【古代】邪馬台国論争、議論は永遠の平行線★4

1名前:樽悶 ★2019/08/01(木)17:11:46.76ID:+F9Gy6Gc9
 考古学ファンの心を揺さぶる邪馬台国の所在地論争。先日、テレビで九州説と畿内説を対決させる番組が放送されていた。九州説の有力な手掛かりは硯(すずり)。畿内説の方は赤色顔料の原料、水銀だ。

 ただ、硯は、福岡市埋蔵文化財課の久住猛雄さんが今春、大阪府泉南市にある弥生時代の遺跡出土品に含まれているのを確認している。一方、水銀の鉱床も畿内限定ではなく、「丹生(にゅう)」などゆかりの地名は九州にもある。お互い説得力はいまひとつだった。

 折も折、九州説をとるミスター吉野ケ里こと高島忠平さんと、纒向(まきむく)学研究センター(奈良県桜井市)所長の寺沢薫さんによる対論が福岡県飯塚市で開かれた。寺沢さんは桜井市の纒向遺跡を邪馬台国=ヤマト国とみる研究者だ。

 結論から言えば「議論は永遠の平行線」という印象だ。

 重要な鍵は多様な土器が出土している纒向遺跡。遺跡の時期と重なる「庄内式」と呼ばれる土器が登場した年代を、寺沢さんは3世紀初めごろとする。中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」にある女王・卑弥呼の共立時期と同じで、「卑弥呼の都」との見方が強まる。

 高島さんは3世紀半ばとみる。卑弥呼が没した時期であり、纒向遺跡は無関係という解釈を導く。2人とも庄内式土器が用いられた時期と纒向に「都市」があった時期は一致すると考えているが、その土器が示す実年代のとらえ方に50年の差があり、対論でもなかなか縮まらなかった。

 土器の年代は研究の積み重ねを基に設定されている。実年代に当てはめる場合は一定程度の推測が伴い、各研究者がそれぞれの尺度を持つ。放射性炭素14を使った科学的な年代分析法もあるが、概して従来の年代設定より古い数値が出ており、精度を疑問視し否定的な研究者もいる。

 ちなみに庄内式土器も、炭素14測定では卑弥呼が生まれる前の2世紀-との数値も出ている。もっともこの分析法は「100年ほどの誤差を含み、10年、20年単位の判定には不向き」との指摘も聞く。

 論争が袋小路に入るそもそもの原因は倭人伝の記述だ。文字通りに進めば邪馬台国は日本の南方海上になってしまう。数々の論者が自分流に読み換え、各地に所在地を求めた。これも永遠の平行線。ドイツ近代政治史が専門の九州大教授、熊野直樹さんは「攻めてくる恐れのある他国に、自国の地理情報を正確に伝えるはずがない」と、国際関係論をベースに邪馬台国側の意図を読み解いてみせる。

 交わることなき論争。故に歴史ロマンが生き続けるのかもしれない。(文化部次長 古賀英毅)

西日本新聞 2019/7/27 10:40
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/530555/

★1:2019/07/29(月) 23:59:18.84
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1564555663/

5名前:名無しさん@1周年ID:
>>1

>結論から言えば「議論は永遠の平行線」という印象だ。

それはない。

卑弥呼時代をさかのぼること900年前に成された「神武東征」を明らかにすれば済む。
また、卑弥呼時代を少し過ぎた時期に「日本武尊ヤマトタケル」が、近畿から九州南部に熊襲を征伐に出かけてる。

10名前:名無しさん@1周年ID:
>>1

解決しちゃったら片方は飯の食い上げですもんw

11名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)17:25:56.49ID:MMHS9kZ+0
>>1
実は邪馬台国論争はもう終わってます
九州説は学術的根拠のない俗説です

国立歴史民俗博物館
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c

18名前:名無しさん@1周年ID:
>>11
中国の歴史書の記述が概ね正しいと言うのは
中央アジアでも証明されつつあるからね

まあそれは学者さんたちに任せておけばいい
しかし学者の大半が大和説と言うのはあらためて驚きだな

37名前:名無しさん@1周年ID:
>>18
陳寿は金で史書を創作してたことがバレてるけどな。
本国ですらそんなレベル東の夷国の事なんて、魏略から丸パクリよ?

そして魏略は漢書地理志と山海経をソースに書かれてる。
問題なのは山海経で、こいつが適当に歯黒国とか他にもいっぱい国を創作してる。

中国の史書が真実を書いてるなんて思わないのが第一歩

55名前:名無しさん@1周年ID:
>>18
こらこら近畿パーww
58名前:名無しさん@1周年ID:
>>11
近畿では鉄が溶けやすい?
134名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)19:48:35.01ID:fTAdbWFO0
>>11
最近、大和説は立場がかなり危なくなってきたな・・・
146名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)20:02:57.33ID:GNIyGBop0
>>134 纏向遺跡を掘った成果だよ

ヤマト王権が世俗化し、そこから追い出される形で大きな神殿が建てられた
巫女たちを政治の場から追い出すのが、纏向の神殿という社会実験なのだよ
これは完全な成功を収めた
ゆえに大和王権は纏向を廃止し、より遠い場所に神殿を建てるようになる

纏向遺跡が突如に消えたのは、政治的な流れであり、宗教的な変化ではないのだ

996名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)18:08:55.24ID:c1uAYUfe0
>>11
君の言う学者ってどこかよその国の学者なのか?
日本の学会では九州説以外が認められたことは過去に無いはずだが
999名前:名無しさん@1周年ID:
>>996
なにいってんだこの馬鹿チョン
31名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)17:41:56.90ID:N8SMkso+0
>>1
そもそも魏志倭人伝の記述に信憑性がない。
倭国の人口が大幅に誇張されている。
さらに当時の倭人は文字が書けない。
この状況で邪馬台国を特定するのは不可能。

金印が出れば話は別だが。

145名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)20:01:30.36ID:KoiH1ONq0
>>1
どっちか側にチョンがいたら
ウソをついてる方だよ。

間違ってる?

220名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)21:55:30.24ID:qgLWC/3K0
>>1
現状、妄想と妄想の戦いだもの
決着はつかないよなw
228名前:名無しさん@1周年ID:
>>220
涙拭けよ妄想畿内パーwww
250名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)22:12:47.94ID:qgLWC/3K0
>>228,>>231
???
あのー九州説の方を信じてるんだけど…
252名前:名無しさん@1周年ID:
>>250
九州パーも居るよ
伊都国ガーとか
262名前:名無しさん@1周年ID:
>>252
伊都国に卑弥呼が居たことは魏志倭人伝を読めば明らかだよ
中国の学者も同意見でしょうね。
231名前:名無しさん@1周年ID:
>>220

ブサヨもなんかこんな感じでマウントとったつもりで勝ち誇ったりスカしたりしてたんだよなwww
んでそのあとネトウヨにメタメタに敗北したわな
250名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)22:12:47.94ID:qgLWC/3K0
>>228,>>231
???
あのー九州説の方を信じてるんだけど…
252名前:名無しさん@1周年ID:
>>250
九州パーも居るよ
伊都国ガーとか
262名前:名無しさん@1周年ID:
>>252
伊都国に卑弥呼が居たことは魏志倭人伝を読めば明らかだよ
中国の学者も同意見でしょうね。
570名前:名無しさん@1周年ID:
>>1 >>3 >>569
海香rあ近づいてくると航路の両側が山になっていて山の門のように見えたということ

ヤマトの国=山門の国=邪馬台国

3名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)17:17:38.18ID:e7DayJl20
やまと → 邪馬台(当時の中国語速記官の適当な当て字)

だろ?

22名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)17:31:17.61ID:xRFRofGD0
>>3
わいもそう思う。または東大阪か、河内あたり。昔の大和川がその名前のなごり。
89名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)18:59:18.22ID:j/FtqKhR0
>>22
当時は河内湖ってものがあってな
33名前:2chのエロい人 がんばれ!くまモン!2019/08/01(木)17:45:33.82ID:s9HmhcqR0
>>3
古代の九州博多にて。
「ここは、なんという国ですか?」
「ここは、ヤマトですたい。」

「ヤマトですたい。」
「ヤマですたい。」
「ヤマ…たい。」
「ヤマタイ!」

ばんざーい! \ミ^ω^彡/

91名前:名無しさん@1周年ID:
>>33
実はこれかなり有力らしいぞ
中国の漢字学者によれば山がちな日本の地形からヤマの音が入っている可能性が高いらしい
569名前:名無しさん@1周年ID:
>>3
船から来て山の門(航路の両側が山がそびえていた)らしい
中国人の漢字の権威によれば邪馬台国は山が目立つ地域らしいよ
だからすくなくとも最初の邪馬台国(山門の国)は九州だとか
570名前:名無しさん@1周年ID:
>>1 >>3 >>569
海香rあ近づいてくると航路の両側が山になっていて山の門のように見えたということ

ヤマトの国=山門の国=邪馬台国

575名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)10:20:48.07ID:oIlzWpi/0
>>569
山門のトと大和のトは音が違う
そして大和のほうは邪馬台のトと同じ
579名前:名無しさん@1周年ID:
>>575
古代の音なんて時代も大陸の出身地も違えば そうとは言い切れないのでは?

詳しくは忘れたわ 吸収と畿内でかぶる地名が多いので九州→畿内に移動したとか中国か台湾(複数の中国系学者が出演していた)の専門家は言ってたが

681名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)12:03:51.14ID:BPchbS210
>>579 >>575
門は甲類のトで
耶馬登、耶馬等などのトは乙類のトだな
飛鳥奈良時代の日本語では漢字の発音の音色によって
甲類、乙類の区別をしてたらしい。
現代人は区別できないけど・・・
735名前:名無しさん@1周年ID:
>>681
>>603
594名前:名無しさん@1周年ID:
>>575
それは理由にならない。
603名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)10:42:34.26ID:Zn/l2jQL0
>>575
まあ平安中期には同じ音になってたし、3世紀にどういう音だったかはまったくわからんけどね
735名前:名無しさん@1周年ID:
>>681
>>603
681名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)12:03:51.14ID:BPchbS210
>>579 >>575
門は甲類のトで
耶馬登、耶馬等などのトは乙類のトだな
飛鳥奈良時代の日本語では漢字の発音の音色によって
甲類、乙類の区別をしてたらしい。
現代人は区別できないけど・・・
735名前:名無しさん@1周年ID:
>>681
>>603
570名前:名無しさん@1周年ID:
>>1 >>3 >>569
海香rあ近づいてくると航路の両側が山になっていて山の門のように見えたということ

ヤマトの国=山門の国=邪馬台国

6名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)17:23:01.80ID:vVUoh3xc0
だから九州で立ち上げて近畿に遷都?したんだろ
12名前:名無しさん@1周年ID:
>>6

神武は、北九州の出身でなく南九州の出身。

神武が南九州から近畿を目指したのは、その当時、近畿が日本最大の繁栄地であったからだ。
もし北九州が栄えていたなら、目と鼻の先の北九州を目指していたろう。

25名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)17:32:54.78ID:qAmNEajy0
>>6
考古学的証拠からは、九州に前方後円墳が現れるなど畿内の文化が九州を制している
邪馬台国が九州にあったのだとすると、邪馬台国は大和政権に滅ぼされたことになる
東遷云々は神武東征を邪馬台国と結びつける在野研究家のヨタ噺
28名前:名無しさん@1周年ID:
>>25
なるほどサンクス
邪馬台国がどこにあろうが
大和の権力が国内を制圧したと言うことだね
38名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)17:56:42.04ID:akwnLvK20
>>25
それが考古学手的に卑弥呼の死後からみられるという話の曲解。
64名前:名無しさん@1周年ID:
>>25
DNAの研究で古墳時代に北部九州地域から日本列島全体に現代日本人が広がった事が判明している
神武東征もこの流れの一つだろう。
71名前:名無しさん@1周年ID:
>>64
日向→紀伊半島→大和。
神武東征伝説どおりだ。
実際には崇神(ハツクニシラススメラミコト)なんだろうが。
115名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)19:29:32.00ID:eDqMm2lF0
>>25
考古学的見地からは、邪馬台国を畿内に結びつけるのは在野研究家のヨタ噺
だって出土資料には「邪馬台国」とは書いてないから
14名前:名無しさん@1周年ID:
ヤマタイの位置九州説は、九州男児の「ヤマたい」的な口調から来ているとかつて信じていた
338名前:名無しさん@1周年ID:
>>14

普通ならヤマト国なのにタイになったのは方言かw

349名前:名無しさん@1周年ID:
>>338
逆かもしれないんだ。
そもそも魏志倭人伝の表記は耶馬壱国。
江戸時代の国学者がヤマトと読むために耶馬台国として、壱は台の書き写しとしたとの一説が始まり。
363名前:名無しさん@1周年ID:
>>349
江戸時代の国学者本居宣長は九州説なんですが
32名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)17:44:55.69ID:SzAZtan80
コピペ馬鹿が薦める方が間違いだとよくわかるスレだな。
一人で50も60もレスしやがってw
52名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)18:24:50.28ID:cxbssZ1W0
>>32
まさにそれ
邪馬台国論争でも当てはまる
56名前:名無しさん@1周年ID:
>>52
涙拭けよ反論出来ないただのバカww
54名前:名無しさん@1周年ID:
>>32
涙拭けよただのバカw
66名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)18:38:33.12ID:eRcyCHeX0
>>32
こいつはいつも1日に100レス以上だぞw
あぼーんするとスッカスカになる
74名前:名無しさん@1周年ID:
>>66
涙拭けよ脳みそスッカスカww
39名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)18:01:05.87ID:akwnLvK20
中国の学者の指摘→「畿内説だと女王国の東にある倭種の国の説明がつかない」

畿内説だと東の海を渡り千余里にある倭種の国は東海または静岡だよな。
そしてその千余里が一日航海の距離という意味だと言い張ってた。
ならば、博多湾から投馬国(出雲)まで水行1~2日で行けるよな。
畿内説は矛盾だらけの自己崩壊説だ。

41名前:名無しさん@1周年ID:
>>39
中国の学者はそもそも短里を認めてないけどな。
43名前:名無しさん@1周年ID:
>>41
中国の学者がBSの番組で邪馬台国は九州と言ってたけど
短里だろ
45名前:名無しさん@1周年ID:
>>43
あれは歴史学者か?
48名前:名無しさん@1周年ID:
>>45
肩書きなんだったか覚えてない
62名前:名無しさん@1周年ID:
>>48
あれは言語学者
67名前:名無しさん@1周年ID:
>>62
魏志倭人伝を読んでの感想だから言語学者が適任者だろ。
70名前:名無しさん@1周年ID:
>>67
文章の読み方は知ってても、単里なんて知らんよ
76名前:名無しさん@1周年ID:
>>70
中国の言語学の専門家が魏志倭人伝を読むと
短里を知らなくても邪馬台国の位置は北部九州だって理解したんだよ。
100名前:名無しさん@1周年ID:
>>76
言語学者が理解できるのは、書いてある文面までだ。
その解釈まで責任持てんよ。
104名前:名無しさん@1周年ID:
>>100
魏志倭人伝の文面からは関西に邪馬台国があるとは読み取れないってことだね。
113名前:名無しさん@1周年ID:
>>104
言語学者の解釈は字面の通りだけだ。
114名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)19:29:29.91ID:f93k38iY0
>>100
そもその古代中国語の解読というところでも、当時から外国語として漢文を読む集積があった日本には負けてるという
121名前:名無しさん@1周年ID:
>>114
そもそもあの番組見たか?
中国史学者は距離を信じてはいけないと言ってたが、そこんところどうなん?
129名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)19:43:28.38ID:eDqMm2lF0
>>100
考古学者には文章の解釈に責任は持てないよな
80名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)18:52:14.41ID:cxbssZ1W0
>>67
言語学者が古代の文献読んで、聖徳太子が実在したかどうかを
判断するのと同じ次元の愚行
124名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)19:35:22.53ID:eDqMm2lF0
>>80
考古学者が文献資料読んで解釈するのは愚行だというわけか
136名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)19:49:11.92ID:2hjGW8Oc0
>>124
それは歴史学者の仕事、考古学者は遺跡掘ってナンボ
57名前:名無しさん@1周年ID:
>>41
またウソかw
50名前:名無しさん@1周年ID:
邪馬台国畿内説は、否定証明完了済み。

卑弥呼の居た三世紀半ばは西日本は近畿や吉備や出雲などの有力な豪族が割拠し、緩やかに連合していた時代で、どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずに居た。
これは古代日本史の完全な定説で、誰も異を唱えるものなど居ない。

しかし、邪馬台国の命令で奴国などの北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。

つまり、近畿に邪馬台国があったと主張することは、近畿は自分の周辺すら軍事的に統括出来ずに居るのに、中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。

これはバカが言う説であり、もはや学問の体を成していない。

邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないただのファンタジー。

はい、論破w

 

51名前:名無しさん@1周年ID:
ここまでのまとめ

1. 畿内説は完全に否定され切った。文献的にも考古学的にも可能性はない。ゼロ。
例えば>>50こんなもの一発で反論出来ず大破轟沈するようなシロモノ。ただの寝言。ネタ。

2. 近畿パーの目的は、議論を誤魔化しケムに巻くこと。
だから根拠無しの妄想でもお構い無しww

3. 九州説は、卑弥呼の墓が祇園山古墳であることまで突き止めた。九州説の深刻な欠点は、御井周辺にある邪馬台国の具体的位置を突き止められていないことだけ。
あと全て謎は解けた。少なくとも深刻な矛盾はゼロ。何も無い。

 

377名前:名無しさん@1周年ID:
ここまでのまとめ 

1. 畿内説は完全に否定され切った。文献的にも考古学的にも可能性はない。ゼロ。
例えば>>50こんなもの一発で反論出来ず大破轟沈するようなシロモノ。ただの寝言。ネタ。

2. 近畿パーの目的は、議論を誤魔化しケムに巻くこと。
だから根拠無しの妄想でもお構い無しww

3. 九州説は、卑弥呼の墓が祇園山古墳であることまで突き止めた。九州説の深刻な欠点は、御井周辺にある邪馬台国の具体的位置を突き止められていないことだけ。
あと全て謎は解けた。少なくとも深刻な矛盾はゼロ。何も無い。

 

408名前:名無しさん@1周年ID:
ここまでのまとめ 

1. 畿内説は完全に否定され切った。文献的にも考古学的にも可能性はない。ゼロ。
例えば>>50こんなもの一発で反論出来ず大破轟沈するようなシロモノ。ただの寝言。ネタ。

2. 近畿パーの目的は、議論を誤魔化しケムに巻くこと。
だから根拠無しの妄想でもお構い無しww

3. 他のパーは面倒くさいから省略。

4. 九州説は、卑弥呼の墓が祇園山古墳であることまで突き止めた。九州説の深刻な欠点は、御井周辺にある邪馬台国の具体的位置を突き止められていないことだけ。
あと全て謎は解けた。少なくとも深刻な矛盾はゼロ。何も無い。

 

598名前:名無しさん@1周年ID:
ここまでのまとめ  

1. 畿内説は完全に否定され切った。文献的にも考古学的にも可能性はない。ゼロ。
例えば>>50こんなもの一発で反論出来ず大破轟沈するようなシロモノ。ただの寝言。ネタ。

2. 近畿パーの目的は、議論を誤魔化しケムに巻くこと。
だから根拠無しの妄想でもお構い無しww

3. 九州説は、卑弥呼の墓が祇園山古墳であることまで突き止めた。九州説の深刻な欠点は、御井周辺にある邪馬台国の具体的位置を突き止められていないことだけ。
あと全て謎は解けた。少なくとも深刻な矛盾はゼロ。何も無い。

 

600名前:名無しさん@1周年ID:
こっちだったごめん

ここまでのまとめ 

1. 畿内説は完全に否定され切った。文献的にも考古学的にも可能性はない。ゼロ。
例えば>>50こんなもの一発で反論出来ず大破轟沈するようなシロモノ。ただの寝言。ネタ。

2. 近畿パーの目的は、議論を誤魔化しケムに巻くこと。
だから根拠無しの妄想でもお構い無しww

3. 他のパーは面倒くさいから省略。

4. 九州説は、卑弥呼の墓が祇園山古墳であることまで突き止めた。九州説の深刻な欠点は、御井周辺にある邪馬台国の具体的位置を突き止められていないことだけ。
あと全て謎は解けた。少なくとも深刻な矛盾はゼロ。何も無い。

 

808名前:名無しさん@1周年ID:
ここまでのまとめ   

1. 畿内説は完全に否定され切った。文献的にも考古学的にも可能性はない。ゼロ。
例えば>>50こんなもの一発で反論出来ず大破轟沈するようなシロモノ。ただの寝言。ネタ。

2. 近畿パーの目的は、議論を誤魔化しケムに巻くこと。
だから根拠無しの妄想でもお構い無しww

3. 他のパーは面倒くさいから省略。

4. 九州説は、卑弥呼の墓が祇園山古墳であることまで突き止めた。九州説の深刻な欠点は、御井周辺にある邪馬台国の具体的位置を突き止められていないことだけ。
あと全て謎は解けた。少なくとも深刻な矛盾はゼロ。何も無い。

 

60名前:名無しさん@1周年ID:
邪馬台国の時代って、今日みたいなクソ暑い日は
どうしてたんだろうな?
エアコンもないし。
冷たいビールもないし。
プールでもあったのか?
海水浴でもしてたのか?
なんか涼しくなるアイテムでも持ってたのか?
案外、そーゆーくだらねえ疑問から紐が解ける事もある。

邪馬台国はどこだ!卑弥呼はどこに居た?

皆いきなり本命から探ろうとし過ぎっしょ。
功を焦る気持ちは分かるが。

61名前:名無しさん@1周年ID:
>>60
そんなに焦るなよ近畿パーww
65名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)18:37:44.67ID:w7LlOZV60
>>60
堀とかはあったみたいだから堀や川にどぶーんじゃないか、あるいは水浴びか
83名前:名無しさん@1周年ID:
近畿パーってもう敗北確定してて、
使える武器が必殺自己紹介ビームとか
ただボケかまして許して貰おうとか
寒いシャレ言うとか
ただ単なるウソつくとか
ただ低脳丸出しで勝ち誇るとか

おいおい華麗な攻撃ばっかだな
流石近畿パー

148名前:名無しさん@1周年ID:
>>83
お前はとうとう頭から生えたチン毛が
ちんこの毛と融合し始めたな
150名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)20:14:40.82ID:GNIyGBop0
>>148   順当に、マララーと化していったのだよw

というのは冗談として、大和王権は頭がチンコになったわけだ
九州系のジンム(後の神武天皇)を奉戴して、男系の軍事国家になったという意味

大和王権の変質は宗教にも及び、その変質した信仰が地方へ移植された
地方はまだまだ祭政一致の政治なので、
中央からリストラされて地方の豪華な神殿に赴任した巫女たちは、大威張りだったと思うよ

ゆえに、
 邪馬台国の実態は畿内のヤマト王権であり、その所在地は畿内を除く全域に分散していた

93名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)19:04:11.76ID:2rAuA+Hj0
九州説を信じてる人達は近畿説の人達がどんなに決定的な証拠を見つけても認めないだろうな
浮気現場で抱き合ってるところを奥さんに踏み込まれても俺は浮気をしていないと言い張る馬鹿旦那のように
102名前:名無しさん@1周年ID:
>>93
近畿説の決定的な証拠?
それ何???
111名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)19:27:02.83ID:cxbssZ1W0
>>93
邪馬台国スレによくいる宮崎説のやつがそんな感じだった
学者の論文を根拠として提示しても、「根拠にならない」と30秒で即レスしてきた
どういう理由かと聞くと、「関係ないから」とまた即レス

最初から読むつもりもないし、真っ正面から議論する気もないんだと分かったよ

117名前:名無しさん@1周年ID:
>>111
北部九州説が主流で宮崎説は畿内説なみにおかしな奴しかいないからな。
133名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)19:45:43.78ID:eDqMm2lF0
>>111
なんの論文かによるが、実際根拠にならない論文ってあるよな
96名前:名無しさん@1周年ID:
邪馬台国と大和国って偶然にしては名前が似すぎてるもんな
105名前:名無しさん@1周年ID:
>>96
似てるとかじゃなくて
ヤマトなんだよ。
つまり奈良県なの。
224名前:名無しさん@1周年ID:
>>96
似てるんじゃ無くてパクったんだよ。
新唐書に倭人がそう言ったって書いてあるだろw
229名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)22:00:34.44ID:E93tnLP20
>>224
そう、
その方が対大陸的には都合がよかった
236名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)22:04:20.06ID:RWpkhh6P0
>>96
「ヤマト」は日本中に有るありふれた地名だぞ
241名前:名無しさん@1周年ID:
>>236
山門のことな。
近畿が神武を招いて頭に据えたとき名前もパクったわけね。
97名前:名無しさん@1周年ID:
①3世紀に邪馬台国が九州に在り、それが東征して4世紀に大和朝廷になった
②3世紀に邪馬台国が九州に在り、それが大和朝廷に3~4世紀に征服された
③3世紀に邪馬台国が大和に在り、それが大和朝廷になった
④3世紀に邪馬台国が大和に在り、それが新興の大和朝廷に滅ぼされた

とにかくこのどれかだっちゅーの!
これと思うもの乃至はこれは絶対違うと言うのを明記してくれ
どうも④はなさそうだが・・・

110名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)19:27:00.96ID:e3X/x+Zf0
>>97
1だけはないだろ
邪馬台国が存在した年代に武力衝突の跡などの東征した痕跡がない

邪馬台国=九州ならば邪馬台国は大和朝廷に征服された
ただ紀記にそのようなことをにおわせる記述はない

邪馬台国の内部で政権交代、または有力者が勢力を伸ばして、大和朝廷に発展したくらいじゃないの?

116名前:名無しさん@1周年ID:
>>110
①と④は可能性低そう
残るは②か③・・・
295名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)23:04:18.34ID:/6fiZ0jr0
>>110
対馬国も壱岐国も征服されたのに記紀に書いてあるの?
112名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)19:28:32.87ID:eRcyCHeX0
>>97
最近の主流は3。ただ、初期は血統的に続いてるわけではなく各豪族の持ち回りではないかといわれている
123名前:名無しさん@1周年ID:
>>97
どう考えても(3)でしょ。
大和に有った邪馬台国。
そして北部九州は大和の出先機関。
倭人伝に出てくる邪馬台国に絹も鉄も有ったというのは
出先機関の北部九州の事だから辻褄も合う。
166名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)20:54:50.01ID:j/FtqKhR0
>>97
平原が方形周溝墓であることでわかるように、九州は本州勢力に服従してた
その後、倭国大乱が起こって、前方後円墳の時代に移行
282名前:名無しさん@1周年ID:
>>166
そして本州は方形周溝墓のルーツである朝鮮に服属していたのか。
わかりやすい。
132名前:名無しさん@1周年ID:
ただ邪馬台国も卑弥呼と次の次の女王なんかから考えて
大和朝廷につながるイメージは乏しいと言えなくもない

女性のシャーマニズムから男性権力者(天皇)への転換はどうなんだろうか・・・

135名前:名無しさん@1周年ID:
>>132
邪馬台国と大和朝廷は別物って考えるのが自然
いっしょたくにするからいろいろ不自然になる
139名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)19:54:04.99ID:eRcyCHeX0
>>132
卑弥呼やトヨは斎王の原点では無いかとも言われている
この時代は大王より斎王の方が力が強かったのかもしれない
142名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)19:58:51.22ID:GNIyGBop0
>>139
強すぎる宗教官僚らを、首都の外の神殿に追い出すのが、
ジンムら九州系の王によるリストラだったのでは?
豪華なハコモノを建てますから、そっちに行ってください・・・・と、敬して遠ざける政策

実際、畿内の外では祭政一致がまだまだ続いたのだから、
ヤマトの宗教官僚(巫女)たちは、喜んで従ったと思う

ゆえに、邪馬台国は畿内の外にあると思われ
纏向遺跡は国営の常設神殿として、最初のテストケースであり、
その政治的成功を受けて、多数の神殿が地方の交通の要衝に建てられたと考えられる

143名前:名無しさん@1周年ID:
>>139
ヤマトの斎王は戦乱のすえに擁立されるような性格のものではないよ
137名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)19:52:01.97ID:GNIyGBop0
そもそも、ヤマタイ『国』だったか?   それは大和王権の出先機関だったのでは?

ヤマトの信仰は三輪山であり、周辺地域から見えるローカル信仰だった
しかし、神武東征をきっかけに、大和の信仰は激変する

・豪華な常設神殿が、首都の外に建てられる(纏向遺跡)
・ローカルな三輪山信仰でなく、グローバルな太陽信仰(日の巫女)

九州勢の王を奉戴した大和王権は、その信仰を変質させて自己改革したんだよ
その結果、過去には無かった、豪華な神殿が建設され、政治の舞台から宗教官僚がリストラされた
ヒミコの後の世代に神武天皇のヤマト王権があるのではなく、
九州勢のジンムが大和の王となった結果、ヒミコなどの宗教官僚が地方で大きな権勢をふるった

160名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)20:42:02.14ID:KogeibhI0
>>137
日本の蓬莱山のPXで崑崙山が邪馬台あつかいのキルギス
216名前:名無しさん@1周年ID:
>>137
もし、それだったら記紀に明記するわな
ヒミコは匂わせこそすれその存在は消されてる
144名前:名無しさん@1周年ID:
男どもが戦争をやめられずにおさまりがつかないから
しょーがないしに卑弥呼が立った
斎王とはまったく別
147名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)20:06:22.29ID:GNIyGBop0
>>144
邪馬台国というか、大和王権の宗教センターは複数あったのでは?
そこれこそ交通の要衝ごとに邪馬台国が・・・・
161名前:名無しさん@1周年ID:
>>144
他の諸国が男王多数とされた時代に特に女王国と書かれたのには理由があると思うけど
それに女王が鬼道を使うとされていること。
それが土着宗教の復古なのか、中華由来の正に鬼道なのか。
そのことに女王となった理由があるんじゃないか。と思うが。
153名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)20:20:16.08ID:vCKQOH8I0
マキムク教を本気で信じてる学者なんていないだろw

思想と営業

155名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)20:24:26.69ID:GNIyGBop0
>>153 纏向は面白いと思うよ

・前触れなしに突然、巨大な神殿が建てられる
・常設の神殿という特異性
・廃止されるのも突然

これは大和王権による、宗教改革の社会実験だったのではないか?
首都(宮殿:政治センター)から離れた場所に神殿(宗教センター)を建設し、
それが信仰を統御できるか・・・・・どうやら成功したようだ

156名前:名無しさん@1周年ID:
>>155
んだね
邪馬台国とは無関係
158名前:名無しさん@1周年ID:
>>155
纏向を宗教改革ととらえる考え方は面白いな。
崇神条に祭祀関係の記事が集まってるのもそこに原因があると考えられるし。
159名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)20:37:33.13ID:DDfE69UY0
支那史書の数量が当てにならないことを勘案しても地理からいって邪馬薹国諸々は北部九州のこと
むしろ畿内派は支那史書の記述に引き摺られすぎずに大和王朝の興りをきっちり解明したほうがよい
支那史書に正当性を求めて邪馬薹国は畿内だなんて言い続けるのはみっともないよ
163名前:名無しさん@1周年ID:
>>159
まったくその通り
167名前:名無しさん@1周年ID:
>>159
まてまて
倭国の外交枢軸部が北九州なだけだよ w
倭国を方位と巨大に見せたい魏の政治的な必要があったとしても、支那史書からはそれしか見えてこない。
169名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)21:07:16.10ID:GNIyGBop0
>>167 いや、九州では兵糧が出せないので、正規軍を維持できない

美濃と尾張から兵糧米を供出できる、ヤマトの立地が良すぎるんだよ
(この程度のエリアなら、三輪山信仰でカバーできた)

186名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)21:22:51.59ID:GNIyGBop0
>>167
北九州が外交センターだったのには同意  おそらく大宰府でしょう
当然、大和王権の宗教センターであるヤマタイは、大宰府にもあったでしょうね

これは占領政策のアピールなのですから、どでかい神殿を建てて、大和の国力をアピールしたと思いますよ
ただし、神殿に隠れたヤマトの巫女に外交の権限はありません
ですから、今のセンスでいえば、邪馬台国は国じゃないんです

ついでに言えば、神殿ってのは徴税拠点ですね(穀物倉庫も兼ねる)
巨大な神殿というのは、ローカルな祭政一致ではなく、広域経済圏を意味します

187名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)21:23:38.18ID:j/FtqKhR0
>>186
外交出先機関は平原
191名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)21:25:40.33ID:DDfE69UY0
>>167
それは否定していないように書いたつもりだ
168名前:名無しさん@1周年ID:
記紀・風土記をみるに、女王国あるいは男女共立?と思われる国が度々みられる。
モチロン筑紫国風土記にもみられる。
記紀・風土記は年代設定には慎重にならざるを得ないが、
魏志倭人伝に特に女王国が記されていることについて、当時の筑紫は政教分離が他の地域より進んでいたのだろうか。
当時の魏の使にとって、卑弥呼を特筆すべき理由はなんなのか。何故、筑紫の戦乱が女王によって治まったのか。
172名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)21:12:07.92ID:GNIyGBop0
>>168
嫌な光景ではあるが、日の巫女によって戦乱が収まったというのは、大和王権の占領下に入ったのでは・・・
これがイデオロギー宣伝であるとすれば、占領してくれてありがとう♪、ぐらい歌うでしょ

なればこそ、新しい信仰は『大きな神殿に隠れた巫女』による『抽象的な太陽信仰』である必要があった

190名前:名無しさん@1周年ID:
>>172
とすると、卑弥呼の墓は従来どうりの墓制に添わなくてはならない。
しかし、卑弥呼が宗教改革者であるならば箸墓がクローズアップされる。
最近箸墓の年代が前後してきているようだが・・・
197名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)21:35:18.94ID:GNIyGBop0
>>190
ヒミコの墓が箸墓とは限らないと思う
巫女とは高級官僚であり、西日本各地に宗教センターが建設された時代とあっては、
単身赴任の連続だったかもしれない (偉い巫女が首都に住むのは、大王たちに嫌われもした)
209名前:名無しさん@1周年ID:
>>197
それだと卑弥呼には男性が一人(兄弟)付き添って云々の記述だが、
その男性は単に祭祀に伴う審神者であるということになるな。
政治とは関係なくなってしまう。
214名前:名無しさん@1周年ID:
>>209 そういうことです

巫女が外交交渉をしないよう、ヤマトから派遣されたお目付け役なのでは?
ヤマトは広域国家であり、宗教を排除した世俗政府なのですから、
祭政一致で、巫女に越権行為をされては困るのです

215名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)21:51:03.97ID:5NhK61ak0
>>168
古墳時代の前期の日本は双系制社会といって、男が跡継ぎになるか、女が跡継ぎになるか決まってなくて
どっちもあり得る社会だったと言われている

古墳の発掘で、歯の形を分析してわかったことで、例えば
・男と女が一緒に埋葬されてても、それは夫婦ではなくキョウダイ
・初葬は男の場合と女の場合が半々
・親子で埋葬されてる場合も、父と子もあるし、母と子もある
・嫁入りした妻、あるいは婿入りした夫が死んだら実家の墓に埋葬
・夫婦が一緒に埋葬されるようになるのは、中期後半あたりかららしい

魏志倭人伝で邪馬台国の王あるいは倭国王が、男→女→男→女と移って行くのと整合性があるから
それなりに信憑性ある説だと思う

170名前:オレンジ・エアID:
いまどき畿内説を信じているのは知恵遅れかなにかだろ
176名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)21:15:08.61ID:j/FtqKhR0
>>170
どちらもアホだが、九州説を信じてる方が高レベルのアホだと思う
180名前:オレンジ・エアID:
>>176
君の意見を聞かせてもらおうか
182名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)21:19:21.75ID:j/FtqKhR0
>>180
志村ーーー、上、上
173名前:オレンジ・エアID:
卑弥呼の鬼道は五斗米道
184名前:名無しさん@1周年ID:
>>173

中華由来だとすると、それを実証する祭祀遺跡がなければならない。

202名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)21:41:11.49ID:KogeibhI0
>>173
まーそうやろうね
624名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)11:08:25.80ID:SPBXNldt0
>>202
あれも鬼道の一種にすぎんだろ
238名前:名無しさん@1周年ID:
>>173
ああそれだな。モロね。
183名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)21:20:15.01ID:BLcOM2aw0
畿内説=纏向だけど

九州説は色々分かれてるよね

185名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)21:22:15.09ID:j/FtqKhR0
>>183
巻向っつーか大和は急造の新興都市であって、邪馬台国というのはあり得ない
195名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)21:31:53.39ID:GNIyGBop0
>>185  そう思います

ヤマトの宗教改革に伴う、一代限りの社会実験   それが纏向遺跡
 ・突然の神殿建設
 ・抽象的な教義
 ・常設の神殿
 ・突然の解体

纏向の社会実験は成功に終わり、類似の宗教センターが、より遠隔地に造られたと思われます
もしかしたら、大宰府にも作られ、大和のグローバル信仰を広めたかも

 ・大型の神殿
 ・抽象的な教義(日の巫女)
 ・神殿に隠れた巫女
 ・徴税拠点(穀物倉庫)

纏向の成功は、日本各地にヤマタイを生んだのでしょう
そして大宰府は外国使節にヤマトの国力を誇示する最優先拠点でした

200名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)21:40:07.32ID:j/FtqKhR0
>>195
倭国大乱後の和合の象徴として、奴国と狗奴国が共同作業で新たな都を作ったんだよ
だから大和
208名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)21:44:48.82ID:GNIyGBop0
>>200
戦乱終結後の大宰府に、大規模インフラ工事があったとすれば、どこを掘れば情報が出るかなぁ・・・・
188名前:オレンジ・エアID:
>>183
邪馬台国は筑紫平野、所都は八女
198名前:オレンジ・エアID:
巻向政権は呉の復興
204名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)21:42:04.99ID:GNIyGBop0
>>198
何も持って巻向政権とするや?
纏向遺跡は短期間の繁栄の後、出来た時と同じく突然に解体されている
この間の政治的な変化を語る必要があると思われ

ヒミコの神殿 → ヤマトの北九州占領  という時系列ではなく
ヤマトの北九州占領 → ヒミコの神殿  としたほうが、政治的にすっきりする

207名前:オレンジ・エアID:
>>204
巻向は呉の水軍の軍事拠点であった
199名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)21:39:01.12ID:Gaq9pCe70
論争してる暇あったら穴掘って証拠見つけてこい
203名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)21:41:53.93ID:RWpkhh6P0
>>199
宮内庁が邪魔しなきゃ、どんどん掘ってやるよ
211名前:名無しさん@1周年ID:
>>203
いや・・・だから宮内庁は邪魔してないって。掘ってもいいよって、言ってるぞ。
217名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)21:53:16.38ID:RWpkhh6P0
>>211
建前と本音は別よ
明らかに宮内庁が制限してるじゃん
233名前:名無しさん@1周年ID:
>>217
陵墓及び陵墓参考地は宗教施設だからな。単なる史跡じゃない。
だから陵墓としての静謐と尊厳を侵さないように注意するなら協力するといってる。
キチンとした団体がチャンと申請すれば許可は下りるということだ。
現役の宗教施設だからハードルが他の史跡より高いのは確かだがな。
掘った後の復元も考慮せんといかんしな。
240名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)22:06:47.33ID:RWpkhh6P0
>>233
墳墓かはたまた宗教施設かどうかは、掘ってみなきゃ判らん
宮内庁の詭弁はもう沢山だ
283名前:名無しさん@1周年ID:
>>240
いや。だから、神道の宗教施設なんだって。
多分、大学の考古学チームでもつくって、申請すればとおるんじゃないか?
230名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)22:01:12.61ID:VRoXtB5Q0
>>199
真面目な話、邪馬台国があったところはスーパーか駐車場にでもなってると思う
昭和時代は土地開発中に土器やヒスイの宝玉が見つかると
無かったことにしてそのまま工事を続行することが多かったからね
明治の鉄道建設も似たような感じだし
312名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)00:29:10.66ID:Zn/l2jQL0
>>199
穴掘ってる暇あったら科学哲学でも勉強しる
239名前:名無しさん@1周年ID:
畿内のこととか魏志倭人伝にひとことたりとも出てきませんので
243名前:名無しさん@1周年ID:
>>239
そうだね。
隋書には出て来るよ。秦王国が近畿日本のこと。
264名前:オレンジ・エアID:
>>243
秦王国は大分県
248名前:名無しさん@1周年ID:
邪馬台国は無かった
255名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)22:16:18.82ID:GNIyGBop0
>>248
独立国としての邪馬台国は、最初から存在しなかったのでしょう
いわゆる邪馬台国の繁栄は、経済大国ヤマトの強力な後押しがあったからです
(九州を含め、どこの地元勢力にも、ああいう神殿は作れません  そもそも、ローカル信仰だったはず)

しかし、大宰府は瀬戸内海の安全保障によって繁栄します
軍事大国ヤマトの保護下で、西日本はゆっくりと均質化していったのでしょう
その結果、ヤマトが建設した巨大な神殿は、役割を終えていったのです

257名前:名無しさん@1周年ID:
>>255
それより涙拭いてうんこでも食えよ近畿パーw
251名前:名無しさん@1周年ID:
>正規軍を運用できる大国が九州にあったという、史実に反した願いがあるからですよ
無いですよ?
単純に魏志倭人伝には九州の話しか出てこなよねってだけで
261名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)22:21:22.45ID:GNIyGBop0
>>251
まぁそんなもんです  穀物生産が『無かった』とは言い切れませんからね;
古墳時代の輸送は、基本的に人力です    兵士は自分の食糧を担いで歩きました
牛馬による輸送は道路整備が不十分だったし、車輪が有ったかどうかも怪しい・・・

そういう時代なので、当時の谷戸における稲作が、兵士の行動範囲を決めていました
九州では、どう頑張っても兵士の大量動員が出来ないのです
したがって、正規軍を持てる国が存在しませんでした
ゆえに、九州の内乱は長く激しく続いたのです

273名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)22:31:39.54ID:5NhK61ak0
>>251
魏志倭人伝で九州のことと場所を推測できる記述は伊都国についてだろ?
伊都国は邪馬台国ではない
しかも倭人一般の風習風土であって、邪馬台国のことではなく、倭国のどこかのことに過ぎない

肝心要の一番大事な邪馬台国そのものの記述では、7万戸の大国であること、
巨大墳墓を造っていること、一大率が刺史に例えられてることなどから
九州でないと強く示唆している
九州は巨大墳墓を造る文化圏でなかったんだから、ありえないんだよ

331名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)01:00:53.11ID:Zn/l2jQL0
>>273
当時の魏から見た主観的相対的には大きな塚だっただろうが、既に巨大墳墓を知っている我々から見ると巨大墳墓の国ではないだろう

>>274
既に漢名を自称してたかも

259名前:名無しさん@1周年ID:
良く伊都国が邪馬台国だの言えるよな。
恥って言葉知らないのかねしかし。
267名前:名無しさん@1周年ID:
>>259
伊都国が邪馬台国ではなく
伊都国が倭の首都です
倭は朝鮮半島南部と北部九州にあり
九州側が邪馬台国、朝鮮半島側が投馬国。
269名前:名無しさん@1周年ID:
>>267
それなら水行する前に倭国に到着してることになるわw
魏志倭人伝を全否定ですね
329名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)00:58:23.38ID:Zn/l2jQL0
>>269
究極の放射説

>>270
寄港せず一気は無理

270名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)22:29:26.74ID:GNIyGBop0
>>267
問題は、北九州や朝鮮の諸地域が、既に大和王権の支配下にあったということですね
九州には軍事国家を可能とする穀倉地帯が無く、
瀬戸内海航路が開通してしまえば、ヤマトの進撃を阻む大国が存在しなかったのです
329名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)00:58:23.38ID:Zn/l2jQL0
>>269
究極の放射説

>>270
寄港せず一気は無理

373名前:名無しさん@1周年ID:
>>267
よくそんなウソをしゃーしゃーと言えるな。
伊都国パー
383名前:名無しさん@1周年ID:
>>373
魏志倭人伝で重要なのは邪馬台国ではなく伊都国
伊都国に付いての説明は繰り返し行われているのに比べて邪馬台国は簡単な説明が1回だけ。
271名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)22:29:42.18ID:3kWSIo6N0
伊都国は変な字を充てる適当な字が無かったの?
倭の五王もちゃんとした字なのになんで卑弥呼なんだ?
272名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)22:31:25.42ID:GNIyGBop0
>>271
日の巫女だったからでは?  少なくともヒミコは、外交権のある国王ではない
274名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)22:33:11.36ID:3kWSIo6N0
>>272
倭の五王には何で変な字にしなかったの?
277名前:名無しさん@1周年ID:
>>274
珍さん…
279名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)22:37:39.45ID:3kWSIo6N0
>>277
珍さんは変なのか?
中国にいっぱいいるイメージ
280名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)22:38:36.51ID:GNIyGBop0
>>279
そういえば中国の珍さん、どういう家系なんだ?????
278名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)22:37:05.02ID:GNIyGBop0
>>274
一応、王として叙任したのだから、公式な名前は平凡になると思う
ヒミコは王じゃないから、日本の現地表記を漢字に当てはめたのでは?
284名前:名無しさん@1周年ID:
>>278
単に倭の五王の時代の日本には
中国文化理解してる奴がいて、対中国外交用に中国っぽい名前名乗らせただけじゃないの
331名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)01:00:53.11ID:Zn/l2jQL0
>>273
当時の魏から見た主観的相対的には大きな塚だっただろうが、既に巨大墳墓を知っている我々から見ると巨大墳墓の国ではないだろう

>>274
既に漢名を自称してたかも

281名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)22:39:21.87ID:BpDL459v0
中国の日本についての記述を見ると九州説など全く存在していないのが分かる
簡単に書くとこうなる

邪馬台国は台与の後にも滅んで等おらず男性王が立ち継続して晋、宋、斉、梁、隋と使節を送り続けている(梁書、北史)

隋の時に使節を送ってきたアメノタリシヒコ=用明天皇と断定(新唐書)

アメノタリシヒコは筑紫城から大和州に都を移したと記載される神武天皇の後なので都は大和(新唐書)

アメノタリシヒコの都は邪馬台国と同じなので邪馬台国は大和(隋書、新唐書)

アメノタリシヒコは一大卒を各地に派遣して地方を支配している(魏志、旧唐書)
一大卒のいる場所=邪馬台国の被支配地

アメノタリシヒコ(用明天皇)はその後の桓武天皇などにも系譜が連続していると認識されている(旧唐書、新唐書)
白村江の戦いの当事者である唐の記録でこう記載されている
このため、王朝交代など起こってないと確定
倭から日本への変化は定説通り壬申の乱であることが確定

宋の太宗が「日本は小国だが王も貴族も古代から同じ系統が維持されていて素晴らしい」と称賛(宋史)

中国は邪馬台国は大和でそれが継続していると当然のことのように了解している

285名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)22:44:14.35ID:GNIyGBop0
>>281 まとめると分かりやすいね

ヤマト王権に占領された豪族たちも、自主判断で朝貢してたかもね
むろん反逆すれすれである;
ヒミコもヤマト王権の派遣官僚だったと思うので、邪馬台国名義での朝貢はヤバいよね

でも、そうやって地元勢力と迎合しないと立ち行かない、積み木細工のような占領だったかもしれない

290名前:名無しさん@1周年ID:
>>281
まず一番最初から何の根拠も無い決め付けなのが…
291名前:名無しさん@1周年ID:
>>281
新唐書の編集目的は?
知らないの?

土器しか出てこないのに王朝とか変と思わないの?
日本各地の王権否定して「ヤマト王権」って呪文を譫言みたいに
繰り返すだけで学問と言ってるアホのおっさん達でしょw

292名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)22:55:28.38ID:GNIyGBop0
>>291
日本各地の王権が滅んでゆく、その歴史が面白いのだ
297名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)23:06:18.36ID:KogeibhI0
>>281
安東国については唖然としてたやうな?
286名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)22:45:33.94ID:3kWSIo6N0
何で伊都国なんだろうな
猪兎国とかにできなかったのか?
289名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)22:48:19.36ID:GNIyGBop0
>>286  あんまり変な名前にはできないと思うよ  同じ名前がM-1ぐらんぷりに出ていたら困るだろ?
336名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)01:07:04.05ID:Zn/l2jQL0
>>275
都支国も好古都国もある

>>286
ちょとマズい

303名前:名無しさん@1周年2019/08/01(木)23:53:58.14ID:eRcyCHeX0
卑弥呼の鬼道が五斗米道という説は興味深いな
まぁ、鏡はもっと前の時代に北部九州で珍重されていたようだが中国の影響なのは明白
305名前:名無しさん@1周年ID:
>>303
卑弥呼の鬼道が五斗米道とするのは非常に創作心をそそられるが、それならば卑弥呼の墓、及びその周辺には
五斗米道の祭祀の後が残されていなければならない。
307名前:名無しさん@1周年ID:
>>303
卑弥呼の鬼道が中華世界の鬼道と同じモノ、あるいはその影響を受けたものならばそういう祭祀遺跡がのこされていなければならないのだが、
ワシは中華世界の鬼道に関してあまり知らないのだ。そのあたり知識のある人がいればいいのだが・・・。
311名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)00:28:06.33ID:/uGfsawE0
>>307
あんまり気にしなくてよさそうというか五斗米道のマークって米とかそういう系の放射状の奴とかと聞いた
317名前:名無しさん@1周年ID:
>>311
マークも重要だが、その祭祀の後が重要なのだ。
320名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)00:42:10.83ID:yrx5Rl9d0
>>307
卑弥呼はともかく、珍敷塚古墳の「蛙と月」の壁画は中国の伝承そのまま
323名前:名無しさん@1周年ID:
>>320
ありがとう。しらべてみるよ
304名前:名無しさん@1周年ID:
祇園山古墳 を卑弥呼の墓と仮定した場合、大きさとしては魏志倭人伝の記述に添う。径100歩という記述と
カタチに疑問が残るがほぼそのくらいの大きさだろう。被葬者の数と墓制も矛盾は無いように思う。
対して、纏向遺跡については当時、大きな宗教的エポックがあったことは確かなようだ。これは発掘結果や、関連の深い、
記紀の記述で垣間見られる。
記紀の垂仁・崇神条の記述から垣間見られるのが馬韓地域・出雲から機内・東海地域との文化的、政治的関係が深いと洞察されることだ。
だが、=馬韓系信仰形態かというと、疑問ものこる。それは播磨の国風土記にのこるアメノヒボコとアシハラノシコオとの争いの伝承だ。
それと、アメノヒホコを祖とする氏族がオキナガ氏とされていること。
オキナガ氏からは周知の通り神功皇后と関連付けられるが、後世に至っては別氏族とされている点だ。
309名前:名無しさん@1周年ID:
>>304
そして、崇神・垂仁の子孫とされる景行帝では、ヤマトタケルの筑紫遠征と四道将軍が関連付けされている。
後の仲哀帝でも筑紫遠征が語られているのだが、これは狗奴国とヤマタイ国、あるいは倭の大乱と連想が重なるのは偶然であろうか。
314名前:名無しさん@1周年ID:
>>309
また、祇園山古墳 の被葬者が景行・仲哀帝の時代に記載される時代背景と重なる場合、祇園山古墳 の被葬者が、卑弥呼以前の筑紫地域に存在した巫女の墳墓と比定することも
可能だということだ。
合わせて、記紀における皇統の比定される年代には多くの異論があることを言っておく。
319名前:名無しさん@1周年ID:
>>309
念のため、記紀・風土記の仲哀帝の筑紫遠征の記載には伊都国と思われる国が出てくることを書いておく。
310名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)00:26:26.65ID:rgElZJ9I0
【大陸から畿内へ】【畿内から大陸へ】のルートは、

一番最初が、奈良のアマテラスが大国主から出雲を国譲りしてもらい

魏(220年 – 265年)の時代  
対馬國 - 一大国(隠岐)-末廬国(松江)-伊都国(出雲)-奴国(因幡)-不弥国(摂津住吉)-投馬国(紀伊)を経て邪馬壱國(奈良)

九州狗奴国の第32代目国王「ウガヤフキアエズ」の第4皇子の神武が
自分が王になれる国を求めて狗奴国の軍隊と共に、九州から吉備に滞在して畿内に入り

南朝梁(502年から557年)の時代
対馬國 - 一支国(壱岐)-末廬国(松江)-伊都国(出雲)-奴国(因幡)-不弥国(摂津住吉)-投馬国(紀伊)を経て邪馬壱國(奈良)

ヤマトタケルが西征して

隋(581年 – 618年)の時代
百済-竹嶋-耽羅国-都斯麻国-一支国(壱岐)-竹斯国(筑紫)-秦王国-十余国を経て難波津-奈良

316名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)00:32:04.05ID:rgElZJ9I0
後漢(25年 - 220年)から57年に任じられた、九州の「漢委奴国王」とは違い

邪馬台国の元である、奈良のアマテラスの国「高天原」は

大国主から出雲を国譲りして貰わなければ
独自の大陸との航路を持てなかった

>>310

327名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)00:56:05.06ID:93IvqGQ70
>>316 ちょっと気になる点がある

タカマガハラのアマテラスなんだが、あの男は富士宮出身かもしれない
いろんな神話が習合されているから、出身地は不明とした方が無難かも

359名前:名無しさん@1周年ID:
>>316
まぁ、国譲りというか、

大陸・・つまり、外洋への航路を確保するために
奈良のアマテラスが

出雲(伊都国)を、武力制圧の上
一大卒としてアマテラスの孫のニニギを置いて

出雲(伊都国)を植民地化

だよね

だもん一大卒をみんな怖がるわけだわ

368名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)04:10:35.15ID:rgElZJ9I0
>>359 >>361
出雲王権にも、

スサノオが櫛名田比売命と結婚した根之堅洲国にある須賀(すが)の地(中国・山陰地方にある島根県雲南市)

「大国主」の最初の結婚相手・・つまり正室「八上比売」の母国の因幡(現在の島根県安来市、鳥取県米子市、大山町)

大国主が、スサノオの娘の須勢理毘売命(スセリビメ)と結婚して造った出雲(現在の島根県出雲市付近)

など複数の国を従えていて、

アマテラスはそれらを丸っと、武力制圧の末に植民地にしたんだ

339名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)01:13:28.02ID:Zn/l2jQL0
普通にユタの一種じゃね
340名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)01:15:13.81ID:93IvqGQ70
>>339  沖縄のユタに、太陽信仰って含まれてたっけ?
343名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)01:18:22.19ID:Zn/l2jQL0
>>340
太陽信仰なんてどこにも書いてないと思ったが
341名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)01:15:49.86ID:175/ZuYj0
奴国を認めると1万年前でも正当化する中華理論からすると
九州は中国になるから奴国の存在を教育しない、で間違いないと思うが
歴史と政治学は別物にしないと

紀元前後の九州は今の中国であってもなんら問題はない
所詮2000年前の話だ、史実を伝えない方がはるかに怖い

351名前:名無しさん@1周年ID:
>>341
奴国の時代の九州を中華の一部と考えるのは危険だな。中華の歴史のなかで金印・銀因を下賜された国が
中華の一部かというとそういいきれない。当時は柵封国という位置付け。
柵封国とは中華皇帝を世界の中心。所謂天孫?として、その世界観の一員として交易を許され、国を任される存在。
近年は中共の解釈によって、中華世界の一員=領土の一部という位置付けにされている。
353名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)01:51:33.75ID:175/ZuYj0
>>351
歴史を考察するに「こうこう考えるのは危険だな」という解釈がナンセンス

ただ粛々と事実を見ればいい
漢委奴国王をどう解釈するかは自由

俺は歴史で喰ってるわけでないからいいけど
こう考えるのは危険とか言われると歴史学者は何も言えなくなる

366名前:名無しさん@1周年ID:
>>341
ちょっとトンデモ妄想すぎて理解不能
色々一から勉強しなおした方がいいと思うよ
348名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)01:26:50.21ID:WP/RI5qY0
この文章自体邪馬台国が主役じゃねえんだって
これは中国史に残ってる伊都国の記録であって、邪馬台国がどうとかアホらしい
352名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)01:37:10.32ID:yrx5Rl9d0
>>348
使者は伊都国までしか行ってないと昔から言われてたな
九州だけ詳しくてその先がぶっ飛んでるし
355名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)02:02:38.77ID:Zn/l2jQL0
>>348
「何を言ってるんだ狗邪韓国の記録だぞ」
「いやいや、出雲の記録なのさ」
「アホンダラア吉備国に決まっとるわ」
392名前:名無しさん@1周年ID:
>>348
そうですよねw
邪馬台国論争とか言ってる時点で本質を見誤ってる。
440名前:名無しさん@1周年ID:
>>348
日本で出土した漢委奴国王印も「かんのわのなのこくおう」なんて読んじゃってるけど
「かんのいとこくおう」じゃないかって話だよな
古の偉大な漢に朝貢してきた伊都国がまた朝貢してきたなんて
司馬懿を顕彰するのにとても都合の良い話だから十分にありえる話だ
448名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)08:28:02.34ID:LgSGNAN30
>>440
委奴国=イトコク=伊都国=北部九州沿岸という説もある。
553名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:50:03.93ID:BPchbS210
>>440
委奴をイトと読むのは玄宗皇帝や楊貴妃が恋愛した唐代長安音なので
時代錯誤も甚だしい

もしイトと読むのなら一大(支)国の副官「卑奴母離」は
ヒトモリと読まなければ辻妻が会わない。

はい論破

360名前:名無しさん@1周年ID:
文字も無く、戸籍制度も無い
住民基本台帳もないのに
何万戸とか、どうやって集計したのだろう
362名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)02:45:34.92ID:93IvqGQ70
>>360
一応、戸とは兵士を出征させる義務のある家なので、
その辺は数字があったと思いますよ

戸数=動員可能兵力

365名前:名無しさん@1周年ID:
>>362
そんな制度が当時の日本にすでに成立していたとは驚きだ
具体的なソースよろしく
364名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)02:58:25.77ID:IvT7CNrI0
ど う で も い い

もっと重要な問題が日本は山積みだ
それらが片付いてから歴史ファンタジーで遊ぼうぜ
遠い過去の栄光に縋るのはシナ人や朝鮮人みたいでみっともないぜ?

367名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)03:04:15.13ID:93IvqGQ70
>>364
歴史と侮るなかれ! 後進的な宗教社会で、世俗政府を確立させる方法とか、
今の中東へ介入するにあたって必要な、歴史の教訓は古墳時代に集中しているぞ
379名前:名無しさん@1周年ID:
>>367
お前が後進的なのに?
388名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)06:05:09.03ID:rgElZJ9I0
ここまでのまとめ

204年に、楽浪郡の南に帯方郡を設置したのち、後漢に服属し、
左将軍の官位を授けられた公孫氏は
後漢が崩壊し魏・呉・蜀の三国に分立し、互いに覇を競うようになってから

公三国一強盛にして自領と隣接する魏に臣従を装いながら
一方では呉と同盟工作を行うなど密かに独立を謀り
倭の勢力が中国本土へ朝貢する道を遮っていた

それに協力していたのが

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、ずっと倭の国王として君臨し
大陸との交易を独占していた北九州

「邪馬台国なんて新参者」が、「魏に朝貢するため」に、
北九州に伊都国なんて作れないし、北九州の港なんか使えません

つまり、九州説は妄想

396名前:名無しさん@1周年ID:
>>388
涙拭けよまとめられたパーwww
398名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)06:27:57.80ID:rgElZJ9I0
>>396
ろくに反論もできなくなったか、かわいそうに
399名前:名無しさん@1周年ID:
>>398
涙拭けよ反論出来ない伊都国パーww
400名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)06:29:34.72ID:rgElZJ9I0
>>399
もはやファビョっちゃって意味不明だな m9(^Д^)プギャー
402名前:名無しさん@1周年ID:
壱岐対馬の外寸を距離とすると里数での各行程を合計すると12000里に達し、女王国である伊都国、奴国に既に到着している
日数の行程も帯方郡から伊都国までのもので、邪馬台国とは卑弥呼の居る伊都国の都する所。
411名前:名無しさん@1周年ID:
>>402
女王国ってのは卑弥呼を代表に据えた国々の別称のはずだが、伊都国と奴国から始まるのか?

狗邪韓国、対海国、一大国、末盧国は女王国には含まれないのか?

414名前:名無しさん@1周年ID:
>>411
女王国とは伊都国と奴国のことで
女王国卑弥呼を共立して設立した邪馬台国の中心メンバーの国
狗邪韓国、対海国、一大国、末盧国は女王国には含まれない
これらの国は女王の勢力圏。
417名前:名無しさん@1周年ID:
>>414
自女王國以北~で、大量の国名が列挙されてるが、伊都国と奴国が女王国なら全部玄界灘に水没するから違うくね?
420名前:名無しさん@1周年ID:
>>417
自女王國以北は狗邪韓国(投馬国)、対馬国、一大国、末盧国だ
傍国20か国は女王国よりも南(北部九州)だよ。
421名前:名無しさん@1周年ID:
>>420
投馬国が狗邪韓国なのか?
422名前:名無しさん@1周年ID:
>>421
投馬国は朝鮮半島南部にあり、その中心国が狗邪韓国
邪馬台国は北部九州にあり、その中心国が女王国(伊都国、奴国)
423名前:名無しさん@1周年ID:
>>422
それってソースある?
朝鮮半島の南の端に狗邪韓国は把握してるが、投馬国ってどういうこと??
投馬国というのは、複数の国を有する大きな国名?
425名前:名無しさん@1周年ID:
>>423
投馬国・・・朝鮮半島南部
邪馬台国・・・北部九州
狗奴国・・・南部九州

女王国・・・伊都国、奴国・・・邪馬台国の首都圏
倭国・・・邪馬台国+投馬国?
倭・・・日本列島

426名前:名無しさん@1周年ID:
>>425
邪馬台国と投馬国に戸数と役人の名前が書いてあるが?
429名前:名無しさん@1周年ID:
>>426
総戸数と邪馬台国と投馬国の役人でしょ
国家公務員もいるし地方公務員もいる
>>428
邪馬台国は女王の都とは書いてない
邪馬台国は女王の都があるところ
邪馬台国に女王の都の伊都国がある。
442名前:名無しさん@1周年ID:
>>429
書き方が他の国の紹介と差がない。
女王国は住民の総数も、官も副官も書いてない。

南至邪馬壹國 女王之所都
邪馬台国が女王の都で正しい。

倭国、女王国が地域の総称
他は個別の国

451名前:名無しさん@1周年ID:
>>442
明らかな差があるよ、里じゃなくて日だし、有じゃなくて可
女王国は伊都国、奴国の便宜上の呼び名だから総数も、官も副官もない

南至邪馬壹國 女王之所都
これは邪馬台国が女王の都ではなく、女王の都の所だから
邪馬壹國=都ではなく、邪馬壹國⊃都です。

557名前:名無しさん@1周年ID:
>>451
隋書倭国伝でも、倭国には里数はなく日数で測ってるとあるから、里数か日数かは大きな問題ではないよ。
527名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:18:46.39ID:Vs/stn960
>>429
北九州でも畿内でも採れるが?
528名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:19:22.13ID:Vs/stn960
>>527は>>526です
541名前:名無しさん@1周年ID:
>>528
人口35万人の食料生産として生野菜を冬でも取れるどころってどこw
601名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)10:40:43.75ID:Vs/stn960
>>541
日本は冬野菜多いよ
現在とは種類が違うだろうが今でも大根や白菜、玉ねぎ、ホウレン草などの葉物の旬は冬だ

魏があった華北は寒冷地で冬に野菜がとれないから、日本の冬でも充分温暖なんだよ

418名前:名無しさん@1周年ID:
>>414
すげーな

【まだ邪馬台国が存在していた時に書かれた】『魏志』倭人伝(280年完成)

全否定かよw

405名前:名無しさん@1周年ID:
必殺自己紹介ビーム攻撃強力だもんな。
(誉めてないよ。誉めてるとか本気で思うから断っとくけどw)
407名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)06:37:49.33ID:rgElZJ9I0
>>405
ほれ、反論してミソ m9(^Д^)プギャー

九州は大陸に近いが故に、とても古くから渡来人が訪れており

大陸の役人は、筑紫(九州福岡)に上陸したあと、どの方角に、どのくらいいけば、どんな国があるかを熟知している

57年に、後漢(25年 - 220年)から任じられた「漢委奴国王」の都にも、
200年近い年月の間に、大陸からの使者が、何度も何度も訪れたであろう

その「漢委奴国王」にかわり、邪馬台国なんて国が「親魏倭王」を任じられた・・なんて
倭と交易をしていた、大陸の貿易商、大陸から倭に来ていた貿易商、にとってはビックニュースだ

「漢委奴国王」にかわり交易をしてもらおうと「親魏倭王」に列をなして参上したはずだ

つまり、みーーんな邪馬台国がどこにあるかわかっている

なのに

【まだ邪馬台国が存在していた】『魏志』倭人伝(280年完成)に書かれている行程で、筑紫(九州福岡)に上陸したあと、たどり着くのは海の上

ということが、九州説を全否定している

437名前:名無しさん@1周年ID:
>>407
「親魏倭王」に大陸商人が列を成して参上した形跡のない纏向はやっぱり女王の都じゃないね。纏向は東日本の土器くらいしか見つからないもんね。
438名前:名無しさん@1周年ID:
>>437
こらこらウソを書くな
439名前:名無しさん@1周年ID:
>>438
あと東日本の刀があったな。
ごめんごめん
443名前:名無しさん@1周年ID:
>>437
東日本じゃ無くて西日本だよ。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%BA%92%E5%90%91%E9%81%BA%E8%B7%A1

それからこの表には載って無いが九州のも確か僅かにあったはず。

445名前:名無しさん@1周年ID:
>>443
リンク死んどるよ
484名前:名無しさん@1周年ID:
>>445
ごめんなさい。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%BA%92%E5%90%91%E9%81%BA%E8%B7%A1
wikiだけどね。
446名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)08:26:33.73ID:LgSGNAN30
>>443
そのわずかなものを、を拡大解釈しすぎなんだよ。
特に畿内説はバイアス任せの発言が多すぎる。
449名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)08:30:49.38ID:ffJ/nIuF0
>>446
バイアス任せてじゃない九州説って聞いたことないわ
447名前:名無しさん@1周年ID:
>>443
どのみち大陸の商人の痕跡はない
858名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)14:36:29.77ID:ahnjl3Ob0
>>437
そりゃあ

邪馬台国が存在していた時に書かれた『魏志』倭人伝(280年完成)

ですら、行き方があやふやなんだから

>「親魏倭王」に大陸商人が列を成して参上した形跡のない纏向
>纏向は東日本の土器くらいしか見つからないもんね

じゃねーとおかしいだろうが

バカじゃねーの m9(^Д^)プギャー

886名前:名無しさん@1周年ID:
>>858
レスの流れをよく読めよ
894名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)15:08:22.67ID:ahnjl3Ob0
>>886
おまえこそよく考えろ

東京に新幹線で始めて来た田舎者が、東京駅で東京の人間に「ディズニーランドはどっちですか?」と訪ねる

そのとき東京の人間が指を指した方角が「ディズニーランド」の方角で
そのとき東京の人間が言った距離・時間が「ディズニーランド」までの距離・時間だ

東京に新幹線で始めて来た田舎者には、あってるかどうかなんか判断できない

898名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)15:10:46.35ID:93IvqGQ70
>>894  わかるw

京葉線への地下道、遠すぎ、迷わせすぎ!

905名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)15:15:52.45ID:ahnjl3Ob0
>>898
こんなことも言える

大阪に新幹線で始めて来た東京の都会人が、
大阪駅で大阪の田舎者に「USJはどっちですか?」と訪ねる

そのとき大阪の田舎者が指を指した方角が「USJ」の方角で
そのとき大阪の田舎者が言った距離・時間が「USJ」までの距離・時間だ

大阪に新幹線で始めて来た東京の都会人には、
大阪の田舎者が言うことが、あってるかどうかなんか判断できない

912名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)15:21:49.87ID:93IvqGQ70
>>905
どんだけ歩かせるんだよぉ、大阪駅ぃいいいい!!!!!!   乗り換えますた
900名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)15:12:33.46ID:ahnjl3Ob0
>>894
つまり、邪馬台国がまだあるときに書かれた『魏志』倭人伝(280年完成)が

邪馬台国は、大陸の人間が、始めて行く辺境の地にあった

ことを、証明している

そして九州は、大陸の人間が、始めて行く辺境の地では無い

なので、邪馬台国は九州には存在しない

409名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)06:39:19.76ID:rgElZJ9I0
だから反論してみろって

>>405
ほれ、反論してミソ m9(^Д^)プギャー

九州は大陸に近いが故に、とても古くから渡来人が訪れており

大陸の役人は、筑紫(九州福岡)に上陸したあと、どの方角に、どのくらいいけば、どんな国があるかを熟知している

57年に、後漢(25年 - 220年)から任じられた「漢委奴国王」の都にも、
200年近い年月の間に、大陸からの使者が、何度も何度も訪れたであろう

その「漢委奴国王」にかわり、邪馬台国なんて国が「親魏倭王」を任じられた・・なんて
倭と交易をしていた、大陸の貿易商、大陸から倭に来ていた貿易商、にとってはビックニュースだ

「漢委奴国王」にかわり交易をしてもらおうと「親魏倭王」に列をなして参上したはずだ

つまり、みーーんな邪馬台国がどこにあるかわかっている

なのに

【まだ邪馬台国が存在していた時に書かれた】『魏志』倭人伝(280年完成)の行程で、筑紫(九州福岡)に上陸したあと、たどり着くのは海の上

ということが、九州説を全否定している

410名前:名無しさん@1周年ID:
>>409
もうちょっとうざいだけだからオレはNGにするね。

他のパーが伊都国パーの相手どうぞ

412名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)06:42:09.40ID:rgElZJ9I0
>>410
あらまぁ、九州に邪馬台国は無いと論破されちゃったもんだから

ワーワーなにも聞こえないーー

って逃げちゃったよ

415名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)06:44:20.45ID:rgElZJ9I0
>>410
あらまぁ、「九州に邪馬台国は無い」と論破されちゃったもんだから

ワーワーなにも聞こえないーーって逃げちゃったよ

お子さまにはここまでが限界だったんだね m9(^Д^)プギャー

427名前:名無しさん@1周年ID:
>>409
あなたの頭が悪過ぎるから

はい華麗に論破

428名前:名無しさん@1周年ID:
邪馬台国は女王の都とも書いてある。
地域の総称とは思えない。
429名前:名無しさん@1周年ID:
>>426
総戸数と邪馬台国と投馬国の役人でしょ
国家公務員もいるし地方公務員もいる
>>428
邪馬台国は女王の都とは書いてない
邪馬台国は女王の都があるところ
邪馬台国に女王の都の伊都国がある。
442名前:名無しさん@1周年ID:
>>429
書き方が他の国の紹介と差がない。
女王国は住民の総数も、官も副官も書いてない。

南至邪馬壹國 女王之所都
邪馬台国が女王の都で正しい。

倭国、女王国が地域の総称
他は個別の国

451名前:名無しさん@1周年ID:
>>442
明らかな差があるよ、里じゃなくて日だし、有じゃなくて可
女王国は伊都国、奴国の便宜上の呼び名だから総数も、官も副官もない

南至邪馬壹國 女王之所都
これは邪馬台国が女王の都ではなく、女王の都の所だから
邪馬壹國=都ではなく、邪馬壹國⊃都です。

557名前:名無しさん@1周年ID:
>>451
隋書倭国伝でも、倭国には里数はなく日数で測ってるとあるから、里数か日数かは大きな問題ではないよ。
527名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:18:46.39ID:Vs/stn960
>>429
北九州でも畿内でも採れるが?
528名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:19:22.13ID:Vs/stn960
>>527は>>526です
541名前:名無しさん@1周年ID:
>>528
人口35万人の食料生産として生野菜を冬でも取れるどころってどこw
601名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)10:40:43.75ID:Vs/stn960
>>541
日本は冬野菜多いよ
現在とは種類が違うだろうが今でも大根や白菜、玉ねぎ、ホウレン草などの葉物の旬は冬だ

魏があった華北は寒冷地で冬に野菜がとれないから、日本の冬でも充分温暖なんだよ

441名前:名無しさん@1周年ID:
邪馬台国がどこかを議論する前に倭国の範囲、倭国と倭種の国は別の国なのか?
倭種の国とはどこを指すのかを議論した方が邪馬台国を特定する近道だぞ。
512名前:名無しさん@1周年ID:
>>441
ここで九州だの奈良だって言って奴は郷土愛wに観光資源のために必死になってコピペしてるだけだからな。
7万戸なら一家5人で35万人それだけの食料生産できる土地なら九州は無理だし、
風俗なら冬でも生野菜なら北九州や奈良は絶対にあり得ないw

結局、都合のいいネタだけ取ってきて喚いている無学が暴れているだけ

517名前:名無しさん@1周年ID:
>>512
お前の妄想は根拠にはならんねw
533名前:名無しさん@1周年ID:
>>517
妄想してるのは都合のいいネタだけ引っ張ってきて喚いているお前さんだな。
早く35万人の食料生産が可能な大規模農場の場所教えてね。
ここも誤記かな?

北九州にはビニールハウスがあったのかなw

これも誤記で済ますのかな?

452名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)08:37:22.51ID:TkuMuCZU0
魏志倭人伝に邪馬台国は帯方郡から一万二千里で東側が海と書いてある
宇佐しか有り得ない
454名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)08:39:02.21ID:ffJ/nIuF0
>>452
短里(=当時使われてない単位)計算ですか?
で、陸路1月は1日の誤記主張?
バイアスかけすぎだよね
460名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)08:45:02.37ID:TkuMuCZU0
>>454
帯方郡から狗奴韓国まで7千里と書いてあり、
狗奴韓国と対馬と壱岐と末盧国がそれぞれ千里と書いてある。
誰が見ても短里。
九州北端の末盧国から残り二千里で東側が海だと宇佐しか有り得ない。
464名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)08:49:09.68ID:ffJ/nIuF0
>>460
(九州説信者の)誰が見ても(当時使われていなかった)短里(という単位を捏造します)。

ってこと?

590名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)10:33:42.47ID:Zn/l2jQL0
>>454
使われてるじゃないか
「別の里が使われていた」ことは「その里が使われていなかった」ことを意味しない

>>472
距離は信用しない
方角も信用しない
気温も無視する
国名だけは信用する

592名前:名無しさん@1周年ID:
>>590
たしか日本書紀でも対馬海峡は2千里と書いてあった。
457名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)08:41:51.87ID:TkuMuCZU0
箸墓は鐙が埋まっていたことからも馬を使って造成された
畿内の他の古墳の様式からも箸墓は5世紀だと全ての辻褄が合う
卑弥呼の時代に合わせたいだけで捏造はあかん罠
461名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)08:45:09.33ID:ffJ/nIuF0
>>457
これも九州説の面白いところ

「箸墓は捏造!だから、近畿説は無理があるの!!
だって、遺跡でてないじゃん!
え?九州も出てないって?
でも、九州は掘ったらでるから!!でるはずだからっっ!!」

箸墓否定したところで、近畿説は「九州説と同じように」それっぽい遺跡が存在しなくなるだけで
近畿説は何ひとつ否定されないんだよね。
そこら辺がわかってない。

468名前:名無しさん@1周年ID:
>>461
遺跡は弥生銀座で腐るほどでとる。
畿内は墓守の集落が点在するだけの霊園。
471名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)08:53:20.84ID:ffJ/nIuF0
>>468
腐るほど出ても何ひとつ邪馬台国にカスってないのが残念だよねー
476名前:名無しさん@1周年ID:
>>471
鉄鏃、絹、鉾etc.
480名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:00:04.27ID:ffJ/nIuF0
>>476
魏志倭人伝のどこに「邪馬台国には大量の鉄鏃、絹、鉾があります」って書いてあるの?
496名前:名無しさん@1周年ID:
>>480
おれも大量のなんて書いてないぞ。
500名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:07:16.91ID:ffJ/nIuF0
>>496
じゃあ少量の?w
とにかく、魏志倭人伝のその部分出して?
516名前:名無しさん@1周年ID:
>>500
量については書いてない。
鉄鏃、絹、鉾があることは文献と一致しているということだ。
出土品が全くないという君への反論だよ。
自称考古学者くん
462名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)08:47:07.90ID:TkuMuCZU0
魏志倭人伝は実際に短里が使われているのに
短里が使われていないと嘘をつくのが畿内説
466名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)08:49:43.18ID:ffJ/nIuF0
>>462
魏志倭人伝のどこに「短里」がかかれているの?
469名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)08:52:33.07ID:TkuMuCZU0
>>466
対馬て壱岐の間が千里と書いてある
帯方郡と狗奴韓国が7千里と書いてある
誰が見ても短里
魏志倭人伝では短里
長里は全く無い
474名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)08:55:32.00ID:ffJ/nIuF0
>>469

どこにも「短里」なんて書いてないやん?

当時の中国では里という単位は400m超だけど
その単位だと都合悪いから「無理矢理」短里をつくっただけだろ?

当時の資料で「短里」をつかってた中国の文献だしてみ?
そんな単位が存在するなら、当然あるんだろ?
え?魏志倭人伝独自の単位なの?ナニソレw

477名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)08:57:41.63ID:TkuMuCZU0
>>474
魏志倭人伝では全て短里で書いてある
帯方郡から狗奴韓国の7千里は短里
長里で書いてある部分はどこにあるの?
482名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:00:56.65ID:ffJ/nIuF0
>>477
???
日本語が通じない人なのかな?

>当時の資料で「短里」をつかってた中国の文献だしてみ?
>そんな単位が存在するなら、当然あるんだろ?

なんで質問に対して質問でかえすんだろう?
そんな都合の悪い質問だったの?
でも、これ、資料を読み解くうえの基準だよね。
当時の距離の単位なんだから。

489名前:名無しさん@1周年ID:
>>474

魏志倭人伝

 

494名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:04:38.55ID:ffJ/nIuF0
>>489
魏志倭人伝のどこに「短里」って書かれてるの?

「里って書いてるけど、これは短里のことだから!!」という捏造を「また」するの?w

498名前:名無しさん@1周年ID:
>>494
501名前:名無しさん@1周年ID:
>>494
じゃ長里って書いて無いから長里は無いんだw

はい、論破w

507名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:09:56.09ID:ffJ/nIuF0
>>501
え?里って単位は当時の中国で普通に使われていた単位だよ?
そんなことも知らずに頑張ってるの?
それとも、キチガイのふりして乗り切ろうとしてるの?

どっち?

509名前:名無しさん@1周年ID:
>>507
短里も使われてたよ。
511名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:12:05.73ID:ffJ/nIuF0
>>509
何て文献?
463名前:名無しさん@1周年ID:
畿内説のまとめ

・300年前に流行した
ヤマタイ→ヤマトゥ→ヤマト
という駄洒落が最大の根拠
・魏志倭人伝の記述とは全く合わないけど、
纏向を卑弥呼の都にしてしまえ。
だって他に何もないから。
・距離も方向も倭人伝に全くカスらないけど
畿内が邪馬台国なの!
そうじゃないと嫌なの!

470名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)08:52:36.03ID:ffJ/nIuF0
>>463
なるほどそういうまとめかたもおもろいな

・最大の根拠?
ないけど、九州に決まってる
・魏志倭人伝の記述とまったく合わないし
実際に何も発掘されてないけど、とにかく九州。
・距離はカスらないから短里という単位を捏造するぜ!
・方角おかしいけど、キニスンナ
・旅行日程おかしいだと?一月は一日の誤記なんだ。
・距離も方角も日程も倭人伝に全くカスらないけど
九州が邪馬台国なの!
そうじゃないと嫌なの!!

こうですか?

483名前:名無しさん@1周年ID:
>>470
行程について同じようなことを繰り返しすぎ
くどい
やり直し
488名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:02:54.39ID:ffJ/nIuF0
>>483
じゃあ一行ですませるわ

九州説:「全部捏造です。根拠はゼロです。遺跡もありません」

コレで終わりやん?

491名前:名無しさん@1周年ID:
>>488
今度は発狂か近畿パーw
543名前:名無しさん@1周年ID:
>>488
そっくりそのまま畿内説
472名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)08:54:43.55ID:TkuMuCZU0
魏志倭人伝は長里しか無いというバカは
対馬と壱岐の千里をどう説明するの?
590名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)10:33:42.47ID:Zn/l2jQL0
>>454
使われてるじゃないか
「別の里が使われていた」ことは「その里が使われていなかった」ことを意味しない

>>472
距離は信用しない
方角も信用しない
気温も無視する
国名だけは信用する

592名前:名無しさん@1周年ID:
>>590
たしか日本書紀でも対馬海峡は2千里と書いてあった。
473名前:名無しさん@1周年ID:
ていうか、そもそも魏志倭人伝のどこが畿内なの?
九州を紀行しただけとしか読めないんだけど
526名前:名無しさん@1周年ID:
>>473
九州なら風俗見て宮崎から鹿児島しかあり得ないのにw
北九州なんて冬に野菜取れるのかw
528名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:19:22.13ID:Vs/stn960
>>527は>>526です
541名前:名無しさん@1周年ID:
>>528
人口35万人の食料生産として生野菜を冬でも取れるどころってどこw
601名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)10:40:43.75ID:Vs/stn960
>>541
日本は冬野菜多いよ
現在とは種類が違うだろうが今でも大根や白菜、玉ねぎ、ホウレン草などの葉物の旬は冬だ

魏があった華北は寒冷地で冬に野菜がとれないから、日本の冬でも充分温暖なんだよ

479名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)08:59:17.71ID:TkuMuCZU0
畿内説は都合が悪くなると方向や距離が間違えていると言い出す
宇佐だと方向も距離も全てが合致する
485名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:02:08.85ID:ffJ/nIuF0
>>479
まあ、そりゃ「単位を捏造」し「方角も捏造」したら、宇佐に合致するわなw

そもそも、方角については、そ通りの方角にいくと海の上に出るってのは誰でも知ってる話なのに
「方角が合致してる(キリゥ」って、マジキチすぎて面白いw

493名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:04:32.14ID:TkuMuCZU0
>>485
方角でも宇佐で合っている
ただキチガイみたいに騒いでないで
キチンとどこが方角が間違っているか説明してくれ
497名前:名無しさん@1周年ID:
>>493
お前が説明しろキチガイ宇佐パーw
487名前:名無しさん@1周年ID:
>>479
今度は宇佐パーかw
486名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:02:14.23ID:TkuMuCZU0
魏志倭人伝自体が全て短里で書いてあるのに
勝手に長里で書いてあると嘘を吐いて歴史を捏造するのが畿内派
490名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:03:47.12ID:ffJ/nIuF0
>>486
当時の中国の書物に短里なんてつかわれてないのに

「魏志倭人伝自体がすべて短里で書いてある(キリッ」

これが九州説信者w

499名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:06:53.64ID:TkuMuCZU0
>>490
魏志倭人伝自体に短里が使われているのにバカか?
対馬と壱岐は何キロだ?
502名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:08:21.11ID:ffJ/nIuF0
>>499
バカなので、「当時の中国で」短里という単位が使われていたという証拠を
「魏志倭人伝以外で」出してくださーいw
513名前:名無しさん@1周年ID:
>>502
三国志は倭人条以外でも使われてるだろ。
混雑してるからややこしいだけで。
それから天文系でも使われてたらしいぞ。
確かに多少特殊なものだったのかも知れんがね。
521名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:14:33.51ID:ffJ/nIuF0
>>513
えっと・・・文献名・・・?
日本語ワカリマスカァ~?
530名前:名無しさん@1周年ID:
>>486
魏志倭人伝なんて書物はありません。
魏志の東夷伝の倭人の章ですよ。
魏志の中で単位がコロコロ変わるってことでいいんですよね。
中国の里と西域の里と東夷の里は朝鮮と日本で長さが違うでいいんですよねw
506名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:09:47.58ID:LgSGNAN30
畿内説自身が畿内説の基本をわかっていない。

畿内説とは、
魏志倭人伝に書かれている、投馬国と邪馬台国の方角「南」の部分だけを「東」と解釈するという、根拠不明な曲解にもとづいて語られてきた「想像説」である。

よって何を言おうとも「単なる想像」で終わる話であり、最近では畿内説教という宗教の布教活動のようなものである。

これは思想誘導に弱い日本人の性格を利用した歴史捏造事件とも言える。

また、能無し学者による公金横領事件でもある。

510名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:11:40.54ID:ffJ/nIuF0
>>506
なるほど

九州説自身が九州説の基本をわかっていない

九州説とは
魏志倭人伝に書かれている、陸行1「月」を1「日」だと言い張り、「短里」という距離を捏造してできあがった「想像説」である

よって何を言おうとも「単なる想像」で終わる話であり、既に時代遅れとなった九州説教という宗教の布教活動のようなものである。

これは思想誘導に弱い日本人の性格を利用した歴史捏造事件とも言える。

また、能無し学者による公金横領事件でもある。

515名前:名無しさん@1周年ID:
>>510
それは違う
出てくる地名国名が、ことごとく九州であり、
本州はせいぜい倭種として、よくわからない国として羅列されてるだけ
531名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:22:44.25ID:LgSGNAN30
>>510
魏志倭人伝の写本の際などで「日」を「月」と転記ミスをしたというのが九州説だぞ。

執拗に曲解するのが畿内説教の教えなのか?

514名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:13:12.33ID:ZMQDNhuy0
終末期の九州程度の絹で良いのなら大和も吉備も出雲も四国も出てくる

出ればいいと言うのであれば多くの場所が該当し特徴として主張するような要素になってない

524名前:名無しさん@1周年ID:
>>514
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/kinu.htm
539名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:33:26.23ID:ZMQDNhuy0
>>524
いつもの事だけど「弥生時代全体」を持ち出して来ても意味がない

上で書いたように九州は最盛期の中期から肝心の終末期には1遺跡になってる
この激減を見ると九州と言う土地の明らかな衰退を示している証拠と言える

549名前:名無しさん@1周年ID:
>>539
弥生時代に絹が出土したのは九州だけだと
読みって欲しかった。
535名前:名無しさん@1周年ID:
九州説が間違ってるって主張はいいとして、なんでそっから畿内に行くのかまったく意味不明だわ
538名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:32:08.34ID:ylGvFfn10
>>535
ばいすばーさ
659名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)11:40:25.29ID:un1aIkSq0
>>535
統一国家らしいのが大和しかないからなんだろうけど
まあ女王と言う時点で違うとは思うけど
540名前:名無しさん@1周年ID:
まずは魏志倭人伝の記述通りのものを探して、倭国として認識されていた範囲である事を確認するべきだな。

卑弥呼の時代に確実に存在していたクスノキ
※1 卑弥呼の時代は今より涼しい気候だった
※2 韓半島の史書によれば、この時期倭国で飢饉が発生していたとのこと

樹齢3000年
・柞原八幡の大クス:大分県大分市八幡
・川古のクス:佐賀県武雄市若木町川古 日子神社
樹齢2000年
・衣掛の森(クスノキ):福岡県粕屋郡宇美町宇美八幡宮
・武雄のクス:佐賀県武雄市花島
・老松神社のクス:山口県防府市お茶屋町老松神社
・阿豆佐和気神社のクス:静岡県熱海市木宮木の来宮神社

樹齢1800年あたり
・未確認

544名前:名無しさん@1周年ID:
>>540
寒冷期で人口35万人の食料生産できて冬でも野菜が取れるどころかw

倭人の条読めば日本に存在しないって普通に分かりそうなもんだけどなw

観光資源と馬鹿な知能自慢のためにみんな必死なんだな。

547名前:名無しさん@1周年ID:
>>540
あ。韓半島ねw
12世紀に作られた三国史記がソースとか寝言言ってる時点で信頼性ないな。
548名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:42:04.82ID:TkuMuCZU0
魏志倭人伝に邪馬台国の東側に海があり千里渡った先に別の倭人が住む国があると書いてある
畿内説では全く不可能
宇佐から東に千里渡った先に四国がある
555名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)09:53:13.94ID:oIlzWpi/0
>>548
畿内説ではそもそも南を東に行くと読み替えてるから
東に行くって言うと東北方面つまり伊勢湾超えて尾張国になるわけだ
昔の地図では伊勢湾がそのまま入り込んで琵琶湖まで続いてるものもある
559名前:名無しさん@1周年ID:
>>555
>昔の地図では伊勢湾がそのまま入り込んで琵琶湖まで続いてるものもある
馬も居なけりゃ方位磁石も無い弥生時代の地図なんて存在しないのを分かってそんなことを言ってるのか?
550名前:名無しさん@1周年ID:
まずは魏志倭人伝の記述通りのものを探して、倭国の範囲であった事を確認するべきだな。

・後漢時代から継続して存在していること。
・倭国大乱を経験した痕跡があること。
・鉄の鏃を使っていたこと。
・紡績を行っていたこと。
・青珠(ガラス玉)が存在したこと。

吉野ヶ里遺跡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E3%83%B6%E9%87%8C%E9%81%BA%E8%B7%A1

870名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)14:45:28.64ID:ahnjl3Ob0
>>550
あのよお

九州は

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、大陸の人間が行き来していて
下手すれば、あちこちに居住すらしてたんだぞ?

邪馬台国が吉野ヶ里だったら

邪馬台国がまだあるときに書かれた『魏志』倭人伝(280年完成)が、行き方を間違うわけがなかろうが

ちったぁ、無い脳みそ振り絞って考えろよ

873名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)14:51:20.60ID:wv52Q85j0
>>870
>>550のどこに吉野ヶ里=邪馬台国だと書いてあるんだ?

右脳しか使わないバイアス発言しかできないのか?
たまにはその腐った左脳も使えよw

877名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)14:54:28.33ID:ahnjl3Ob0
>>873
べつに吉野ヶ里じゃなくてもいいぞ

>>871
九州の遺跡はどこだって

九州は

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、大陸の人間が行き来していて
下手すれば、あちこちに居住すらしてたんだぞ?

邪馬台国が九州の〇〇〇だったら

邪馬台国がまだあるときに書かれた『魏志』倭人伝(280年完成)が、行き方を間違うわけがなかろうが

ちったぁ、無い脳みそ振り絞って考えろよ

で、撃沈すんだよ

だから

国立歴史民俗博物館
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c

891名前:名無しさん@1周年ID:
>>870
お前脳みそ無いよな近畿パーwww
873名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)14:51:20.60ID:wv52Q85j0
>>870
>>550のどこに吉野ヶ里=邪馬台国だと書いてあるんだ?

右脳しか使わないバイアス発言しかできないのか?
たまにはその腐った左脳も使えよw

877名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)14:54:28.33ID:ahnjl3Ob0
>>873
べつに吉野ヶ里じゃなくてもいいぞ

>>871
九州の遺跡はどこだって

九州は

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、大陸の人間が行き来していて
下手すれば、あちこちに居住すらしてたんだぞ?

邪馬台国が九州の〇〇〇だったら

邪馬台国がまだあるときに書かれた『魏志』倭人伝(280年完成)が、行き方を間違うわけがなかろうが

ちったぁ、無い脳みそ振り絞って考えろよ

で、撃沈すんだよ

だから

国立歴史民俗博物館
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c

558名前:名無しさん@1周年ID:
まずは魏志倭人伝とその隣国の記録通りのものを探して、
倭国の範囲であった事を確認するべきだな。

・海外との交易の痕跡や7万戸を養える財力があった(鉄の流通量)

■魏志韓伝より
國出鐵韓?倭皆従取之,諸市買皆用鐵如中国用銭,又以供給二郡
(国には鉄が出て、韓、?、倭がみな、従ってこれを取っている。
諸の市買ではみな、中国が銭を用いるように、鉄を用いる。
また、楽浪、帯方の二郡にも供給している。)
 
■重要事項
・3世紀頃は鉄は市で通貨として使えるほど貴重だった。
・九州では武器や農具に鉄を使えるほど潤っていた。
・しかしこの時代の畿内からは鉄が出土していない。
↓鉄の出土状況

■推測されること
・畿内政権は鉄を取りに行っていない
・畿内政権は九州に鉄を分けてもらえなかった
・一大率は畿内への鉄の供給を行わなかった
 
■結論
・3世紀の北部九州と畿内の関係は希薄だった
・一大率は畿内政権とは無関係だった
・畿内は倭国ではなかった(縄文人?)
 
■裏付け
 纏向遺跡では九州産や半島産の土器は出土していない。
 もと歴博の館長もやった佐原真いわく、
「近畿圏では鉄は溶けやすいので、残っていないのだ」(開き直り)

562名前:名無しさん@1周年ID:
>>558の補足

富の原遺跡/長崎県大村市
(弥生中期初頭~後期前半)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E3%81%AE%E5%8E%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1

特に鉄戈の分析から得られた情報は大きく、原料鉱石として磁鉄鉱が用いられ、
錆分析から推定される鋼の炭素量は0.5から0.6パーセントで、刃部には真鍮を
削れる程度の硬度があり、別の鉄戈の棟部の錆びから調べられた炭素含量は
0.1から0.2パーセントであり、棟部が軟鋼であることが確認されている
すなわち刃部に高炭素の硬鋼を使用し、棟部に低炭素の軟鋼を組み合わせる
「合わせ鍛え」の技法(日本刀や農工具に用いられる技法)が弥生期から確認された

611名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)10:48:10.71ID:LgSGNAN30
>>606
カエル食ってた奈良と>>562とが同じ国とは思えんなw
580名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)10:25:39.67ID:jTVE/81E0
>>558
この鉄デマのコピペまだ貼ってるんかよ
何度も嘘を指摘されてるのに、捏造を続けるしつこさ
596名前:名無しさん@1周年ID:
>>580
デマ言うなよ近畿パー
571名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)10:17:29.95ID:ZMQDNhuy0
鉄については弥生時代の評価が大幅に変わった現在、過大評価であったと言うのが今の流れになっている

「鉄器」という雑なまとめ方をすることが多いがその内容が重要
いわゆる鍬や鍬は、以前は中期後半と言われていたが、共伴土器や加工技術の精査で弥生時代の後期後半後葉になってからようやく用いられ始める事が判明した
その数もとても少なく、量産する事が出来る遺跡も殆どなく大勢に影響を与えるような数は存在してない

鉄の鍬や鍬の本格的な実用は古墳時代に入ってから
この点では九州も畿内も大差ないと言う実態が浮かび上がる

「鉄の道具=実力」
という図式は今となっては否定されている

574名前:名無しさん@1周年ID:
>>571

「北部九州では紀元前1~2世紀、朝鮮半島から鉄の素材が入り、加工して流通するようになった。
弥生時代、倭で最初に本格的な金属器社会に入った地域だ。
初期の国家について「鉄が権力をつくる」との説を私は支持している。
ではなぜ鉄の一大生産地だった九州に比べ出土品も少ない近畿に大和政権ができたのか。」

2018年2月10日 もっと九州掲載
松木 武彦 大阪大文学部卒、同大学院博士課程単位取得。
専門は日本考古学。日本列島の古墳研究や考古学を通じた戦争、国家形成論などを研究。
2014年から国立歴史民俗博物館の研究部門教授。

577名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)10:23:11.39ID:LgSGNAN30
>>571
そんな話は聞いたことが無い。
あんた個人的想像を一般論みたいに語るタイプの人か?
573名前:名無しさん@1周年ID:
関東の人間からしてみれば正直邪馬台国がどこにあったかなどクソどうでもいい
585名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)10:30:20.95ID:YZOjFN6E0
>>573
近畿の人間からしてみれば卑弥呼は諦める
でも台与ちゃんはいて欲しい
593名前:名無しさん@1周年ID:
>>573
お前クソどうでもいいよなw
578名前:名無しさん@1周年ID:
真面目な話をするなら、若干ではあるが九州説の方が確率が高いとは思う

結局、証拠の文書で残ってるのは中国の魏の文書しかまともなのは残っていない
地理の面から考えると、中国からの調査団が来るなら、まず九州が一番早く見つかって調査されるのは間違いない

となると、九州説が少し有力かなって思ってしまう

582名前:名無しさん@1周年ID:
>>578
探究の発端は中国に残っていた記録だからね。
その記録内容と一致するものを探すのが当たり前。
今の畿内説は記録とは全く関係の無い話に発展している。
587名前:名無しさん@1周年ID:
>>582
結局のところ、三国志の時代の話だし
あの時代に海を渡るのは、当時の中国の技術でもそんなに簡単では無かったわけで

地理的条件を考えてしまうと、どうしても九州説の方が論理的には正しいのかな?って思ってしまうよね
関係の出土品も九州の方が多いって事だし

622名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)11:06:36.73ID:jTVE/81E0
>>587
中国からやってきた役人が北部九州に滞在してたのは確かだけど、
その北部九州に畿内からも人が来てたんだ

3世紀前半には、ヤマト王権の前身となる広域連合が形成され始めてた
中国人は倭国を九州だけとみなしたという仮説が成り立たなくなって、九州説は学術的には終わったんだよ

623名前:名無しさん@1周年ID:
>>622
その前に近畿パーが人間として終わるから大丈夫。
633名前:名無しさん@1周年ID:
>>622
もともとあった単なる先住民の祭祀文化を勝手に大和発祥の文化であるかのように捏造するな。
古墳は前方後円墳時代のずっと以前から続いている文化
654名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)11:37:50.75ID:jTVE/81E0
>>633
>先住民の祭祀文化

弥生終末期の畿内の住人を先住民と言い切ってしまうんだから、
日本の起源を改竄しようとする目的がバレバレwww
古墳時代になって、朝鮮半島から渡来人がやってきて日本を建国したと、歴史を改竄したいだけだろ?

>古墳は前方後円墳時代のずっと以前から続いている文化

弥生時代の後期には、各地の祭祀は地域色が強まっていった
前方後円墳も、東瀬戸内の円形周溝墓をルーツにもち、
それに楯築の巨大な墳墓の要素や四隅突出型の葺石などの要素を取り入れ
纒向型前方後円墳から定型化された前方後円墳ができた

そもそも、古墳文化が畿内発祥などと誰も主張してないだろが
前方後円墳が畿内発祥なんだよ
論点すり替えによるイチャモンにすぎない

669名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)11:48:40.12ID:wv52Q85j0
>>654

■前方後円墳は奈良発祥では無い件

全国的には、
徳島県の萩原一号墳や鳥取県南部町の浅井11号墳、
福岡市博多区那珂1丁目の那珂八幡古墳など
3世紀の前方後円墳が多数ある。
近藤義郎によれば、全国の前方後円墳を築造された
時期別に畿内編年の1期から10期の10段階に分けて
整理すると、最も古い1期でもっとも多いのは
①筑前(福岡県北部)で9基、
②播磨(兵庫県)で8基、
③大和で6基、
以下備前、美作、備中、讃岐となっている。
さらに朝鮮には3世紀に石積みながら
前方後円墳が多数ある。
以上から、奈良が前方後円墳の発祥地とは言えない。

674名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)11:55:17.28ID:jTVE/81E0
>>669
それ以前、Wikipediaに書かれていたが、嘘だとバレて削除されたやつ
嘘を書いた人物もWikipedia側からアク禁にされている

とっくに削除されたものを自分のPCに保存しておいて、掲示板で貼り付けてるんだから
捏造目的でやってることは明白

677名前:名無しさん@1周年ID:
>>674
>嘘だとバレて削除された
というのは君の想像だろ。
指摘を受けて、「定型化された前方後円墳は奈良のが初めてだ」
と修正されたから、>>669の記述は不要となった。
情報を正確に伝達できない病気ですか?
683名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)12:05:15.63ID:jTVE/81E0
>>677
書いたやつアク禁にされているけどな
688名前:名無しさん@1周年ID:
>>677
いや詳細は知らんが捏造だろ。
前方後円墳は近畿発祥だろ多分。
伊都国パーとか宇佐パーとかの捏造。
694名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)12:14:33.10ID:N7tzWJWK0
>>688
それ以前から前方後方墳というのがあるからなあ。。。
それを○に変更したものが前方後円墳。
677名前:名無しさん@1周年ID:
>>674
>嘘だとバレて削除された
というのは君の想像だろ。
指摘を受けて、「定型化された前方後円墳は奈良のが初めてだ」
と修正されたから、>>669の記述は不要となった。
情報を正確に伝達できない病気ですか?
683名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)12:05:15.63ID:jTVE/81E0
>>677
書いたやつアク禁にされているけどな
688名前:名無しさん@1周年ID:
>>677
いや詳細は知らんが捏造だろ。
前方後円墳は近畿発祥だろ多分。
伊都国パーとか宇佐パーとかの捏造。
694名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)12:14:33.10ID:N7tzWJWK0
>>688
それ以前から前方後方墳というのがあるからなあ。。。
それを○に変更したものが前方後円墳。
672名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)11:54:03.27ID:N7tzWJWK0
>>654
>古墳時代になって、朝鮮半島から渡来人がやってきて日本を建国したと、歴史を改竄したいだけだろ?

>>615の考古学的証拠を無視するか?w

679名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)12:02:12.96ID:jTVE/81E0
>>672
古墳時代に渡来人が来て、ヤマト王権に組み込まれていったことは
日本の教育を受けている人間なら知ってることだがw

それを逆に渡来人が支配者側になったと強弁するのは、
日本の歴史を改竄するのが目的だからだろ?www

684名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)12:06:03.59ID:N7tzWJWK0
>>679
じゃあ大和人は日本列島のどこから生まれてきた人種なんだよ?
世界的にもチョン特有な乾燥耳垢のくせw
781名前:名無しさん@1周年ID:
>>684 >>679
3世紀の半島以南の倭人居住地帯において、その居住地帯内の人の移動に
「渡来人」という言葉はあまり似つかわしくない。「渡来人」などという呼称は
ある程度国境線が確定し、お互いのナショナリズムを認識している状態ではじめて有効だと思うがな。
日本古代において「渡来人」呼称を使うにふさわしい時代というと諸説あるのは認めるが4-5世紀くらいからじゃないだろうか。
結論を言えば、3世紀に現代の認識での「日本人」などいない。ということだ。
781名前:名無しさん@1周年ID:
>>684 >>679
3世紀の半島以南の倭人居住地帯において、その居住地帯内の人の移動に
「渡来人」という言葉はあまり似つかわしくない。「渡来人」などという呼称は
ある程度国境線が確定し、お互いのナショナリズムを認識している状態ではじめて有効だと思うがな。
日本古代において「渡来人」呼称を使うにふさわしい時代というと諸説あるのは認めるが4-5世紀くらいからじゃないだろうか。
結論を言えば、3世紀に現代の認識での「日本人」などいない。ということだ。
589名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)10:32:32.13ID:oIlzWpi/0
>>582
それいっちゃうとまず海のかなたに突き抜けるから
いろいろ考察が入るんだろう
まず九州ってのはおかしいだろ
602名前:名無しさん@1周年ID:
>>589
突き抜け無いよ近畿パーw
595名前:名無しさん@1周年ID:
>>578
紛らわしい近畿パーだなお前wwww
591名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)10:33:52.61ID:ZMQDNhuy0
中国の日本についての記述を見ると中国は邪馬台国とその後の勢力が少なくとも大和に存在し連続に近い関係にあると認識している
簡単に書くとこうなる

邪馬台国は台与の後にも滅んで等おらず男性王が立ち継続して晋、宋、斉、梁、隋と使節を送り続けている(梁書、北史)

隋の時に使節を送ってきたアメノタリシヒコ=用明天皇と断定(新唐書)

アメノタリシヒコは筑紫城から大和州に都を移したと記載される神武天皇の後なので都は大和(新唐書)

アメノタリシヒコの都は邪馬台国と同じなので邪馬台国は大和(隋書、新唐書)

アメノタリシヒコは一大卒を各地に派遣して地方を支配している(魏志、旧唐書)
一大卒のいる場所=邪馬台国の被支配地

アメノタリシヒコ(用明天皇)はその後の桓武天皇などにも系譜が連続していると認識されている(旧唐書、新唐書)
白村江の戦いの当事者である唐の記録でこう記載されている
このため、王朝交代など起こってないと確定
倭から日本への変化は定説通り壬申の乱であることが確定

宋の太宗が「日本は小国だが王も貴族も古代から同じ系統が維持されていて素晴らしい」と称賛(宋史)

中国の史書は前時代を踏襲して参考にして前の時代の歴史を書くので基本的に認識は統一されている
大和に邪馬台国があったと言うのが当の中国側の考えとして明らか

612名前:名無しさん@1周年ID:
>>591
邪馬台国から大和朝廷への連続説だな
この可能性もあるだろうね

いずれにせよ
3世紀 邪馬台国
4世紀 大和朝廷
ここをどう関係づけるか・・・

615名前:名無しさん@1周年ID:
>>612
卑弥呼時代は2世紀後半から3世紀前半。

~2世紀末 唐古・鍵最盛期
3世紀後半~4世紀半ば 纏向最盛期
4世紀末~↓予定より早く弓月君ご到着↓

産経新聞(2018.11.28)

最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
https://www.sankei.com/west/news/181128/wst1811280010-n1.html
~ 大陸から来た渡来人の重要施設とみられる国内最大級の ~
建築年代は4世紀末~5世紀初めと推定され、最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。
~ 省略
白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長(考古学)は、建物の時期についてはさらに
検討が必要としながらも、「(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが営んだ重要な
施設があったことは間違いない」とみている。

672名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)11:54:03.27ID:N7tzWJWK0
>>654
>古墳時代になって、朝鮮半島から渡来人がやってきて日本を建国したと、歴史を改竄したいだけだろ?

>>615の考古学的証拠を無視するか?w

679名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)12:02:12.96ID:jTVE/81E0
>>672
古墳時代に渡来人が来て、ヤマト王権に組み込まれていったことは
日本の教育を受けている人間なら知ってることだがw

それを逆に渡来人が支配者側になったと強弁するのは、
日本の歴史を改竄するのが目的だからだろ?www

684名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)12:06:03.59ID:N7tzWJWK0
>>679
じゃあ大和人は日本列島のどこから生まれてきた人種なんだよ?
世界的にもチョン特有な乾燥耳垢のくせw
781名前:名無しさん@1周年ID:
>>684 >>679
3世紀の半島以南の倭人居住地帯において、その居住地帯内の人の移動に
「渡来人」という言葉はあまり似つかわしくない。「渡来人」などという呼称は
ある程度国境線が確定し、お互いのナショナリズムを認識している状態ではじめて有効だと思うがな。
日本古代において「渡来人」呼称を使うにふさわしい時代というと諸説あるのは認めるが4-5世紀くらいからじゃないだろうか。
結論を言えば、3世紀に現代の認識での「日本人」などいない。ということだ。
781名前:名無しさん@1周年ID:
>>684 >>679
3世紀の半島以南の倭人居住地帯において、その居住地帯内の人の移動に
「渡来人」という言葉はあまり似つかわしくない。「渡来人」などという呼称は
ある程度国境線が確定し、お互いのナショナリズムを認識している状態ではじめて有効だと思うがな。
日本古代において「渡来人」呼称を使うにふさわしい時代というと諸説あるのは認めるが4-5世紀くらいからじゃないだろうか。
結論を言えば、3世紀に現代の認識での「日本人」などいない。ということだ。
610名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)10:47:51.74ID:jTVE/81E0
倭人伝に南方系の気候風土が書かれているのは、
倭国が会稽東冶の東にある、つまり九州の遥か南方にあるという地理観からだろう
海南島と風習など有無するものが同じという記述もあるし

厳密に言えば、日本列島で当てはまるのは沖縄のみ
畿内は不一致だけど、九州は一致すると言い張るのは単なる詭弁

613名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)10:51:30.80ID:Zn/l2jQL0
>>610
順序が逆だろう
冬でも裸足で野菜→マジ?会稽東冶か?
であって
会稽東冶→マジ?冬でも裸足で野菜?
ではないわな
619名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)10:59:45.65ID:jTVE/81E0
>>613
>冬でも裸足で野菜→マジ?会稽東冶か?

沖縄以外の日本列島に、冬でも裸足で野菜に該当する場所はない
よってその推測は誤り

620名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)11:03:52.67ID:Zn/l2jQL0
>>619
無いったって書いてるものはしょうがない
616名前:名無しさん@1周年ID:
倭人伝に記載のある魏と交流している三十余国とは以下の地域にあった国々と言う事だ
福岡県・・福岡市西区、福岡市博多区、福岡市南区、福岡市東区
      糸島市、春日市、志免町、篠栗町、古賀市 福津市、
      宗像市、宮若市、田川市、飯塚市、行橋市、筑紫野市、
      那珂川町、筑前町 朝倉市、久留米市、八女市、うきは市、
 佐賀県・・佐賀市、吉野ヶ里町、多久市、武雄市、唐津市
 長崎県・・雲仙市、壱岐市  対馬市
 大分県・・日田市、宇佐市、大分市
617名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)10:58:13.57ID:wv52Q85j0
>>616
個人的には長崎県大村市の富の原を投馬国の候補に入れて欲しいな。
長崎側を南へ水行した可能性もあるんだし。

621名前:名無しさん@1周年ID:
>>617
妻国だな。西都原ね。
627名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)11:10:25.36ID:YZOjFN6E0
距離や方角が出鱈目なんだから狗奴国が九州にあったかわからん
631名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)11:15:10.50ID:TkuMuCZU0
>>627
距離や方角は合ってる
狗奴国は宮崎と熊本
641名前:名無しさん@1周年ID:
>>631
宮崎は投馬国だな。
630名前:オレンジ・エアID:
海の彼方に突き抜ける信仰は水行10日陸行1月、水行20日を

里程にしたら何里になると思ってるんだ?

635名前:名無しさん@1周年ID:
>>630
帯方郡の役人が書いたから起点は帯方郡
帯方郡から南に水行20日の投馬国=殺馬国=薩摩国
帯方郡から水行10日で九州北端の末盧国
当時は馬も橋もトンネルもなく、前が見えないくらい草木が生えている中を歩いて行ったと書いてある
末盧国から日田を経由して東側に海がある宇佐に出るのに1月はかかる
642名前:オレンジ・エアID:
>>635
水行1日は千里ということですね
634名前:オレンジ・エアID:
狗奴国は熊本、宮崎、四国にまたがっていたのかも
639名前:名無しさん@1周年ID:
ひょっとすると「古墳時代」そのものが捏造かもしれんな。
大和一系万世という作り話のための。

>>634
熊本は狗奴国ではなくむしろ邪馬台国の候補だと思うぞ。

湿潤耳垢:縄文系
乾燥耳垢:半島系

643名前:名無しさん@1周年ID:
>>634
後漢書のただの誤記だろうな。
636名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)11:21:42.64ID:93IvqGQ70
国家規模でいえば、圧倒的にヤマトのほうがでかいし、
ヤマトが軍事大国として爆発的な成長を遂げた時点でも、九州には大きな国が無かった
これは、穀物生産が足りなかったせい

美しき九州王朝を夢見る人もあるが、九州は昔から貧乏だったんだよ
ただし、小国が乱立して内乱続きだったので、軍事技術はすごかった
九州から逃げ出したジンムの一党が大和に入り込み、政治的に取り込まれた結果、
頭は九州で体は畿内という、最強の軍事大国ヤマトが誕生したんだよ

ヤマトが軍事大国化した結果、瀬戸内海の群雄割拠が一掃され、
突如、拡張主義的なヤマトが大陸に植民地を持つに至ったのだ

644名前:名無しさん@1周年ID:
>>636
奈良は意外とは狭いんだぞ?

可住地面積
(人が住むことの出来る土地)
奈良県 853(km2)
福岡県 2773(km2)
佐賀県 1332(km2)
熊本県 2732(km2)

当時耕作可能だった土地の面積
[畿内]
奈良盆地:450km2
河内平野:200km2

[九州]
福岡平野:250km2
筑紫平野:950km2
中津平野:180km2
宮崎平野:800km2

30万人が生活すると仮定すれば
最低でも700km2は必要。

646名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)11:26:17.66ID:TkuMuCZU0
>>636
邪馬台国は南隣の狗奴国に攻められて魏に助けを求めて泣きついていたヘタレ国
強大な大和ではないということですね分かります
637名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)11:22:35.24ID:TkuMuCZU0
奈良県立橿原考古学研究所の関川 尚功は、魏志倭人伝によると、
卑弥呼は魏に頻繁に使いを送り、また魏からも使いや軍人が渡ってくるなど半島や大陸と活発に交流していたが、
纒向遺跡の搬入土器は北九州由来のものは非常に少なく、また半島や朝鮮との交流を示す漢鏡、後漢鏡や刀剣類などが北九州で大量に出土しているのに対し、
纒向遺跡ではまったく出土していないことから、魏志倭人伝にみる活発な半島や朝鮮との交流は証明されておらず、纒向遺跡は邪馬台国の遺跡で無いとしている。
650名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)11:32:06.78ID:93IvqGQ70
>>637
その説明でいいと思うよ
なぜなら、纏向遺跡はヤマト王権が世俗政府となるための、社会実験だったからです
広域化するヤマト王権にとって、三輪山への信仰では、なにかと不都合だった
662名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)11:42:15.67ID:jTVE/81E0
>>637
こいつも毎回同じデマ貼るな
ほんと悪質
後漢鏡や刀剣類も出てるだろが
http://www.makimukugaku.jp/info/iseki.html

纒向遺跡が邪馬台国の遺跡で無いとしているのは関川個人の意見であって
他の考古学者はそんな見解に同意してない
ちなみに、関川は橿原考古学研究所をとっくに退職している

670名前:名無しさん@1周年ID:
>>662
>関川は橿原考古学研究所をとっくに退職している
権威ある畿内説歴博に逆らったからな。
旧石器時代捏造事件以来、考古学会の体質は何も変わっていない。
645名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)11:25:56.18ID:SEjLAzBX0
邪馬台国に興味もちだしたら天下公認の暇人といってよい
685名前:名無しさん@1周年ID:
>>645
涙拭けよ暇人ww
687名前:名無しさん@1周年ID:
>>645
5ちゃんに書き込みしてる時点で
俺たちみんな暇人仲間だろw
689名前:名無しさん@1周年ID:
>>687
涙拭けよ遷都くんwwww
690名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)12:12:44.90ID:N7tzWJWK0
>>687
俺はちゃんと仕事しながら書き込んでるぞいw
月初は忙しいんだがw
692名前:名無しさん@1周年ID:
>>690
自宅警備も大変だよね近頃は。
家庭で殺人フツーに起こってるもんな。
御苦労様です。頭が下がるよ。
695名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)12:16:40.18ID:N7tzWJWK0
>>692
頭おかしいのか?
お前=世間じゃないんだぞ?
世間の夏期休業は10日以降だ。
716名前:名無しさん@1周年ID:
>>695
涙拭けよ近畿パーww
651名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)11:33:36.50ID:TkuMuCZU0
邪馬台国は台与の時代に消滅している
5世紀に出雲でたたら製鉄が始まると、半島南部の任那の鉄利権を牛耳っていた九州勢力は衰退し、出雲を領地とする畿内が最強になる
箸墓は5世紀
652名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)11:35:04.49ID:93IvqGQ70
>>651
九州本土で製鉄が発達しなかった理由は、何だと思う? 燃料不足?
656名前:名無しさん@1周年ID:
>>652
白村江の戦で任那を失って鉄の原料を確保出来なくなり急速に衰退した
666名前:名無しさん@1周年ID:
>>652
鉄はコスパが悪かったと習ったはずだ。
日本人ならな。
655名前:オレンジ・エアID:
文献を無視した考古学はありえない
696名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)12:18:26.55ID:YZOjFN6E0
>>655
距離と方角だけは全く信用できない
701名前:オレンジ・エアID:
>>696
信用したくないということかな

歴史は個人の感情できまるものではない

709名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)12:41:41.93ID:YZOjFN6E0
>>701
邪馬台国は九州にあったと思ってるよ
でも記述通りだと九州は物凄くでっかい
710名前:名無しさん@1周年ID:
>>709
白髪三千丈の中国人の誇大表現を信じるのが間違い
713名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)12:45:41.67ID:YZOjFN6E0
>>710
それが味方にいるんだぞってことだろ
718名前:名無しさん@1周年ID:
>>710
魏志倭人伝で信じて良いのは詔の部分だけ。
あそこは流石に公文書らしく隙きのない書き方をしてる。
711名前:名無しさん@1周年ID:
>>709
魏志倭人伝は、
1. 伊都国基点の放射読みが正しい。
2. 陸行一月は陸行一日の単なる写し間違い。
717名前:名無しさん@1周年ID:
>>671
大宝が畿内王朝の初の元号で大化は九州王朝の元号だよ。

>>711
魏志倭人伝は、
1. 里数と日数で帯方郡から伊都国、奴国までの行程12000里を説明している。
2. 陸行一月は陸行一日の単なる写し間違い。

720名前:名無しさん@1周年ID:
>>711
放射読みなんていまだに言ってる化石みたいなパーもいるんだな
724名前:名無しさん@1周年ID:
>>720
涙拭けよクルクルパーw
715名前:名無しさん@1周年ID:
>>709
邪馬台国は筑紫平野でちゃんと収まるよ。
726名前:名無しさん@1周年ID:
>>709 
魏志倭人伝は、
1. 伊都国基点の放射読みが正しい。
2. 陸行一月は陸行一日の単なる写し間違い。
699名前:名無しさん@1周年ID:
>>655
文献を盲信する文献史学もありえない
702名前:オレンジ・エアID:
>>699
文献の物的証拠として考古学があるんですよ
707名前:名無しさん@1周年ID:
>>702
蘇我と九州の関係語って下さい。
663名前:オレンジ・エアID:
白村江の戦いの前は畿内王朝が九州を制圧していた
667名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)11:47:54.72ID:TkuMuCZU0
>>663
九州勢力が東征して畿内を制圧した
671名前:オレンジ・エアID:
>>667
乙巳の変で畿内王朝の中大兄皇子と中臣鎌足が九州王朝の蘇我氏を討った

大化の改新で九州王朝から畿内王朝に体制がかわる、大化は畿内王朝の元号

それまでは九州王朝元号

717名前:名無しさん@1周年ID:
>>671
大宝が畿内王朝の初の元号で大化は九州王朝の元号だよ。

>>711
魏志倭人伝は、
1. 里数と日数で帯方郡から伊都国、奴国までの行程12000里を説明している。
2. 陸行一月は陸行一日の単なる写し間違い。

675名前:名無しさん@1周年ID:
まず最初の前提として
魏志倭人伝は、おまえらに当時の正確な日本を伝えるために書かれたものではない

そこんとこ理解せずに、倭人伝の記述が全て正しい前提で議論しても
おまえらみたいな見当はずれな珍説だらけになってしまう

691名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)12:12:58.43ID:BPchbS210
>>675
魏志倭人伝の元になった魏略では
壱岐を正しく「一支」と書いてるが
魏志倭人伝は「一大」と間違って印刷してる。
だから魏志倭人伝を全面的に信用することはできない。
693名前:名無しさん@1周年ID:
>>691
写し間違いだろキチガイ
833名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)14:16:58.79ID:BPchbS210
>>693
宋版魏志倭人伝より古い5世紀南北朝時代の南朝宋後漢書には
「女王国より東、海を渡ること千余里、拘奴国に至る。」
と書いてあるんだぜ。

現存の魏志倭人伝は12世紀の版本で
狗奴国は「次有奴國、此女王境界所盡。其南有狗奴國・・・」
狗奴国の位置は女王国聨盟の東説、南説入り乱れているから
魏志倭人伝を全面的に信用できない

848名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)14:28:27.65ID:Zn/l2jQL0
>>833
むしろ後漢書のさかしらではないかな
853名前:名無しさん@1周年ID:
>>833
単に後漢書が間違ってて魏志倭人伝が正しいだけのこと。
990名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)17:49:16.75ID:IxEdQCfL0
>>833
尾張も熊野も物部氏
伊勢は神武系が占領してたとすると東と南の両者と一時敵対していたかも
740名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)13:09:40.92ID:Zn/l2jQL0
>>691
本文異同くらいしか信用できない点がないのなら、それは信用してるってことだな

本当に信用できないのなら、字形の異文なんて瑣末なことは無視してもっと大事なことを挙げる

698名前:名無しさん@1周年ID:
こんなネタに反応しちゃって
必死に働いてるアピールとか痛々しいな
700名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)12:26:59.78ID:N7tzWJWK0
>>698
お前マジで働いてないのか?w
学生か爺さんなら分かるが。
704名前:名無しさん@1周年ID:
>>698
お前痛々しいよなw
703名前:名無しさん@1周年ID:
いままで誰も指摘したことないけど邪馬台国とは別に邪馬国っていうのもあるんだよな
同じ名前を使うってどういう意図があるんかね。
706名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)12:38:34.03ID:N7tzWJWK0
>>703
邪馬が八女で邪馬台が山田とか。
倭人の発音を置き換えた文字だから同じ国か誰にも分からない。
719名前:名無しさん@1周年ID:
>>703
つかそれ八女な。
一番疑問が少ないやつだろそれw
749名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)13:18:23.94ID:Zn/l2jQL0
>>703
韓伝にも弁辰弥烏邪馬国なんてのもあるし
不弥国もあれば卑弥国なんてのもあるw
どことなく日本語っぽい字面の国名が並んでるんだよな
755名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)13:22:31.44ID:wv52Q85j0
>>749
そして半島の南部が倭国だったと解釈できる文面もある。

半島南部説も十分有り得る話だ。

712名前:名無しさん@1周年ID:
1. について
魏志倭人伝では伊都国の紹介のあとすぐに全ての郡の使いがここに駐留すると明確に書いてある。
駐留すると言ってるんだから、それ以降を伊都国を基点として放射読みするのは

あったりまえ。

 

721名前:名無しさん@1周年ID:
>>712
1. について
帯方郡から伊都国、奴国までの行程を合計すると丁度12000里になる(壱岐対馬の外寸を行程に加える)
不弥国以後の説明が里数から日数に変わり、単位が距離から時間になるので続けて読むと距離も時間も分からない。
魏志倭人伝の行程の方向や距離(1里80m)で進むと不弥国は那珂川市、春日市方面となり、そこから先に水行は不可能。

よって日数の行程も起点は帯方郡。

725名前:名無しさん@1周年ID:
>>721
全くイミフ。
736名前:名無しさん@1周年ID:
>>725
どこが分からないの?
727名前:名無しさん@1周年ID:
理由は
>>712>>714
728名前:名無しさん@1周年ID:
>>712
全ての郡って何?
729名前:名無しさん@1周年ID:
>>728
涙拭けよ近畿クルクルパーww
733名前:名無しさん@1周年ID:
>>729
答えられないの?
750名前:名無しさん@1周年ID:
>>733
涙拭けよ近畿クルクルパーwww
757名前:名無しさん@1周年ID:
>>750
>>752
>>753
自分は答えれず、横から答えてもらってこの煽りである
796名前:名無しさん@1周年ID:
>>757
お前惨めだよなw
752名前:名無しさん@1周年ID:
>>733
真性最強っすね。
757名前:名無しさん@1周年ID:
>>750
>>752
>>753
自分は答えれず、横から答えてもらってこの煽りである
796名前:名無しさん@1周年ID:
>>757
お前惨めだよなw
742名前:名無しさん@1周年ID:
>>728
全ての郡じゃなくて
全ての郡の使いだろ
帯方郡からの使い
747名前:名無しさん@1周年ID:
>>742
それを理解してるのかのチェックの質問ですよ
753名前:名無しさん@1周年ID:
>>747
wwwwwwwwwwwwwwwww
757名前:名無しさん@1周年ID:
>>750
>>752
>>753
自分は答えれず、横から答えてもらってこの煽りである
796名前:名無しさん@1周年ID:
>>757
お前惨めだよなw
714名前:名無しさん@1周年ID:
2. について
十日だの二十日だの書いておいて、三十日だけ一月と書くと言うことは、駢儷文の観点から言って100%無い。
また、三世紀などという時代には川にはロクに橋が架かっておらず、陸行一月できる場所は事実上物理的に存在しない。そのような長距離は必ず水行するのであり、これは本居宣長が畿内説を否定した根拠でもある。
つまり、陸行一月は誤り。
百済伝で「其南海行三月有耽牟羅國」と書かれているものがあり、
耽牟羅國は済州島のことなので百済から三ヶ月も掛かる訳がなく、三日の誤植とされている。
このようなケースも実際ある。
梁書の倭人条は魏志倭人伝をほぼパクって作ったものだが、これには陸行一月日とある。
つまりこの当時すでに陸行一月の資料と陸行一日の資料とが両方あったのだろう。

陸行一月は陸行一日の単なる写し間違いである。

 

764名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)13:28:07.36ID:Vs/stn960
>>714
一日だったら里数書くよ
陸行一月日は一月の日程だろ
767名前:名無しさん@1周年ID:
>>764
一日の里数は500里、100里と書かれている。
800名前:名無しさん@1周年ID:
>>767
書いてねーわウソつき野郎。
798名前:名無しさん@1周年ID:
>>764
書かねーよ。倭人からの伝聞なのに。
802名前:名無しさん@1周年ID:
>>798
隋書曰く、
「倭人は里を知らない」
だな
899名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)15:11:39.82ID:Vs/stn960
>>798,802
魏の張政が邪馬台国まで行ってるけど?
731名前:名無しさん@1周年ID:
学術的には畿内説確定なんだけど
ネタとして九州説が存在しているだけ
738名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)13:08:48.50ID:iVtQp73x0
>>731
白石太一郎氏も言ってたが邪馬台国論争自体はとっくの昔に終わっていて、今は畿内と瀬戸内海、出雲、九州の関係がどうだったのかという研究に移行している感じ
741名前:名無しさん@1周年ID:
>>738
歴博の人なら畿内説を言い張るのが当然だろ
739名前:名無しさん@1周年ID:
>>731
いつの時代のどの学者がどう言っているのか?
その記事の抜粋を添えて書き込めよw
畿内説宣伝係として失格だ。
734名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)13:06:24.86ID:wv52Q85j0
国の規模か

韓半島には大きくわけて馬韓,辰韓,弁韓の3つの連合国が存在していた。
「馬韓」で約50国とのこと。

倭国が30国からなる「邪馬台」連合国ならば、北部九州の規模が妥当である。

744名前:名無しさん@1周年ID:
>>734
邪馬台国は北部九州だけど範囲はもっと広いよ。
748名前:名無しさん@1周年ID:
>>744
北部九州は邪馬台国の一部
正確には畿内本拠地の出先機関
後の太宰府的役割でしか無い
邪馬台国とは北九州から畿内を含めた巨大な連合国家の総称
例えるなら旧ソ連みたい連邦政府の名前
759名前:名無しさん@1周年ID:
>>748
3世紀の日本に北九州から畿内を含めた巨大な連合国家とか誇大妄想もいいとこだなw
関西には文字も無かったんだぜw
鉄器も関西では普及してなかったのに、本国に無いのに出先では普及とかないよ。
758名前:名無しさん@1周年ID:
九州論者の最大の弱点は
邪馬台国以降、畿内の大和朝廷とどう繋がるか上手く説明出来ない所
全くの別物と考えるのは簡単だが、その証拠が見つかっていない上に、九州邪馬台国の後継政府は大和朝廷に焚書されたと主張までしているから手にを得ない
761名前:名無しさん@1周年ID:
>>758
出雲の国譲りと同じく
神武東遷という表現で九州を併合したわけだ

そして出雲大社と同じように宇佐神宮を重要視したんだよ

762名前:名無しさん@1周年ID:
>>758
邪馬台国は3世紀、大和朝廷の成立は8世紀
500年も間があるんだから説明なんていらないよ。
765名前:名無しさん@1周年ID:
>>758
倭種の国のくせ九州と馴れ馴れしくしないでください。
なお、大和朝廷の馴れ初めについては弓月君に聞いてください。

~2世紀末 唐古・鍵最盛期
3世紀後半~4世紀半ば 纏向最盛期
4世紀末~↓予定より早く弓月君ご到着↓

産経新聞(2018.11.28)

最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
https://www.sankei.com/west/news/181128/wst1811280010-n1.html
~ 大陸から来た渡来人の重要施設とみられる国内最大級の ~
建築年代は4世紀末~5世紀初めと推定され、最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。
~ 省略
白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長(考古学)は、建物の時期についてはさらに
検討が必要としながらも、「(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが営んだ重要な
施設があったことは間違いない」とみている。

766名前:名無しさん@1周年ID:
>>758
逆に言うと奈良説の問題は
当時のヤマトに大和朝廷につながるであろう国の遺跡が見つかってるというだけで
それが=邪馬台国であると断定できる証拠は全く無いってこった
768名前:名無しさん@1周年ID:
>>766
>当時のヤマトに大和朝廷につながるであろう国の遺跡が見つかってるというだけで

この見つかってる遺跡は大和朝廷には繋がらないな。

777名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)13:37:40.73ID:wv52Q85j0
>>766
卑弥呼の邪馬台国は3世紀前半。
纏向遺跡は3世紀後半。

纏向調査結果抜粋
「しかし3世紀前半の遺構は多くなく、遺跡の最盛期は
3世紀終わり頃から4世紀初めにかけてである。
2011年に大型建物跡の約5メートル東側から別の
大型建物跡の一部が見つかり、建物跡は造営年代が
3世紀後半以降の可能性がある。」

826名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)14:07:21.66ID:jTVE/81E0
>>777
纒向は3世紀前半の時点でもかなりでかい
1km近い四方の大きさがすでにあり、吉野ヶ里遺跡の内郭の100倍くらいの広さ

そして、これはWikipediaからのコピペだろうが、Wikipediaが九州説らしき人物によりデタラメ編集されている典型例だ
教科書にさえ書かれているくらい基本的な情報が抜けている
意図的に削除して、かわりに別の情報を被せて読み手に誤解させようとしているのだろう

↓これがWikipediaにはないが、教科書には書かれている基本情報

山川出版社『詳説日本史B』2016年 
「奈良県の纒向遺跡では、2009(平成21)年に3世紀前半頃の整然と配置された大型建物跡が発見され、
邪馬台国との関係で注目されている」

東京書籍『新選日本史B』2018年
「最近では、大型建物跡や大溝が見つかった奈良県桜井市の纒向遺跡の発掘結果や、漢の鏡の出土分布などから、
大和盆地南東部がその候補地として有力になりつつある」

清水書院『高等学校日本史B』2017年
「初期の前方後円墳の一つである箸墓古墳の築造時期の見直しや、奈良県の纒向遺跡で
魏志倭人伝にいう「宮室」にあたるとも考えられる遺構が出土するなど、この問題に関する新たな発見が続いている」

827名前:名無しさん@1周年ID:
>>826
そのコピペ部分はすでに何度も論破されてるじゃないか
835名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)14:17:37.74ID:jTVE/81E0
>>827
いつ誰がどうやって論破したんだ?
教科書は間違ってると決めつけて中傷したやつがこの前いたけどおまえだろ?
836名前:名無しさん@1周年ID:
>>835
ずっと以前から論破されまくりだろ
854名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)14:33:58.07ID:jTVE/81E0
>>836
そのレスの仕方は、おまえ宮崎説やつだな

畿内説側が提示したものに対しては
「根拠にならない」
「証拠にならない」
「邪馬台国と関係ない」
と自動返信するだけの壊れたテープレコーダー
相手にするだけ無駄なやつ

855名前:名無しさん@1周年ID:
>>854
なんだ?
論破されるのが嫌なのか?w
だったら書き込まなければいいんだぞw
860名前:名無しさん@1周年ID:
>>854
そのレスの仕方はお前近畿パーだな
843名前:名無しさん@1周年ID:
>>835
大人だったら、教科書の掲載基準がいい加減なんだから鵜呑みにするなよって話。
教科書には、南京大虐殺、強制徴用工、従軍慰安婦制度は真実として記述されているわけだから。
862名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)14:40:01.29ID:jTVE/81E0
>>843
最近改訂されたばっかりの教科書の記述が信用できないと言うなら、
論文でも書いて、最近改訂された部分はやっぱり間違ってると証明すればいいだけのこと

少なくともこんな掲示板で、嘘・捏造のコピペを貼り付けてるやつよりは信用できる

863名前:名無しさん@1周年ID:
>>862
改訂されるという事は
将来さらに改訂されることもあるという事なんだが
理解できないの?
864名前:名無しさん@1周年ID:
>>862
お前こそ妄想オンパレードな糞スレ立てまくる暇があったら捏造論文でも書いてろw
888名前:名無しさん@1周年ID:
>>862
涙拭けよ嘘・捏造の近畿パーww
924名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)15:53:42.90ID:Zn/l2jQL0
>>862
教科書にしたって、「畿内だ」とは書いてないからなあ
832名前:名無しさん@1周年ID:
>>826
>纒向は3世紀前半の時点でもかなりでかい
面積の話か?
人口が重要だというのは、畿内説が吉野ヶ里を否定した理由だぞ。
纏向遺跡の住居跡の少なさは致命的だ。
祭祀遺跡だとも言うが、鏡も勾玉も出土していない。
年代が合いそうなのも、一部の大型倉庫、桃の種、蛙の骨だけ。
あとは3世紀末~4世紀の遺物ばかり。
847名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)14:28:26.75ID:jTVE/81E0
>>832
九州説というかこいつは外国人の可能性高いが
日本の国家発祥の地さえ認めないで、イチャモンつけてるだけだな

おまえが認めないと言い張っても、纒向は集落跡だよ

文化庁
国指定文化財等データベースでの説明文
「纒向遺跡は、3世紀初頭から4世紀始めにかけて営まれた、きわめて大規模な集落跡である。
しかも、本遺跡のような規格性のある建物群は例がなく、当該時期の首長居館の構造を知る上できわめて重要である。
また、同時期の居住域や墓域及び祭祀遺構、大溝などが広範囲に広がっていることも明らかとなった。
出土遺物も豊富で、東海系の土器をはじめとする他地域の土器が多数出土する点も注目される。
この遺跡周辺には、史跡纒向古墳群や箸墓古墳など出現期の古墳が多数存在し、これらの古墳との関わり、
すなわち大和政権と関わりのある遺跡とみなされる。」

849名前:名無しさん@1周年ID:
>>847
全体的な規模は大きいけど
住居跡は思ってる以上に小さいんじゃなかったか?

何件くらいの住宅の痕跡があると文化庁は言ってるんだ?

745名前:名無しさん@1周年ID:
煽り抜きのまじめな話、
九州説のスレではこういう話も出ているぞ。

732 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2019/07/30(火) 10:49:28.13
残るは半島南部説だな。

733 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2019/07/30(火) 11:09:02.19
半島南部説は、全く故無きことではなさそうだ。
卑弥呼の出自は馬韓であり、その宗女臺与も馬韓の宗家から輿入れしてきたのかもしれない・・。、

>>849日本@名無史さん2019/07/29(月) 20:19:30.88
>魏志
>馬韓 鬼神を祭る 卑弥国がある
>邪馬台国 鬼道により卑弥呼が統治する

これはなかなか関心深い記事だ。
帯方郡ー公孫康ー馬韓国ー邪馬台国(及び馬の付く国々)は、鬼道の人脈でながっていたのではないかな。

734 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2019/07/30(火) 11:22:14.80
弁辰にも鬼神はいたぞ

859名前:名無しさん@1周年ID:
>>847
いまさらw
纏向遺跡が大和政権と関わりが深いという可能性を示す一方、邪馬台国との関係が希薄だと断言している文面だというのがよくわかるな。

それとよく外国人がどうとか言っているが、日本の武将の末裔なんだけど。
お前がいわゆるネトウヨであり、思考パターンが現代韓国人とよく一致することもよく熟知している。

869名前:名無しさん@1周年ID:
>>847の引用にぴったりな図を提供しようw
拾いものだがw

湿潤耳垢:縄文系
乾燥耳垢:半島系

ちょうど○で囲まれた地域が狗奴国=ヤマト政権だ。
※北海道を除く

867名前:名無しさん@1周年ID:
>>826
必死になってるけど

>注目されている
>有力になりつつある
>新たな発見が続いている

なんにも確定できてないんだよなwww

783名前:名無しさん@1周年ID:
>>758
>>766

この二つの考え方を止揚してください・・・
邪馬台国≠大和朝廷
これで何か問題あるのかな
邪馬台国=大和朝廷とすれば畿内説になるのかね

799名前:名無しさん@1周年ID:
>>783
邪馬台国≠大和朝廷   これはべつに問題は無い。
邪馬台国=大和朝廷とすれば畿内説になるのかね    これはまだまだ畿内説になるとは限らないな。
783名前:名無しさん@1周年ID:
>>758
>>766

この二つの考え方を止揚してください・・・
邪馬台国≠大和朝廷
これで何か問題あるのかな
邪馬台国=大和朝廷とすれば畿内説になるのかね

799名前:名無しさん@1周年ID:
>>783
邪馬台国≠大和朝廷   これはべつに問題は無い。
邪馬台国=大和朝廷とすれば畿内説になるのかね    これはまだまだ畿内説になるとは限らないな。
797名前:名無しさん@1周年ID:
>>758
神武は雇われね。
東征したんじゃ無くて。
770名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)13:31:29.10ID:pw4nwzLk0
理系ならば「データ不足!」の一言で片付ける問題を
文系は解こうとする
つまりは大馬鹿者である
775名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)13:35:15.58ID:Zn/l2jQL0
>>770
天文学者だって古生物学者だって解こうとする
データでものを言える理系は理系の中でも限られた分野でしかない
997名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)18:11:24.91ID:pw4nwzLk0
>>775
文系さん こんにちわ
相変わらず馬鹿か?
998名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)18:12:31.60ID:wv52Q85j0
>>997
データを集めるだけ集めて、統計で結果を語ろうとするのも文系だぞw
注意なw
801名前:名無しさん@1周年ID:
>>770
涙拭けよ大馬鹿ww
776名前:オレンジ・エアID:
まず俺の投稿を全部読んで疑問な点は質問するといい

歴史の基本がわかる

785名前:名無しさん@1周年ID:
>>776

どれが君の投稿なんだ?

788名前:オレンジ・エアID:
>>785
コテですぐわかるだろ
789名前:名無しさん@1周年ID:
>>784
ああ。コテハンか。>>785
804名前:名無しさん@1周年ID:
>>776
うんこ臭いからムリ。
780名前:名無しさん@1周年ID:
なあ、素人考えなんだが
古代のこの辺は大陸が一番進んでたろ?
すると日本列島で一番力がありそうなのは大陸により近い、半島またいですぐの九州かな?と一瞬思うが
それだったら逆に大陸と近いおかげで中国の古文書に邪馬台国の情報がもっとあってもよさそうじゃないか?
ほとんどないってことはろくな交流がなかったんだろうから、九州より畿内のほうが可能性高くない?
という素人予想だがどう?
782名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)13:39:17.37ID:MbKnM54x0
>>780
九州よりも交流が少ないから文献に残らなかったんだろ
792名前:名無しさん@1周年ID:
>>780
日本の立場からすれば、九州は大陸に最も近いが
中国からすれば、九州だろうが本州だろうが
どちらも東の海の果ての野蛮人の国だw
795名前:名無しさん@1周年ID:
>>792
今と違って移動がきびしい古代だと、さらに九州と近畿の差ってでかくね?
野蛮かどうかの話じゃないんだが
817名前:名無しさん@1周年ID:
>>795
横からスマンな。
中華からすればどちらも辺境。敵地でなければさほどかわらんのじゃないか。
半島南部から九州北部への航路移動が当時の中華世界からのメインルートという点では異論はないが、
楽浪郡と交流のあったと思われる、馬韓地域から山陰>機内というルートもマイナーながら
古代の重要な文化伝来のルートであることを忘れないでほしい。
837名前:名無しさん@1周年ID:
>>795
だからそれは日本側(おまえさん)の都合
あちらの文献書くのはあちらの都合
いくらこちらの都合力説したとこで意味は無い
805名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)13:54:04.07ID:wv52Q85j0
倭人は暦(こよみ)の概念も無いと書いてあるから、太陽祭祀というのも可能性は低い。
古墳の向きがメチャクチャなのがそれを物語っている。
807名前:名無しさん@1周年ID:
>>805
そう
古墳の向きがバラバラすぎるよな
811名前:名無しさん@1周年ID:
>>807
お前近畿パーの悪口言いすぎだぞ。
そこまで責めてやるな。
829名前:名無しさん@1周年ID:
>>807
古墳の向きと暦は関係ない。
古墳の向きがバラバラだというのは古墳の向きには意味が無いということだ。
そういえば昔読んだ本に古墳の向きに意味を求めようとした人がいたな。
名前は忘れてしまったが。
831名前:名無しさん@1周年ID:
>>829
当時の日本人の宗教観には、太陽はあまり影響してないという事だろうね
834名前:名無しさん@1周年ID:
>>831
古代日本にいた民族で方角を重んじる文化があったのはアイヌ民族だけだったとか聞いたこともあるし。
838名前:名無しさん@1周年ID:
>>831
時間が無いのでスマン

  >>824  農業と太陽信仰も関係が深いことも書いておく。

844名前:名無しさん@1周年ID:
>>838
暦はあっただろうけど
太陽信仰のようなものは希薄だったんじゃないか?
と言ってるんだよ
810名前:名無しさん@1周年ID:
>>805
まだそれ言ってるのかよw
813名前:名無しさん@1周年ID:
>>810
畿内説が三角縁神獣鏡を太陽祭祀と絡めて妄想を垂れ流す事がよくあるだろ?
824名前:名無しさん@1周年ID:
>>805
確かに中華世界のような暦はなかったかもしれないな。
しかし、農業を齧ればわかると思うが農業には暦が必須なのだ。
古代倭人なりの暦があったと考えるのが自然だな。
838名前:名無しさん@1周年ID:
>>831
時間が無いのでスマン

  >>824  農業と太陽信仰も関係が深いことも書いておく。

844名前:名無しさん@1周年ID:
>>838
暦はあっただろうけど
太陽信仰のようなものは希薄だったんじゃないか?
と言ってるんだよ
809名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)13:55:38.51ID:YZOjFN6E0
倭国大乱は大和朝廷関係ないのかな
中国との付き合いの濃淡はあっても倭国は近畿も含んでると思うが
814名前:オレンジ・エアID:
>>809
倭国大乱とは九州での出来事

大和朝廷の発生はだいぶあとのこと

819名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)14:02:44.55ID:YZOjFN6E0
>>814
大和朝廷じゃなく畿内勢力だな
816名前:名無しさん@1周年ID:
コピペ馬鹿が70超えるレスしてる、馬鹿は論破されても理解できないって本当なんだな。
618名前:名無しさん@1周年ID:
>>816に記した市町村以外にも久留米市なども入ると思うが久留米市の
祇園山古墳は盗掘されているから書かなかっただけ。
どう言う事かと言えば>>816に書いた市町村からは勾玉が出土している
卑弥呼が家臣の国王たちに下賜したものだ。
618名前:名無しさん@1周年ID:
>>816に記した市町村以外にも久留米市なども入ると思うが久留米市の
祇園山古墳は盗掘されているから書かなかっただけ。
どう言う事かと言えば>>816に書いた市町村からは勾玉が出土している
卑弥呼が家臣の国王たちに下賜したものだ。
840名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)14:24:14.62ID:YZOjFN6E0
侏儒国黒歯国裸国はどう考えても本州四国のことだと思うがなあ
魏と付き合いが薄いからこんな書き方になってるだけで
842名前:名無しさん@1周年ID:
>>840
侏儒国は高知県西部の幡多
裸国、黒歯国はハワイ。
850名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)14:30:57.59ID:YZOjFN6E0
>>842
当時の日本人はハワイの存在なんか知らんだろ
852名前:名無しさん@1周年ID:
>>850
キチガイイミフ。
856名前:名無しさん@1周年ID:
>>842
歯黒国の出典は山海経という全く別の書物。
大量のありえない国や人々の様子を書いたラノベみたいなもの。

魏書や魏略はその辺を適当に纏めて倭人伝に纏めてる。

846名前:名無しさん@1周年ID:
>>840
山海経の記述引っ張ってきただけじゃないの?
857名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)14:36:17.64ID:ZMQDNhuy0
纏向は人の住む集落じゃない

宮殿と祭祀と古墳を作るための場所
上でも書いたがこの巨大な無駄な物の為に多大な物資と人間を投入できること自体が纏向の特異性

吉野ケ里どころか弥生時代全期を通しても比較になる存在など皆無
比べる方がどうかしてる

これがあることそのものが7万戸と言う巨大な人口と広大な領域を持つ邪馬台国が存在してる証

861名前:名無しさん@1周年ID:
>>857
史書と遺跡の様相で言えば、吉野ヶ里遺跡や伊勢遺跡の方が適正だ。
祭祀遺跡なら全国にあり珍しくは無い。
現時点、古墳造営基地局だというのが、表現として最も適正だ。
865名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)14:44:04.91ID:jTVE/81E0
>>857
不思議な遺跡ではあるけど、あれだけ大量の土器は祭祀土器だけではなく
飯炊き用が大量にあるから、かなりの人数が住んでたのは確実じゃないかな?
872名前:名無しさん@1周年ID:
>>865
しかし住居跡はほとんど見当たらず、大型建物が3棟見つかっただけ。
活動時期も古墳増築時期と重なることから、箸墓古墳など大型古墳の増築時にできた臨時集落である可能性が高いんだよ。
だから「古墳造営基地局」などと揶揄されるのはまんざら嘘とも言えないんだよ。
874名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)14:52:11.01ID:ZMQDNhuy0
>>865
当然あれだけ巨大な物を短期間に作り続けているのだから多くの人は生活していただろう
ただあくまでも建設現場的なものだったと思われる
仮設の住居に住んで作業が進むと移動する形

実際、見つかるのは小規模の掘立柱建築が大半
竪穴式でないのは移動に便利だからと推察する
後の都でも移動の際には柱ごと引き抜いて移築する方式だった
纏向は「都市」と言う性格のものではなかったと思われる

とは言えそれが纏向の価値を落とすことにはならない
むしろくどいようだが「生活に全く必要ない吉野ケ里の100倍の施設」を作るのだから桁違いの経済力とマンパワーを持っている勢力と言事になる
他とは比べるのもおかしいくらいの隔絶した存在がいたことがハッキリと見て取れる

928名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)15:57:23.49ID:Zn/l2jQL0
>>865
労役者が寝起きのために滞在することを「住む」と言うかどうかかな

>>866
そういう成果横取り的発想は良くないな

866名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)14:44:12.06ID:oXNByd3F0
論争してる連中、その時間が無駄だってことに気付けよ親不孝者
889名前:名無しさん@1周年ID:
>>866
お前は時間を無駄にするな近畿パー
928名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)15:57:23.49ID:Zn/l2jQL0
>>865
労役者が寝起きのために滞在することを「住む」と言うかどうかかな

>>866
そういう成果横取り的発想は良くないな

871名前:名無しさん@1周年ID:
畿内説派には、吉野ヶ里がよく引き合いに出されるんだが、
吉野ヶ里はその他大勢に書かれている華奴蘇奴國=神埼国でしかない。
875名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)14:52:17.36ID:ahnjl3Ob0
>>871
九州の遺跡はどこだって

九州は

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、大陸の人間が行き来していて
下手すれば、あちこちに居住すらしてたんだぞ?

邪馬台国が九州の〇〇〇だったら

邪馬台国がまだあるときに書かれた『魏志』倭人伝(280年完成)が、行き方を間違うわけがなかろうが

ちったぁ、無い脳みそ振り絞って考えろよ

で、撃沈すんだよ

877名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)14:54:28.33ID:ahnjl3Ob0
>>873
べつに吉野ヶ里じゃなくてもいいぞ

>>871
九州の遺跡はどこだって

九州は

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、大陸の人間が行き来していて
下手すれば、あちこちに居住すらしてたんだぞ?

邪馬台国が九州の〇〇〇だったら

邪馬台国がまだあるときに書かれた『魏志』倭人伝(280年完成)が、行き方を間違うわけがなかろうが

ちったぁ、無い脳みそ振り絞って考えろよ

で、撃沈すんだよ

だから

国立歴史民俗博物館
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c

892名前:名無しさん@1周年ID:
>>871
そう。邪馬台国は移動している。
吉野ヶ里は邪馬台国じゃ無い。
883名前:名無しさん@1周年ID:
方角
距離
特産物
習俗
その他

記述はすべて正しい
ほぼすべて正しいけど一部に記述間違いがある
方角だけ間違ってる
数字だけ間違ってる
その他

839名前:名無しさん@1周年ID:
>>883
ちなみに、その後漢書はいつの時代の版本のものですか?
935名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)16:02:32.41ID:Zn/l2jQL0
>>883
国名も間違ってるかもしれんな
ヤマト国じゃなくヤマガ国かもしれんしヒムカ国かもしれんよな
937名前:名無しさん@1周年ID:
>>935
それよりうんこ食えよ近畿パー
901名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)15:12:56.36ID:ZMQDNhuy0
そもそも纏向遺跡は縄文時代から殆ど人が住んでない場所だった

荒れ地で耕作にも居住にも向かないから放置されてた土地
だからこそ「無駄な物」を作るのに遠慮がいらない

この計画性からも纏向が適当に作られた場所でないことが見て取れる

906名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)15:17:19.33ID:93IvqGQ70
>>901
先駆となる古い神社が無い纏向に、突如、大規模な神殿が造営され、
しかも通年で本格定期な運営が行われていたのだが、
またもや突如、今度は撤去されて消えた

どういう動機で国家予算をブチ込んだのか、その動機はとても重要だよ
私は纏向の神殿を、大和朝廷自身による宗教改革の実験場だと解釈している
九州勢の天皇を戴く大和王権としては、三輪山信仰じゃない、新しい信仰の形を模索していた

909名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)15:19:42.65ID:ahnjl3Ob0
>>906
出雲を併合して、急に大陸に行けるようになっちゃった

のさ

910名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)15:20:59.71ID:ahnjl3Ob0
>>906
奈良の邪馬台国なんて、クソ田舎の、内陸の、小国が
出雲を併合して、急に大陸に行けるようになっちゃった

のさ

914名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)15:24:19.67ID:93IvqGQ70
>>910
日本海航路が、畿内のヤマトからの、大陸往来ルートだったんだね
大型カヌーは貨物の搭載量こそ少ないが、とにかくパワフルな乗り物だ
帆船の時代のスピード感で見ると、距離感を間違うぞ
917名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)15:31:36.46ID:ahnjl3Ob0
>>914
どうかな

奈良の邪馬台国なんて、クソ田舎の、内陸の、大陸の人間なんか誰も行ったことがなかった小国が

出雲を併合した

併合した出雲は、のちに、大陸と大和政権の航海を行ってに引き受ける

宗像氏の祖先は、出雲6代主王

913名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)15:22:10.01ID:ahnjl3Ob0
>>906
奈良の邪馬台国なんて、クソ田舎の、内陸の、大陸の人間なんか誰も行ったことがなかった小国が

出雲を併合して、急に大陸に行けるようになっちゃった

のさ

915名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)15:26:02.53ID:ahnjl3Ob0
>>906
奈良の邪馬台国なんて、クソ田舎の、内陸の、大陸の人間なんか誰も行ったことがなかった小国が

出雲を併合して、急に大陸に行けるようになっちゃった のさ

だから、邪馬台国がまだあるときに書かれた『魏志』倭人伝(280年完成)が、

こんな状態なんだよ ↓

大阪に新幹線で始めて来た東京の都会人が、
大阪駅で大阪の田舎者に「USJはどっちですか?」と訪ねる

そのとき大阪の田舎者が指を指した方角が「USJ」の方角で
そのとき大阪の田舎者が言った距離・時間が「USJ」までの距離・時間だ

大阪に新幹線で始めて来た東京の都会人には、
大阪の田舎者が言うことが、あってるかどうかなんか判断できない

921名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)15:44:46.87ID:BPchbS210
邪馬臺国は吉野ヶ里より信憑性の高い
唐子・鍵で決定
唐子・鍵からは魏志倭人伝に書いてある「楼観」を描いた
絵画土器が出土している。
吉野ヶ里に「楼観」が存在したという証拠は無い
929名前:名無しさん@1周年ID:
>>921
そう言えば吉野ヶ里の楼閣は、唐古鍵の楼閣をパクって建てたんだったな。
931名前:名無しさん@1周年ID:
>>929
それよりうんこ食えよ近畿パー
930名前:名無しさん@1周年ID:
>>921
もちろん間違い。
マロンおいしいよな
932名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)16:00:59.51ID:93IvqGQ70
>>930 三輪そうめんの使徒ですw
922名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)15:46:16.16ID:ahnjl3Ob0
つまり

王がいるにもかかわらず
邪馬台国が一大卒という統治者を派遣して
周辺諸国を監視している「伊都国」

邪馬台国の植民地 つまり「出雲」

なのさ

925名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)15:56:38.29ID:93IvqGQ70
>>922 他人が読める日本語で書いてくれ   普段から、意味がわからん、って言われないか?

出雲が日本海側の重要拠点なのは、出雲大社を見ればわかるだろ
ヤマトは出雲を征服したあと、巨大な神殿を建てて、旧支配者のオオクニヌシを軟禁したんだ

ヤマトで始まった宗教改革が、占領地にも適用されたのは見てのとおり
では、その内容は『ヤマタイ』スタイルだったか?   そこが謎の始まり

943名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)16:05:03.37ID:ahnjl3Ob0
>>925
都合が悪くなると、ワーワー聞こえません かよ(笑)
947名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)16:10:20.72ID:Zn/l2jQL0
>>943
実際まじめに読んでられんよ
923名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)15:53:14.45ID:93IvqGQ70
ちなみに、出雲をバカにしちゃいかんぞ?
ヤマトよりも600年古い、大陸からの影響を受けた先進国です

日本海を往復するカヌーでも、日本側の港は出雲じゃないかな?
朝鮮半島との往来は海流が激しいけど、
対馬で海流に直交するようなバカなまねをしなければ、
海流に乗ってすんなりと出雲に入港できるのです

938名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)16:03:13.83ID:ahnjl3Ob0
>>923
奈良の邪馬台国なんて、クソ田舎の、内陸の、大陸の人間なんか誰も行ったことがなかった小国が、出雲を植民地にして併合した

ときには

奈良の邪馬台国なんて、クソ田舎の、内陸の、大陸の人間なんか誰も行ったことがなかった小国は

宗像氏の祖先、出雲6代主王に、立派な船で渡航させていたと思うぞ
出雲大社なんて、遠くの海からも見える、巨大な高層建造物も造ったしね

945名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)16:05:57.93ID:93IvqGQ70
>>938
大阪の古墳(いわゆる仁徳天皇陵)も同じですね
海から見えることが前提の巨大構造物なんです
ヤマト王権が海を渇望し、制海権を重視した結果ですね
948名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)16:10:32.75ID:ahnjl3Ob0
>>945
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、ずっと倭の国王として君臨し
大陸との交易を独占していた北九州

なんて

帯方郡を設置した公孫氏と漢委奴国王の既得権益バリバリ

だったからね

奈良の邪馬台国なんて、クソ田舎の、内陸の、大陸の人間なんか誰も行ったことがなかった小国が

大陸への港と、大陸までの航海技術を、一気に手に入れるために
出雲を植民地にして併合し

王がいるにもかかわらず
邪馬台国が一大卒という統治者を派遣して
周辺諸国を監視している「伊都国」

にするのも当然だわな

950名前:名無しさん@1周年ID:
>>945
想像100%で言い切るなw
本当にお前ら日本人なのか?w
941名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)16:04:35.94ID:BPchbS210
>>923
逆に朝鮮半島へ渡るときは
対馬海流に逆行するからすんなりとはいかない
944名前:名無しさん@1周年ID:
近畿パーってガチ馬鹿でガチチョンでガチウソつき野郎ってどうよこれ?
953名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)16:13:31.56ID:BPchbS210
>>944
負け犬の遠吠えは聞き飽きたwww
955名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)16:14:58.96ID:93IvqGQ70
>>953 負け犬はよくない    勝ち犬になろうw
951名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)16:12:17.28ID:93IvqGQ70
地元びいき・お国びいきは普通にあると思うんですが、
邪馬台国論争で感情的になる人の動機って、ずいぶん謎ですねw

整理すると、日本の源流はどこか?という点に集約するように思えます
ぶっちゃけ、日本国の源流は大和王権なのですが、天皇家の源流は九州なんですね
そして神道は縄文からの古層のうえに、ヤマタイ以降の新宗教(アマテラス)が乗っています

こういう重層構造を不愉快に思う人は、一定割合で存在するのでしょう

958名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)16:18:24.46ID:ahnjl3Ob0
>>951
天皇家の源流は、スサノオ つまり 出雲 だよ

日向の高千穂の宮から奈良に東征し、初代天皇を宣言したのは「神武」

神武の父ちゃんは「ウガヤフキアエズ」
宮崎県日南市の鵜戸神宮で産まれ、鹿児島県鹿屋市の吾平山上陵に墓がある

ウガヤフキアエズの父ちゃんは「山幸彦」
海幸彦に出雲を追い出されて、海神国・・つまり北九州の狗奴国に亡命し
日向に高千穂の宮を建立して居住していた

ここまでが日向三代

山幸彦の父ちゃんは「ニニギ(邇邇芸)」
大国主がアマテラスに国譲りした後に、奈良から出雲に一大卒として派遣された
倭人伝では「伊都国(出雲)」の長官「爾支(にき)」として登場する

ニニギ(邇邇芸)の父ちゃんは「アメノオシホミミ」
スサノオが奈良にいたときに産まれた長男で、スサノオが奈良を追い出された後、アマテラスがひきとって自分の子にし、
出雲の大国主が兄弟の八十神からの迫害を逃れるために訪れた「木の国」(紀伊 和歌山県北部)を治めている
倭人伝では「投馬国」の長官「彌彌(ミミ)」として登場する

アメノオシホミミの父ちゃんは「スサノオ」で
奈良を追い出されて出雲にやってきて、巨大な怪物八俣遠呂智への生贄にされそうになっていた美しい少女櫛名田比売命と結婚し、出雲の根之堅洲国にある須賀(すが)の地(中国・山陰地方にある島根県雲南市)で暮らしていた

つまり「神武」は、産まれも育ちも九州で奈良では無いが
奈良のアマテラスと出雲のスサノオの直系

959名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)16:19:09.46ID:Zn/l2jQL0
>>951
古層から直接ヤマト政権ができた、ていうストーリーなら、邪馬台国とは無関係に作れそうなんだがな

・神武は存在しなかったし東征もなかった
・邪馬台国は九州 勝手に滅びた
・一方畿内は粛々と先進文化を取り入れ、古墳時代の覇者となっていった

これでいいはず

そこに邪馬台国を組み込もうとすると、それは事実と違うもんだから、多くの無理を生ずる

962名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)16:23:31.94ID:Vs/stn960
>>959
謎の4世紀に何があったか?
そこがすっぽり抜けてるからこういう議論になる
ヤマト王権が自然発生的にできたのか?
それとも邪馬台=ヤマトなのか?
邪馬台=ヤマトのとき、邪馬台国が九州にあったならどのようなプロセスで畿内に移ったか?
963名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)16:24:43.42ID:93IvqGQ70
>>959
ありがちな誤解は、ヒミコの鬼道が原始的な祭政一致だ、とするものです

逆ですね? ヤマト王権が広域化・世俗化して政教分離したからこそ、
地方の統治拠点に巨大な神殿が建てられ、広域化した宗教が持ち込まれたのです

954名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)16:14:10.28ID:MNXC56KB0
魏志倭人伝をそのまま読むと邪馬台国は日本ではなくね?
どうしても日本になくちゃ駄目なの?
台湾では駄目かい?
956名前:名無しさん@1周年ID:
>>954
漢委奴国王の金印が日本で見つかったんだから、基本的に日本でいいんだよ。
そして、その時代の日本の領域は半島の南部も含むということも考慮すること。
961名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)16:21:34.38ID:Zn/l2jQL0
>>954
呉書が完成していたら、台湾は呉書に書かれてたはず
987名前:名無しさん@1周年ID:
>>954
観光資源にしたい奴の妄想だから放置しておけ、無学のゴミが地元だ地元だって馬鹿の自己紹介してるだけなんだから
975名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)17:09:44.26ID:lNNaWKv80
中国の学者が言ってたよなw
中国の言う「海外」の距離は信用してはいけませんよと。
そして方向は間違いないと。
980名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)17:30:27.19ID:LJhGVs9O0
>>975
正しいと言い切った方角が、倭人伝の中では間違いだらけという事実
982名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)17:33:33.64ID:lNNaWKv80
>>980
当時にしては正しい、という程度であって、現代人感覚で精度を問うような議論はナンセンス。
983名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)17:35:54.67ID:LJhGVs9O0
>>982
90度近くズレてるけどな
985名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)17:38:47.67ID:lNNaWKv80
>>983
南を東と言うのは、頭の病気だから。
986名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)17:44:24.26ID:LJhGVs9O0
>>985
反論できなくなると、罵倒に走る
九州説の得意パターンw
991名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)17:55:02.20ID:lNNaWKv80
>>986
罵倒?
病院に行けという忠告だが?
979名前:名無しさん@1周年ID:
清の時代に書かれた明史日本伝も織田信長や豊臣秀吉が出てくるが、内容がデタラメ。ましてや3世紀に書かれた三国志魏志倭人伝も尚更信頼できない。
981名前:名無しさん@1周年2019/08/02(金)17:31:48.29ID:lNNaWKv80
>>979
それは邪馬台国なんて存在しないと言ってる事と同じだから、邪馬台国論争に首を突っ込む必要は無いね。
魏志倭人伝に邪馬台国という国の存在だけは信じる、だなんてナンセンスな事は言うなよなw
992名前:名無しさん@1周年ID:
>>979
木から落ちた秀吉が信長に仕えて、関白になっただもんなw

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