0
>>922
知らんがな。
まあ、阿波と房総は親戚だからなあ。
932名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)18:57:00.22ID:0zecbCwx0
>>922
ところが、群馬・埼玉にも青石はある、見た目は阿波の青石とそっくり。
徳島みたいに河原中全部青石みたいなのはさすがに見たこと無いけどね。
955名前:名無しさん@1周年ID:
>>919
マロンおいしいよな
959名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)20:23:42.34ID:In00/u2r0
>>955
うむ、マロンはおいしいよな。
それに加えて、今日は>>933の収穫があったから大満足なのだ。
890名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)17:56:11.99ID:V6XaqR9d0
歴史は勝者のもの。勝者に勝手に改ざんされまくる
藤原のライバルは忌部
忌部の本拠地は四国
ゆえに四国は歴史から抹消された
893名前:名無しさん@1周年ID:
>>890
残念だが、その通り。
だが、中臣も同じ忌部一族なんだけどね。  

ここでいう忌部一族とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。
忌部一族とは倭人(広義の忌部氏)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。  @阿波
@阿波

895名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)18:03:36.41ID:0zecbCwx0
>>893
すんません、根拠もかかずに珍説を披露して徳島の恥をさらすのは止めて!
898名前:名無しさん@1周年ID:
>>895
>すんません、根拠もかかずに珍説を披露して徳島の恥をさらすのは止めて!

すんません、根拠もかかずに批判するのは止めて!
阿波説は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。  反論ある人は、はい、どうぞ。   @阿波 

907名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)18:24:28.17ID:0zecbCwx0
>>898
忌部氏と中臣氏は、ともに朝廷の祭祀を司る氏族であったが、後に中臣氏が職掌を独占するようになって、
それに押されて忌部氏が衰退したっていうのは資料から判明しているが、
中臣氏が忌部の一族だったという資料はどこにありますか?
忌部氏の祖は「天太玉命」で中臣氏の祖は「天児屋命」です。
天照大神が天岩戸に隠れたとき、両名登場して活躍しているのですが、
どちらも忌部氏と断ずる根拠をお答えいただきたい。
916名前:名無しさん@1周年ID:
>>907
>中臣氏が忌部の一族だったという資料はどこにありますか?

中臣氏とか忌部氏とかの氏族は、平安時代の『新撰姓氏録』によるもの。 記紀には、中臣氏とか忌部氏とかの氏族名はないでしょ?

>忌部氏の祖は「天太玉命」で中臣氏の祖は「天児屋命」です。

ともに「忌部一族」です。
ここでいう忌部一族とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。
忌部一族とは倭人(広義の忌部氏)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。  @阿波

921名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)18:35:08.54ID:0zecbCwx0
>>916
無茶苦茶だなwだったら秦氏はどうなるんですか?
徳島には秦氏の子孫も大勢いらっしゃいますよ、
小学校の時の教頭先生も秦先生でした。
892名前:名無しさん@1周年ID:
玖賀(京都)~敦賀~多賀~甲賀~伊賀~雑賀~那賀(阿波)~~英賀 (播磨)
倭国大乱前、畿内を中心とした賀で囲まれた国が作られていた可能性があるな

倭国大乱までは阿波も銅鐸文化圏で畿内の仲間だったんやろな

巨大銅鐸が見つかった滋賀の伊勢遺跡に首長たちが集まって政治をしていたんじゃないか?

909名前:名無しさん@1周年ID:
>>892
面白いけど賀ってどういう意味なんだ
910名前:名無しさん@1周年ID:
>>892
琵琶湖の南側か
弥生後期に住居の痕跡がなく巨大銅鐸の祭祀殿跡か
誰が何を目的に何を祈ったのか?
896名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)18:06:11.83ID:6itRY+4h0
奴国は大和朝廷と繋がりがない論が強いのに邪馬台国は繋がりがある論が強い意味がわからない
どっちも繋がりないだろ
897名前:名無しさん@1周年ID:
>>896
いや畿内説なんてまるでネタだから。
もう否定され切ってる。
906名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)18:24:26.20ID:YUllz0sj0
>>896
>奴国は大和朝廷と繋がりがない論が強いのに

どこの異世界でそんな論が強いんだ?
それとも九州説信者の限られた狭い世界での話?

913名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)18:28:16.04ID:SOIsW8yP0
四国で間違いないとおもう
ミクロネシアから航海で渡って来たことも明らかになったし
災害から離れて住むなら四国しかない
918名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)18:31:49.69ID:BaTCGORw0
>>913
ミクロネシア人と日本人はDNAは近いのかな?
923名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)18:36:21.35ID:SOIsW8yP0
>>918
縄文人とミクロネシア人に共通の遺伝子があるそうだ
920名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)18:33:05.23ID:BaTCGORw0
>>913
あんな小さな島々から日本にすごい距離があるのに
船で渡ってくるというのは驚きですね。その間どうやって
水とか調達で来たんだろう?
926名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)18:39:00.33ID:SOIsW8yP0
>>920
途中の島は当然寄ってる
黒潮の流れに乗ってきたんだろう
ミクロネシア、フィリピン、台湾、沖縄、本土とね
最近も台湾から石垣島へ昔の船で200キロ航海する実験していた
成功したよ
931名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)18:55:16.34ID:o+/UgjUY0
>>926
ググってみると丸二日かかったらしいな
200㎞を48時間、日に5時間漕ぐと仮定すると十日かかる計算になる
これに雨待ち風待ち潮待ち逗留の日数を加えると、200㎞移動するのに二十日ほどかかっても不思議はないな
ぜひ準構造船でも航行実験してみてほしいところだな

> 大阪市のなみはや号プロジェクト(引用元)
> 大阪市、大阪市教育委員会、(財)大阪市文化財協会は、大阪市制100周年・協会
> 創立10周年記念行事として舟形埴輪のモデルとなった古代船を復元し、「倭の五王」
> 時代の航海を再現する事にした。大阪から・韓国釜山まで700kmの航海実験であった。
>
> そこで10年前、大阪の長原高廻りから出土した舟形埴輪を10倍の大きさにし、実際に
> 木造船として作ってみました。現在の船の構造設計者によると、とても構造的に船に
> ならない、ということでしたが、直径2mの丸太をカナダから輸入し、埴輪を忠実に模する
> ことにより、全長12m、8人漕ぎの古代の準構造船を再現したのです。この船を”なみはや”
> と名づけ、実際に海に浮かべて漕いでみますと、非常に安定が悪く、そのうえなかなか
> 進みません。50cmの高さの波がきただけでもバランスを失ってひっくり返りそうです。
> 1mもの波がこようものなら漕ぎ出すのは到底無理なことです。また喫水が浅いため
> 少しの風でも倒れそうになるので、天理の東殿塚古墳から出土した土器の絵のように、
> 帆のようなものを立てるなどという事は、現実的に絶対に無理なことでした。
>
> 結局、船を安定させるため何百キロという重りを底に入れて、大学のボート部の学生に、
> 古代の人が渡ったであろうと思われるコースで、玄界灘を越えて韓国に向けて漕いで
> もらったわけですが、これが殆ど進みません。そのまま漕いで行っても、一体何日かかれば
> 港に到着するのか、見当がつかないほど進みません。

937名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)19:13:30.85ID:V6XaqR9d0
>>913
まず南九州に漂着したが火山あるので
四国へ移住したんだろう
四国から畿内へ移住は南海トラフだろうな、奈良は津波来ないし
952名前:名無しさん@1周年ID:
>>937
瀬戸内海は内海だから津波は影響少ないだろう
924名前:名無しさん@1周年ID:
イザナギ、イザナミについては、

延喜式祝詞では鎮火祭の祝詞に出てくる

「天都詞太詞事を以て申さく」と他人事のように書かれている。

鎮火祭
高天原に神留り坐す皇親神漏義・神漏美の命持ちて、
皇御孫命は豊葦原乃水穂国を安国と平けく知食せと、天下寄さし奉りし時に、
事寄さし奉りし天都詞太詞事を以て申さく、
 神伊佐奈伎・伊佐奈美乃命、妹背二柱嫁継ぎ給ひて、国の八十国・嶋の八十嶋を生み給ひ、八百万神等を生み給ひて、
麻奈弟子に火結神を生み給ひて、美保止焼かえて石隠り坐して、
夜は七夜昼は七日、吾をな見給ひそ、吾が奈^背乃命と申し給ひき。
此の七日には足らずて、隠り坐す事奇しとて、見そなはす時に、火を生み給ひて、御保止を焼かえ坐しき。
如是る時に、吾が名^背乃命の吾を見給ふなと申すを、吾を見阿波多志給ひつと申し給ひて、吾が名^背能命は上津国を知食すべし。
吾は下津国を知らむと白して、石隠り給ひて、与美津枚坂に至り坐して思食さく、吾が名^背命の知食す上津国に、心悪しき子を生み置きて来ぬと宣りたまひて、返り坐して、更に子を生みたまふ。
水神・匏・川菜・埴山姫、四種の物を生み給ひて、此の心悪しき子の心荒びそば、水神匏、埴山姫川菜を持ちて鎮め奉れと事教へ悟し給ひき。
 此に依りて称辞竟へ奉らば、皇御孫の朝廷に御心一速び給はじと為て、進る物は、明妙・照妙・和妙・荒妙・五色物を備へ奉りて、
青海原に住む物は、鰭広物・鰭狭物、奥津海菜・辺津海菜に至るまでに、御酒は�辺高知り、�腹満て雙べて、
和稲・荒稲に至るまでに、横山の如く置き高成して、天津祝詞の太祝詞事以て、称辞竟へ奉らくと申す。

933名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)19:04:10.87ID:In00/u2r0
>>924
> 吾を見阿波多志給ひつと申し給ひて

辞書によると、「阿波多す(あわたす)」は「淡(あわ)」と語源を同じくして
「軽視する、恥をかかせる」の意と書いてあるな。
>>553で書いたヒルコの兄弟の「淡島」の謎が、意外なところで解けた気がする。
ありがとう。

959名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)20:23:42.34ID:In00/u2r0
>>955
うむ、マロンはおいしいよな。
それに加えて、今日は>>933の収穫があったから大満足なのだ。
930名前:名無しさん@1周年ID:
九州が一番説得力がある
畿内説はもはや宗教的な何か
934名前:名無しさん@1周年ID:
>>930
九州にあったのは

天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神(豊玉彦)

ですけど?

935名前:名無しさん@1周年ID:
>>930
九州にあったのは

出雲の、天照大神尊の孫の天彌聞尊(あめのににぎのみこと)の子の
炎尊(ほむらのみこと・山幸彦)が訪れた

天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神(豊玉彦)の「海神の国」

ですけど?

966名前:名無しさん@1周年ID:
出土した遺物は、吉野川下流域、讃岐、吉備等の搬入土器が含まれており、

当時の交易の範囲を知る上で貴重な発見となっている。  @阿波  

「稲持遺跡」 
https://www.pref.tokushima.lg.jp/rekishiru/remains/5023036/

971名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)20:43:53.29ID:0zecbCwx0
>>966
それ、縄文時代の遺跡ですね。
徳島だけで無く西日本は東日本と比較して縄文時代の遺跡の出土が少ないので、大変貴重な遺跡と言えるでしょう。

ところで阿波忌部氏と皇室のつながりを感じさせる大麻の栽培の記事を貼って置きますね。
https://www.topics.or.jp/articles/-/186792

麻の栽培は、古く縄文時代から伝承されてきたものでは無いかと推測します。

972名前:名無しさん@1周年ID:
>>971
麻とかどうでもいいし、絹は弥生時代やで
976名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)20:56:44.26ID:0zecbCwx0
>>972
天皇の代替わりの儀式に切る装束が麻っていうのも不思議ですねえ、
皇室では養蚕もやってますし、絹のほうが高級そうなんですが。

>>974
それ貴重な体験でしたね、自分も行ってみたけど、行ける時期には既に刈り取った後かなあ・・・。

978名前:名無しさん@1周年ID:
>>976
>天皇の代替わりの儀式に切る装束が麻っていうのも不思議ですねえ

天皇陛下即位式である大嘗祭に、麁服を調進する大役を太古から担う御衣御殿人(みぞみあらかんど)の家柄である三木家は、
木屋平村の三木山山頂に居を構える。
貢(みつぎ)、あるいは三ッ木とも呼ばれる地名は、深く調進に関わる為でもあろう。 南北朝時代にあっては、山岳武士の頭目として南朝に関わった。
さて、この三木山こそは、太古の高天原であると同時に、天皇家の故郷でもある。このお山から御霊を大嘗宮へ運ぶ為には何か媒体が必要である。
つまり、依り代に付いて初めて示現されるのが神霊であるなら、「麻」こそ媒体であると云える。
古来より伊勢神宮の神札は神宮大麻と呼ばれ、御師が領布した御祓大麻を指すからだ。
後世、大麻(おおぬさ)は紙に変わってしまい、現代人は麻の持つ意味を忘れようとしている。   @阿波

982名前:名無しさん@1周年ID:
>>976
昔からの習慣を重視しているなら、初期のヤマト政権には絹が無かったからと見るか
何らかの宗教的な理由によるものか、当時の日本の絹の質が余り良くなく
かつ麻の方が暑い日本には合っていたか、かのいずれかのような気はする
983名前:名無しさん@1周年ID:
>>982

古来より伊勢神宮の神札は神宮大麻と呼ばれ、御師が領布した御祓大麻を指すからだ。

後世、大麻(おおぬさ)は紙に変わってしまい、現代人は麻の持つ意味を忘れようとしている。   @阿波

974名前:名無しさん@1周年ID:
>>971
先日、三木家へ、践祚大嘗祭の麁布に使うための大麻畑を見学に行ってきました。  @阿波
976名前:名無しさん@1周年2019/07/14(日)20:56:44.26ID:0zecbCwx0
>>972
天皇の代替わりの儀式に切る装束が麻っていうのも不思議ですねえ、
皇室では養蚕もやってますし、絹のほうが高級そうなんですが。

>>974
それ貴重な体験でしたね、自分も行ってみたけど、行ける時期には既に刈り取った後かなあ・・・。

978名前:名無しさん@1周年ID:
>>976
>天皇の代替わりの儀式に切る装束が麻っていうのも不思議ですねえ

天皇陛下即位式である大嘗祭に、麁服を調進する大役を太古から担う御衣御殿人(みぞみあらかんど)の家柄である三木家は、
木屋平村の三木山山頂に居を構える。
貢(みつぎ)、あるいは三ッ木とも呼ばれる地名は、深く調進に関わる為でもあろう。 南北朝時代にあっては、山岳武士の頭目として南朝に関わった。
さて、この三木山こそは、太古の高天原であると同時に、天皇家の故郷でもある。このお山から御霊を大嘗宮へ運ぶ為には何か媒体が必要である。
つまり、依り代に付いて初めて示現されるのが神霊であるなら、「麻」こそ媒体であると云える。
古来より伊勢神宮の神札は神宮大麻と呼ばれ、御師が領布した御祓大麻を指すからだ。
後世、大麻(おおぬさ)は紙に変わってしまい、現代人は麻の持つ意味を忘れようとしている。   @阿波

982名前:名無しさん@1周年ID:
>>976
昔からの習慣を重視しているなら、初期のヤマト政権には絹が無かったからと見るか
何らかの宗教的な理由によるものか、当時の日本の絹の質が余り良くなく
かつ麻の方が暑い日本には合っていたか、かのいずれかのような気はする
983名前:名無しさん@1周年ID:
>>982

古来より伊勢神宮の神札は神宮大麻と呼ばれ、御師が領布した御祓大麻を指すからだ。

後世、大麻(おおぬさ)は紙に変わってしまい、現代人は麻の持つ意味を忘れようとしている。   @阿波

968名前:名無しさん@1周年ID:
まあ倭人伝によると倭では養蚕をやってて、卑弥呼が魏に倭錦(絹織物)を献上したりしてるが
この時代の遺跡から絹が出土するのは九州のみ。その時点でなあ
970名前:名無しさん@1周年ID:
>>968
>この時代の遺跡から絹が出土するのは九州のみ。

それはよかったね。

「加茂宮ノ前遺跡」№2
徳島県阿南市加茂町大西、宮ノ前にある加茂宮ノ前遺跡は那賀川の右岸、標高約24~26mの自然堤防に立地している。
発掘調査では、弥生~古墳時代と鎌倉~室町時代の集落跡を確認。
弥生時代中期後半~古墳時代前期初頭(紀元1~3世紀ごろ)の竪穴住居跡計100棟余りと、土坑、溝、柱穴を発見した。
弥生~古墳時代の県内最大規模の集落とみられる。
住居跡や周辺の遺構からは、水銀朱の精製に関わる磨石(すりいし)や石杵、石臼などの石器500点余りと、祭祀に関わる水銀朱の原料となる辰砂約90点が見つかり、注目される。
住宅跡からは、サヌカイト製の石器とその残りかす、糸を紡ぐために使う土製紡錘車、鉄器、ガラス小玉が出土。
鍛冶炉(製鉄の炉)を備えていた。
一つの住居で辰砂の精製と鉄の加工、紡織、石器づくりをしていることから、さまざまな物を同時に作る工房としての性格があることが分かった。
加茂宮ノ前遺跡の南西約5㎞には、弥生~古墳時代の辰砂採掘遺跡である若杉山遺跡がある。
那賀川の対岸には縄文~鎌倉、室町時代の深瀬遺跡がある。若杉山、深瀬の両遺跡は時代が共通する上、辰砂が見られる点から、加茂宮ノ前遺跡との関連が注目される。
加茂宮ノ前遺跡では、水銀朱を作っていたほか、石器、鉄器の製作加工や紡織をするなど「生産のムラ」として大規模に展開していたといえる。(県埋蔵文化財センター専門研究員 田川憲)   @阿波

977名前:名無しさん@1周年ID:
>>970
山丹有だからな。丹だけなら佐賀の虚空蔵山にもあるんやで
阿波はまず絹を見つけてから何か言ったら
979名前:名無しさん@1周年ID:
>>977
>阿波はまず絹を見つけてから何か言ったら

「丹」を掘り出していたから、それだけで腹いっぱいだよ。 わははははは  @阿波

981名前:婆 ◆HKZsYRUkck 2019/07/14(日)21:03:16.88ID:In00/u2r0
まず前提として、俺は朱(水銀朱)も紅(ベンガラ=酸化鉄)も「丹」だという立場だが、
それはさておき。

>>977とか
豊前田川の香春岳は古くからの銅山で、ここの香春神社は宇佐神宮の
前身とも言われているが、その神職は赤染氏なんだよね。
赤染氏は中央貴族も出している名家だが、姓は常世連で、「新撰姓氏録」によると、
「燕国王公孫淵より出ず」という系譜らしい。
その出自と「赤染」という氏から、朱丹(水銀朱)を司る一族である可能性が高いのだ。

988名前:名無しさん@1周年ID:
>>970
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/117/5/117_5_948/_pdf
によると
硫黄同体比から見ると、北九州から丹後までの丹は中国産の可能性が高く(ちなみに虚空蔵山のものも中国産に近い)、畿内のものは三重、もしくは徳島産のものに近いとか
この辺りに勢力の境界があったかも知れない
969名前:名無しさん@1周年ID:
当然本物はレプリカよりでかいんだよね
975名前:名無しさん@1周年ID:
>>969
>当然本物はレプリカよりでかいんだよね

あのねぇ、本物の大王墓は山稜に造営されるものなんだよ。 理解できる?  記紀にも書いてあるでしょ? 

平地に造るどでかいお墓は、臣下のお墓やレプリカ墓(霊のない空墓)。  @阿波

985名前:名無しさん@1周年ID:
>>975
そんなことどこに書いてある?
ぼくは論証できない時期の記述だったら納得しないよ
986名前:名無しさん@1周年ID:
>>985
>ぼくは論証できない時期の記述だったら納得しないよ

少なくとも初期の天皇陵は、山の尾根や丘を利用して築かれた。

初代~第五代天皇の陵墓の記事(『古事記』『日本書紀』『延喜式』)には

まず神武陵が畝火山の北方白檮尾上、綏靖陵は衝田岡、懿徳陵は畝火山の真名子谷上、孝昭陵は掖上の博多山上とあるように、

初期の天皇陵は、 山の尾根や自然の丘陵の一部を利用して築かれている。  @阿波

987名前:名無しさん@1周年ID:
>>986
それはその時代だけだろ 時代というのも怪しい代だが
7世紀まで説明していただかないと

山の麓だからって仁徳陵並みのものがつくれないわけじゃないし

989名前:名無しさん@1周年ID:
>>987
>それはその時代だけだろ

なに言ってんの? 現代もそうじゃないの?  わははははは   @阿波

992名前:名無しさん@1周年ID:
>>989
本気で言ってるの?
八王子の陵墓は山の麓ですか?
高尾山まで何キロ離れてるかご存知ですか?
994名前:名無しさん@1周年ID:
>>992
>八王子の陵墓は山の麓ですか?

本気で言ってるの?
八王子の陵墓は盆地の湿地帯ですか?  わははははは  @阿波

995名前:名無しさん@1周年ID:
>>994
盆地ではなく台地だが
間違っても山稜じゃありませんが?
999名前:名無しさん@1周年ID:
>>995
>間違っても山稜じゃありませんが?

台地であっても、間違っても「盆地の湿地帯」じゃありませんが?  ワハハハハ  @阿波

1000名前:名無しさん@1周年ID:
>>999
じゃあ山稜だからでかい墓はつくれないというのは正確じゃないと認めるわけね
991名前:名無しさん@1周年ID:
>>987
>山の麓だからって仁徳陵並みのものがつくれないわけじゃないし

山の麓じゃないよ。  山稜。  @阿波

993名前:名無しさん@1周年ID:
>>991
少なくともこの時代の陵墓が山という証拠は出せないわけね
996名前:名無しさん@1周年ID:
>>993
>少なくともこの時代の陵墓が山という証拠は出せないわけね

「この時代」って、いつの時代のこと言ってんの?  @阿波

997名前:名無しさん@1周年ID:
>>996
史実が確認できるようになってから7世紀までね

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